2014年7月31日木曜日

SAM MCGUIRE インタビュー by JENKEM

JENKEMに載ってた、SAM MCGUIREというフォトグラファーのインタビューです。

ついに業界内でカミングアウトする人が現れました。これに続くプロはいるのでしょうか。

ともかく、良い友達がいて良かったね〜!と思います。

元記事:http://www.jenkemmag.com/home/2014/06/17/an-interview-with-skateboardings-gayest-photographer-sam-mcguire/

JENKEM:http://www.jenkemmag.com/home/


photo: sam mcguire

長年スケート業界でフォトグラファーとして働き、また何年もの間、自分がゲイであるという事実にもがき苦しんでいたサムは、一つの結論に達していた。それはこの二つの世界は、共存できないということ。

スケートボーディングは伝統的に、性的な指向については閉鎖的な考え方のままだ。現在でもゲイであることを公にしているプロスケーターは一人もいない。こういった状況から、サムは脱け出したかった。彼は30歳になったらスケート業界を去り、Facebook上でカミングアウトして、ゲイ差別のないアイスランドで暮らすという計画を立てていた。

そしてサムは先週30歳になったんだが、彼はその計画を実行しなかったことを、ここに喜びと共に報告したい。彼は計画を実行する代わりに、カミングアウトをし、自分の苦労を世界中の人々と共有することに決めた。以下はそんなサムの話だ。




君はしばらくスケート業界でフォトグラファーとして働いているよね。カミングアウトしようと決心したのはいつ?

2年前に、もう限界だってところまできてた時期があった。本当に辛い二重生活を送ってたんだ。その頃僕にははデートしている相手がいたんだけど、人前では喋り方とかを変えて本来の自分を隠す必要があった。でも僕は嘘をつくのは得意じゃないんだ。だんだんと、何人かの人たちに打ち明けるようになった。僕の知り合いたちは(自分がゲイだってことを)気にしないみたいだったから、それで多分僕は自信がついたんだと思う。スケートの世界は狭いからね、もし5人の人に打ち明けたら、その人たちがまた別の5人に話す。そうやって広まれば簡単だと思ったんだ。

本当のターニングポイントは、フォトグラファーのOliver Bartonから電話をもらったときだよ。彼のおかげで僕はスケートの写真を撮るようになったといっても過言じゃないんだけど、幸運なことに僕は彼とは長い付き合いで、良き友達同士になった。ある日彼と(電話で)話しているときに、彼から直球でこう聞かれたんだよ。「辛いんだろ?」ってね。それで僕は「何が…?」って聞き返した。彼は「辛いんだろ?誰にだったら打ち明けられるのか、それを見極めないといけないと思ってる?」って聞いてきた。僕は「どういう意味?」って聞き返した。そしたら「おいおい、俺は君が抱えているものが何か分かってるよ」って言われたんだ。そのとき僕は車を運転してたんだけど、車を路肩に停めて泣き崩れてしまった。


photo: sam mcguire

それまで誰一人として、僕にそう聞いてくれる人はいなかった。その頃の僕はどうにもならなくなってて、ゲイであることにもがき苦しんでいたんだ。勘違いしないでよ、僕には素晴らしい友達たちがいるよ。ただ、これはセンシティブなことだからさ。彼は僕に手を差し伸べてくれて、僕の肩にのしかかっていた重荷を取り除いてくれた最初の人だった。それに当時の僕は健康でもなかったから、誰かに「大丈夫?」って言ってもらえたのは、なんと言うか、人生が変わったような感じだった。

僕はそこで多分30分はずっと泣いていたと思う。まるで誰かが死んだみたいにね。あんまりドラマチックにしたくはないけど、でも確かに僕の中の一部分はそこで死んだんだ。もしかしたら自分は幸せになれるのかもしれないと感じた。長い間、僕は惨めで、怯えていて、自分が何かを出来るとは考えられなかった。そんな時に人から電話をもらって、そんなことを言ってもらえた…。本気で死ぬことを考えていたし、自分は永遠に幸せにはなれないだろうと思っていた。でも、もしかしたらスケートボーディングはみんなが思っているように同性愛者に対して偏見を持っている世界じゃないかもしれない、と考えられるようになったんだ。一度みんなを信じてみようと思った。その時、「そうだ、オリバーが電話をくれて大丈夫だよって言ってくれたんだ。今更何を恐れる必要があるんだ?」って思ったんだ。

何をそんなに恐れてたの?最悪な悪夢的な状況ってどんなもの?



本当に正直に話すと、自分の周りの人たちが、ゲイの人たちについてかなりエグいことを言っている場にいたことが何度かあったんだ。だから最悪のシナリオは、そこで自分がブチ切れちゃって結果ボコボコにされること、だね。ほとんどの場合、ただ単にみんな馬鹿話をしているだけだったけどね。以前そういうことを言ってた人たちも、実際はものすごくサポートしてくれたし。ただ当時はこわかったんだ。そういう場にいて、そして周りの人たちがどういう反応をするのか、全く見当がつかなかったからね。

前に一度旅先でこういうことがあった。僕たちのホスト役をしてくれた人が冗談で、みんなに向かってゲイについてのジョークを飛ばしてたんだ。「ふん、ここにいる奴らはみんなゲイじゃないって知ってるけど、もし誰かがゲイだって言うなら俺はそいつをボッコボコにしてやるぜ」なんてね。ただの冗談だから大げさな話にはしたくないけど、でも実際にそうやってゲイであることが理由で暴行された人の話をニュースやなんかで聞いてるから、本当に怖かった。最近はもちろんそんなことないけど、正直言ってちょっとビビってた。

そのときの旅は、思い返してみるとなかなか面白かったよ。みんなに(自分がゲイだってのが)バレるのが怖くて、ポルノサイトすら見ることができなかった。もしかしたらインターネットのルーターから、僕がチェックしたウェブサイトの履歴をチェックできるかもしれない、って真剣に考えたよ。ものすごくクレイジーに聞こえるかもしれないけど、当時は現実的な恐怖だった。だからCNNしか見ないでいたほうが良いって考えてた。

photo: sam mcguire

スケートボーディングは他のスポーツなんかと比べて、同性愛者に対する偏見は強いと思う?

他のスポーツはほとんどがチームでやるものだから少し複雑だけど、その質問に簡単に答えるなら、そうは思わないよ。スケートをするのに、わざわざ他の人にもスケートを始めてもらう必要はないけど、他のスポーツだと、一人でやるのはとても難しい。フットボールは自分一人じゃできない。だからもしフットボールをやる人間が町中で君一人で、しかも君がゲイの人を嫌ってたとしたら、ちょっと終了だよね。でも、もしスケートをする人間が町中で君だけだったとしても、スケートはできる。ただ孤独なだけさ。僕が思うに、スケートはスケートであるが故に、より忍耐が必要とされるものだと思うんだ。ストリートでは毎日いろんなタイプの人たちに遭うし、対処しないといけない。それに(スケートは)ちょっと不安定なスポーツだし、僕たちはみんなちょっと変わってる。プロですら、置いてけぼりにされたように感じることがある。大手メーカーからプロモデルのシューズを出してるプロですら、(自分の立場に)不安を感じることがあるんだ。スケートボーディングは(他のスポーツよりも)、世間からのはみ出し者との親和性は高いと思う。


photo: sam mcguire

どうしてスケーターや業界で働く人たちは、そんなに不安を抱えてるんだと思う?

奇妙な業界だからね、物事はものすごい早さで変わって行くし。多くの人は大金を稼いだりできないし、予期せぬ出来事が起こりうる。例えばSean Malto。彼はナイキからのサポートを受けて、自分の怪我をうまくマーケティングのキャンペーンに使ってもらえたけど(訳注:ステアでミスって足首を思いっきり捻ってしまったらしい)、彼は本当にラッキーだよ。他の人だったら膝をダメにしちゃったらそれで終了だからね。

NFL(アメリカン・フットボール)の契約がどうなっているのか分からないけど、選手がもし怪我をしてしまったら別の契約に移行して、最低でもリーグが保証している最低賃金は得ることができるみたいだね。でもスケートだと、そうはいかない。スケーターが怪我をして半年も経てば、スポンサーたちは一体どうなってるんだと思い始める。なんでこいつに給料を払ってるんだってね。ニューカマーたちが後ろには控えていて、そのポジションを狙ってしのぎを削ってる。競争だよ。それはほんの一時の間にすぎないかもしれないけど、そういったことが不安な環境を作り出しているんだ。

それに、これは誰も否定しないと思うんだけど、スケート業界はとても狭くて全て繋がってるから、ときどき噂話好きの集まりみたいになる。そういったことも不安な状況を作りだす要因だね。例えばDylan Riederなんか、彼はファッションがすごく独自だし、ドラマティックなVネックシャツやチーム・ハンサムのバイブスを持ってるから、みんなそこばかりに目を向けて悪口を言ってる。誰も彼のスケーティングの凄さなんて気にせずにね。

Dylanがただ指にリングを4つはめてるからって馬鹿にされるような、そういう状況で、誰がカミングアウトなんてしたいと思う?彼はスケーターなんだから、ただスケートさせればいいじゃないか。Lebron James(NBAの選手)が私生活で何をしようと誰も何も言わないよ。誰もLebron Jamesのことを逐一チェックしたりしない。もしそんなことになったら、バスケットボールも(スケートみたいに)より不安定なものになり始めると思う。

photo: sam mcguire

一緒にいると気分が悪くなるっていうのが理由で、特定の仕事やスケートのクルーから距離を置いた時期ってある?

そうだね…正直僕のほぼ全キャリアを通してそんな感じだよ。これはもっと、他人と僕との個人的な関係の話だと思うけど。だってスケートボーディングでは、一緒に働いてる人たちとすごく良い友達になりやすいからね。エディターとフォトエディターみたいにさ。…長年すごく苦しんだよ。間違いなく僕はそういうことと向き合ってきたけど、きっとそうした経験は、人と一緒にいるときに変な感じにならないようにしたり、より良い関係性を作るのに役立ったと思う。

ツアーのときに、もう本当に気分が悪くて立ち去りたくなったことが一度だけある。僕らが夕食をとっているとき、その場にたまたま沢山のゲイの人たちや、ドラッグクイーン、オカマたちがいたんだけど、僕たちのクルーの一人が特に、(ゲイの人たちに対する)自分の考えを声に出して言っていたんだ。それで僕は外に出て、電話をしているフリをして、なんと言うか、隠れた。最終的に他の何人かが彼を咎めたんだけど、それでそいつはキレちゃって、先にツアーから立ち去ってしまった。僕が本当にその場から逃れる必要があると感じたのは、そのときだけだね。

photo: sam mcguire

公の場で、ゲイであることを言いふらされたことってある?

前にMaltoがこっちに来てるとき、West HollywoodでSammy Winterのプロ昇格を祝うパーティがあったから行ったんだけど、そこにWeiger (Van Wagenigen)もいたんだ。Weigerのことを説明するのは難しいけど、彼は最高だよ。本当に良い奴で、人をからかうのも上手いんだけどさ、彼は単純に思っていることを口に出すんだ。Weigerは「サム!君がホモだって聞いたぞ!」ってみんなの前で大声で言ってきた。それから続けて「超クールだよ!超クールだ!すんごい大変だっただろ?」って言ってきた。それで僕は「そうだね、それについては上手く話せないけど」って返した。そしたら彼は「だろうね、俺だってチンポしゃぶる話はしたくないと思う!」って言ってきたよ。(笑)

Weigerの言ったことは間違いなく的を得てたからさ、みんなが笑ってたよ。変な感じだけど、これはちょっと良かった。カミングアウトで一番ぎこちないものの一つは、自分で自分を他の人たちから切り離してしまうことだと思うんだ。自分と、そしてその他の人たちってね。でもこのときは、僕はそのバーにいる人たちの一人にすぎないって感じだった。馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど、長い間秘密にしていたからさ、ただもう人に知ってもらいたくなっていたんだ。そうすれば次に行けるからね。だからパーフェクトだったよ。

みんな誰も気にしてなかったしね。Weigerは「今夜は君のカミングアウトを祝うパーティにしようぜ!」って言ってきてさ、みんなのところに行って「サムがゲイだって知ってた?」て言ってまわってた。Jerry Hsuのところにも「サムがゲイだって知ってた?」って聞いてさ、Jerryは「いや、まじで!?ヤバい!クールじゃん」って言ってくれた。ハイファイヴしたよ。

photo: sam mcguire

もしプロスケーターがカミングアウトしたとしたら、それは大事件だと思う?そのプロのスポンサーは気にすると思う?



それは会社やそのスケーターによるんじゃないかな。これはタフな質問だよ。これは政治と同じくらい、ビジネスの話だからね。ゲイだからって会社がそのプロスケーターをクビにすると思うかって言ったら、それはノーだよ。それは既になんとなく証明されてると思う。でも会社が表立って、ゲイの権利を主張したようなシューズを出したりなんかして、ゲイであることを前面に打ち出して行くかって聞かれたら、それはないと思う。だってビジネス的にそれがいいことかどうか分からないからね。

カミングアウトするのが誰なのかによると思うよ。もし、やっとメディアに露出し始めたようなニューカマーのマチュアだったら、分からないよね。たぶん僕は人々に過剰に期待しているのかもしれないけど、ここはスケートだからさ、スケートの会社はどこもみんな凄く前衛的だよ。だからみんながみんな、そんなに閉鎖的な考え方をしているとは思えないんだ。もしかしたらそうかもしれない、でも僕にはそう思えないんだ。

誰かが「このステア、ゲイだ」(訳注:スラングで「gay」を「ダサい」とか「キモい」などの意味で使うことがよくある)みたいなことを言ってるのを聞いたらムッとする?

昔はね。でも今は単純に笑える。今ではそういうことを言う人はそんなに多くないよ。何かに対して「ゲイだ」って言うのは、その人を馬鹿に見せるだけさ。それは僕から見てってだけじゃなく、他の人から見てもそうだと思う。それは双方向的なものだよ。どうしてそれ(何かに対して「ゲイだ」って言うこと)が人を傷つけることになるのかを、言う人はちゃんと理解することが大切だと思う。誰かがアイスクリームを落としたとして、「うわー超ゲイ!」って言うとするよね、するとゲイの人たちは誰でも無意識的に「僕は落ちたアイスクリームぐらい残念な存在なの?」って思ってしまう。だから「ゲイだ」って言うことは人を傷付けることになるってことを、人々はちゃんと理解しないといけない。みんながあれやこれやをゲイだって言ってるおかげで、僕は死にたいと思ったことがあるし、誰が自分の友達なんだろうって恐くなってしまったことがある。僕も年をとって少し大人になってからは、変化には時間が必要だってことと、辛抱するのが大切だってことが、なんとなく分かるようになったけどね。

photo: sam mcguire

最後に何か言っておきたいことってある?このインタビューを読んだ人には、どういうことを感じ取って欲しい?

もし今辛い思いをしている人がいたとしたら、少なくとも誰か一人でもインスパイアして、その人たちの状況を解決することの役に立てればと願ってる。こういったことはスケートの世界では常にタブーとされてきたけど、物事は変わって行くから、今は昔と同じじゃないと思いたい。人々がこのことを考えたり話したりするきっかけになってくれればいいし、もしかしたら(ゲイであることが)オープンになることに繋がればいいし、苦労している他の人たちの助けになれればいいなと思う。

何かいい格言だったり、引用だったりを知ってればいいんだけど、僕から言えるアドバイスは、周りに合わせることについてあんまり悩まなくていいよってことだね。スケートボーディングは環境にうまく馴染めないはみ出し者たちから生まれたと、僕は思ってる。ただ周りに合わせるなんて馬鹿げてるし、普通の人たちは超つまんないから、そんな周りに合わせようとなんてしない人たちさ。ハッピーに、自分らしく、そしてお望みとあらばところんゲイでいて欲しい。人生に挫けず、そしてスケートをあきらめないで欲しい。

2014年7月5日土曜日

KEVIN TIERNEY インタビュー

JENKEMに載ってた、KEVIN TIERNEYのインタビューです。

ってよく知らなかったんですが、ZOO YORKのAMなんですね。そして自分はまだ観てないすけどSTATIC 4でパートもあるらしいっす。

内容がけっこう面白くて、とくに保険の話なんかは、TPPで国民健康保険が壊滅させられようとしている今の日本にとっても人ごとではありません。

日本の健康保険は平等にみんなをカバーしてくれますが、アメリカだと保険にもグレードがあるらしく、いい医者にかかるにはハイグレードな保険が必要になるみたいです。そして高くね!?

民営化なんかされたら終わりですな。





photo: sean cronan


インタビューに臨むときは、普段はオープンマインドで偏見を持たないようにしているんだが、今回のインタビューに関しては、なんとなくケビンはきっと嫌な奴だろうなと思っていた。街中で2、3回会ったことがあったんだが、NYのスケーターでたまにいる、「クールな奴」のバイブスを感じたからだ。でも簡単な質問をいくつかした後からは、お互い構えずにリラックスできるようになって、彼も心を開いてくれた。
そして自立した育ち方や、膝の問題と家族の話を聞いて、俺のケビンを見る目が変わった。ほとんどのキッズには、人生の計画があらかじめ立てられているが、ケビンは自力で学びながら自分の人生を拓いていく必要があった。彼の話を聞くうちに、俺は彼に対して尊敬の念を抱くようになった。なるべく早く膝の手術をして、彼がスケートボードに乗ったときの本当のポテンシャルを、世界に見せつけて欲しい。
君は「クールな奴」じゃん?クールな奴になるための秘訣とかあったら教えて。
俺ってクールなの?それって悪い意味で?うーん、それについては何とも言えないな。でもクールな奴になるための秘訣?もしNYに来たなら、会うやつ全員シカトだね。「やあ」とか挨拶もしない。…で、ノーコンプライとかやるんだよ。ノーコンプライはかなりクールだからね。俺はフェイキーでも出来るようになったよ!ストレートなフェイキーのノーコンプライさ。かなりクールだよ。あとは、どっかでモデルでもやるとか?俺もそんなことできたらいいけど(笑)。何回かやったことあるよ!スケートのモデルさ。イェー!
ネット上で君の(スケート)スタイルはダメだなんて書かれてるけど、そういうのって気にする?
まじで?(笑)それは嫌だね。わかんないよ、俺はスケートに乗ってる感覚が好きなんだ。気にしないよ。もし俺のスタイルが気に入らないんなら、それはそれだけのことさ。鏡で自分の姿を見て、ああ、俺のスタイルってなんか狂ってるなって思うことはある。って言ってもどうでもいいけど。俺はスケートできる限りスケートを続けるだけだよ。好きか嫌いかさ!
君のスタイルを悪く言う人たちは、ほとんどみんな君の腕の動きについて言ってるよ。拘束着を着て腕を振り回すのを矯正しようかって考えたこととかある?
なんだよそれ!(笑)俺の腕はワイルドだろ?クソ、でもいっつも腕を振り回してるわけじゃないよ!腕の話って、Stuy Townのボードスライドのこと?あれって超長いボードスライドだぜ!あんな長いボードスライドを、楽勝な感じでやってるように見せないといけないのかよ?
photo: sean cronan
君はNY出身だけど、今までマーク・ゴンザレスと会ったり一緒にスケートしたことってある?
何度か会ったことあるよ。Steve Brandiと、彼がミルクセーキの店にいるとこを見つけたときがあったんだけど、そのとき俺は彼から絵を描くゲームをさせられたんだ。言われたお題を一発で描かないといけなくて、ミスったらダメ。四角の上に三角が乗ってて、真ん中にXがあるやつを一続きで描いてみろって言われたんだ。一度描いた線の上はもう線を重ねちゃダメ。何の脈絡もなくいきなりそんなこと言われたよ。狂ってるよ。マークは俺がどこの誰かなのかも知らなかったと思うけど、俺に絵を描かせて試してきたんだ。でもぶっちゃけファーストトライでメイクしたよ!
その後で、彼は消火栓を自分の板でぶっ壊そうとしてさ、俺の首くらいまである高い消火栓だよ。下のほうからありったけの力で、板で消火栓を殴りつけてた。まじでワケわかんなかったよ!(笑)ちょっと何してんの?って感じ。思わず後ずさったよね。新しい美術館の近くでさ、マークは美術館のガラスをウォールライドしようとして、キックアウトくらって怒鳴られてた。で、「そーか分かった、この消火栓を真っ二つにしてやる!」ってあのゴンズの声で言い返してさ。かなりヤバかったよ。
君のアートについて教えて。どうしていつも電車なの?
ずっと電車に乗って育ってきたからね。俺はクイーンズに住んでて街まで出るのに45分かかるからさ、その間にいろいろ考え事とかをするんだ。13歳のときから街に行くときは自分一人だし、電車に乗るってのは毎日のことなんだ。それに電車がずっと好きなんだ。酒飲んだ帰りに電車に乗ってクイーンズに帰るのは、ちょっとヤバめだね。間違いなく俺は寝ちゃうから、起きたらConey Islandとか適当な場所に着いちゃってて、帽子がなくなってたりとかするよ。
電車以外のものも描いてみようと思ったことはある?
ゴミ箱を描こうとしたことあるけど、あんまり好きじゃなかった。電車は好き。いろんな思いが電車にはある。
kevin’s train art / photo: zoo york
君は膝を痛めちゃってるんだよね?ほとんどの人は、君が膝を悪くしたままで滑り続けちゃってることを知らないんじゃないかな。
そう、ここ5年くらい、膝を痛めたままだよ。手術が必要なんだ。膝を新しく取り替えたいよ。すごくユルユルで弱いんだ。100%の状態には絶対にならない。滑るときは膝のことを考えないようにしてるけどね。スケートスポットでは、3時間くらいアップしないと、いい感じにならない。すぐに飛んだりとかできないんだ。スポットに着いた時点で、すでに膝を使いすぎてるような感じになったり、硬直してたりする。日によって違うから、撮影するときも、いつ調子がよくなるか分からないんだ。ゴムバンドでエクササイズなんかも始めて、膝を強くしようとはしてるよ。でもだんだんイライラしてくるから、あんまり長い間はエクササイズできない。すごい調子がいいと感じる日もあるよ。バックサイドの360を覚えたときは最高だった。でもオーリーすらできない日なんかもあるんだ。
スケートをキャリアとして考えるのはやめようと思ったことはある?
うん、そうだね。(笑)考えたことあるよ。膝がマジでやっかいだし、俺は医者も嫌いだからね。(NYには西海岸みたいに)「スケート・ドクター」がいないんだ。カリフォルニアにはスケートのトレーナーやスケートの外科医、医者がいるけど。こっちにいるのは自分が何の話をしているのかも分かってないようなおっさんさ。
俺が診て欲しい、良いって分かってる医者たちは、俺の保険を受け付けてくれないんだ。でも俺は保険に月々300ドル(約3万円)を払ってるんだよ。前に俺の膝を診てくれた医者はあんまり良くなかったと思うんだよね。90歳のじいさんだったし。だからそもそも最初から間違ってたような気がする。もし健康な状態でスケートできたら、それで完了なんだけどね。そしたら、中途半端なところで満足しなくてもよくなる。自分のSTATIC 4のパートを見たときは、「ちくしょう、もっと本当はできるのに」って思ったよ。
wallie / photo: sean cronan
酒を飲んだら顔が赤くなるほう?
ていうか、何をしても顔が赤くなるよ。何でなのか分からない。スケートすれば顔が赤くなるし、飲んでも赤くなる。セックスしても赤くなるし、ブロンズ色のTシャツ来ても顔が赤くなるんだ。わけ分かんないよ。
だから健康食品の店にいって、「ねぇ、俺の顔めちゃめちゃ赤いだろ、どうしたらいい?」って聞いてみたんだ。そしたら店の人から「アロエを買ってそれを毎晩顔に塗りな。少なくとも1ヶ月続けろ」って言われた。それで先週から始めてるんだけど、マジで唾を塗りたくってるような感じがするよ。恐竜の唾液みたいで最悪さ。めちゃくちゃ気持ち悪い。でも毎晩顔に塗ってるけどね。確かに効いてるみたいだし。切り傷や痣にも塗ってる。ドープだよ。
君って健康オタクなの?プロバイオティクスのドリンクや昆布茶を飲んでるの見たことあるけど。
ちょっとね。でも最近いろんなことを止めてみたんだ。違いを感じるかどうか見てみようと思ってね。で、なんだか同じで変わらない気がした。毎日緑のビタミンドリンクを飲んだり、フィッシュオイルやグルコサミン、フレッシュココナッツとかを採ってたんだけど、しばらく金欠のときがあって、そのへんを飲むのを止めてたんだけど、別に何も変わらないことに気がついたんだ。ビタミンを採って、それが健康にいいと思っていれば、健康に感じるもんなんだよ。もしマクドナルドを食ってても、ハッピーでネガティブなことを考えずにポジティブでいれば、全く同じように健康に感じると思うんだ。
しばらくは不安だったけどね。もしフィッシュオイルを採るのを忘れたら、一日をダメにしてしまうんじゃないかってね。でもそれから1ヶ月採らずにいて、そもそも俺には必要じゃなかったってことに気がついたんだ。膝を悪くしてからは、そういうメンタル的なことを実践してきたよ。膝のことは考えないようにして、大丈夫だって自分に言い聞かせるんだ。そうすると大抵は一日中大丈夫だよ。でも膝をひねっちゃったり、ちょっとでも痛みを感じたりすると、急に不安になって、あと数年で歩けなくなるんじゃないかって思ってしまう。浮き沈みが激しいんだ。


君の両親はどういう人たちなの?
両親のことはちょっと大変なんだ。正直、両親について話すのは好きじゃない。俺の母さんは精神病で、俺の親父はベトナム帰還兵だ。親父は糖尿病だし、13回も膝の手術してる。でも毎日起きて、自分のやることをやってるけどね。全体として親父はいい親だよ。親父からは「これをやったらダメだ」とかは一度も言われなかったけど、それにしては俺は素直に育ったと思う。悪いこととかやらないからね。母さんは月に一回病院に行って、電気ショック療法を受けてるんだけど、かなりハンパないよ。俺が家にいないで、常に外でスケートしてる理由の一つだね。俺は自分で何でも学んできた。すごく自立してるよ。兄貴がいるんだけど、33歳で一日中ビデオゲームしてる。別に仲は悪くないけどね。兄貴はチルってるだけさ。家にいないで、家のことは考えないようにしてるけど、難しいね。
お母さんの手助けとかしてる?
親父が母さんを月に一回、療養のために車で病院に送ってる。なんだろう、母さんはゆっくりしてて、たくさん薬を採ってる。時々、母さんは心ここにあらずみたいな感じになってる時がある。ハッピーそうだけど、会話が成立しない時があるんだ。もちろん、俺が母さんの息子で、俺が母さんを愛してるってことは理解できてるよ。
photo: sean cronan
自分がスケートを始めたのって、そういう大変な家庭環境からの抜け道だったからってとこある?
家庭の状況が、当時スケートを始めた理由なのかどうか分からないけど、振り返ってみると、そう思えるね。小さいころ、12、3歳のころは毎日一人で街に出てた。クイーンズってなかなか抜け出せないよ。俺はクイーンズに住んでたけど、基本的に街で育った。クイーンズにいたままだと、あまり生産的にはなれないと思う。
かなり自由な感じで育ってきたわりには、あまりトラブルにも巻き込まれずに済んでるね。
そうだね。自分でも不思議だよ。何かで罰を与えられたりしたこともないし、何かをするなって言われたこともない。正直言うと、宿題だって一度もやったことなんてないよ。だって、誰も俺に宿題を済ませろって言う人がいなかったんだからね。学校でも特に指導とかなかったから、成績はひどかったね。勉強する必要がなかったんだ。それでも75点、C+とかで卒業したよ。テストはたくさん落ちたけど。(笑)でも毎日授業には出てたから、先生たちからは好かれてたんだ。俺は問題児じゃなかったからね。
でも俺が好きだった先生は、たぶん刑務所に行くことになったと思う。彼はどの生徒とも仲が良くて、一番しっかりした人だったんだけど、生徒2人と3Pしてるのを発見されちゃったんだ。生徒の一人は女の子で、もう一人は男だった。二人とも17歳でね。先生はバイセクシャルだったと思う。実際に彼が刑務所に行ったのかどうかは知らないけど、間違いなくクビにはなったよね。でも彼は一番いい先生だったよ。彼からたくさんのことを学んだ。

自分がドラッグに手を出したり、グレなかったのは不思議だよ。両親ががんばって良い方に導こうとしてるのに、グレちまった奴をたくさん知ってる。俺はいつもいい子だったな。何でなのか分からないけど。正直言うと、昔はビビりだった。悪いこととかやりたくなかったし、俺はただスケートして自分のことをやりたいだけだったね。



2014年6月29日日曜日

Jamie Thomas インタビュー By JENKEM

JENKEMのジェイミー・トーマスのインタビューです。

BLACK BOXの経営がヤバいという噂は聞いていたんですが、ついにこの日が…

とはいえブランドが消滅するわけではないので、そこは一安心。さすがにZEROが無くなるのはあり得ないっしょ!FALLENはここ最近、シューズデザイン的に迷走を繰り返していた感じがするので、これを機に立て直して欲しいですね。

MysteryのライダーだったTrevor Coldenが、辞めるときに150万支払わされたって話もあって、子供相手にけっこうエグいことするなーと思ってたんですが、ジェイミーからの話を聞いて納得です。

それにしてもナイキって野郎は!

あと、Chris Coleが辞めちゃったみたいです。Shit!!

今回も素晴らしいインタビューをしてくれたJenkemとIanに感謝です!

元記事:http://www.jenkemmag.com/home/2014/06/24/the-future-of-zero-fallen-with-jamie-thomas/

JENKEM: http://www.jenkemmag.com/home/


photo: blabac

ZEROやFALLENといったJamie Thomasの会社、Black Box Distribution傘下のスケートブランドが、ここ数年上手く行っていなかったのは公然の事実だ。チームはコンスタントに変わるし、解雇も日常茶飯事だったため、誰もが何か大きな発表が近々されるんじゃないかと思っていた。驚いたことに、ジェイミーは俺たちにこのことについて話をさせてくれることになり、今朝このニュースを発表するために彼と電話で話をした。現在のところ、ZEROとFALLENはDwindle Distributionの傘下に入るようだが、ブランドは当然引き続きジェイミーが新しい管理のもとで指揮をとる。

ZEROとFALLENはBlack Box(ジェイミーの会社)を離れて、Dwindle Distributionの傘下に入るってことだけど、それってブランドにはどのように影響するの?

来月から、Dwindleがブランドのセールス、財政、プロダクトの生産、ディストリビューションを担当するってことだよ。でもブランドのチームとマーケティング、それにクリエイティブな部分は俺たちのクルーが引き続き担当する。俺が覚えている限り、俺はかなり多くの方向性を打ち出してきたけど、一つのことに集中する時間が十分じゃなくて、ポジティブなインパクトを起こすことができていないと常に感じていたんだ。そもそもToy Machineでチームやマーケティングに関してEdの手助けをした後で、俺がZEROを始めたのはそういったものへの情熱があったからなんだけどね。皮肉なことに、そういう自分が一番情熱を持っていることに使える時間がどんどん減ってしまって、それで今までのやり方はもうやめようって気持ちになった。別に俺個人だけの話じゃないけどね。チームや社員にも安定が必要だったし。ここ5年間の業界の変化のおかげで、FALLENは根幹から揺さぶられてしまったよ。

変化に関しては、近々Dwindleが俺たちのブランドを買い取ることになる。いいニュースは、俺たちのセールス担当者全員に(Dwindleに移ってからも)ポジションが与えられることになっているから、上手く行けば長年付き合ってきた担当者と変わらないままだよ。全てについて俺は興奮してる。ZEROもFALLENも安定性を持って、再び成長することに集中できるからね。必要なことだよ。

Threat、Mystery、Slaveなんかの、他のBlack Box傘下のブランドについてはどうなるの?終了?


Threatは今出ているボードが終わったら終了だね。他のブランドは、今のところ引き続きBlack Box傘下のままだよ。

photo: nick adams

最近Trevor ColdenがMysteryを抜けたけど、彼が君たちとの契約を破棄してSkate Mentalのライダーになるために、君はTrevorに彼自身の口座から15,000ドル(約150万円)を支払わさせたよね?どうして15,000ドルだったの?そしてどうしてSkate Mentalにではなく、Trevor個人に支払わせたの?

Trevorは俺たちのブランドの契約を買い取らないといけなくなった最初の人間だよ。普通は両者とも合意してから辞めるから、そんなことする必要なんてないんだけど、Trevorの場合は無理だった。TrevorがMysteryのライダーになった頃から、彼は自分を育ててくれたスポンサーに対する忠誠心がないってすでに評判だっだ。それは常に気になるところではあったんだ。

そうは言っても彼は素晴らしいスケートボーダーだから、俺たちはそのリスクを負うことにしたんだ。彼は急速に成長して、脚光を浴びるようになっていった。そうして脚光を浴びることで彼は自信を持つようになり、継続的な給料のアップと将来についての計画を要求してくるようになった。もし別のより良いオファーがあれば彼は辞めるつもりだろうなって察したから、俺は彼に、計画的に君にここ2、3年での給料のアップとプロボードの約束をするためにには、契約書を作らないといけないよってことを話したんだ。そうすることで、俺たちが彼に投資した分を回収して利益として返ってくるまでは、彼がチームに留まるっていう保証ができるからね。一方で、彼は自分が辞めるスポンサーのことなんてほとんど考えずに、すでにいくつかスポンサーを鞍替えしてた。彼をプロにするっていう要望があったから、俺たちは彼のプロボードの計画を立てたし、彼はグラフィックのアイデアにもサインをして、そして俺たちは彼のプロボードを作ったんだ。彼はMysteryの次の年の、大きな一押しになるはずだった。

ところが一ヶ月後に、彼は(Mystery)を辞めてSkate Mentalのライダーになりたいと言ってきたんだ。俺は彼に、俺たちは既にいろんなことを進めていて、そんなに簡単な話じゃないってことを話した。そして既に彼自身も同意していた俺たちの計画をそのまま進めるために、6ヶ月間だけ留まるよう説得しようとしたんだ。次の展示会までには彼を自由にするってことでね。

NIKEの奴らが、Skete Mentalに移籍するようにって彼を後押ししてたって聞いた。それで、もし彼らやSkate Mentalが今すぐにでもそうしたいって言うなら、彼らはMysteryがTrevorを失うことによって被る損害を支払うべきだって感じたんだ。彼との契約の期間を考えて計算してみたら、だいたい30,000ドル(約300万円)になった。でもそれは誰にとっても払う額としては明らかに大きすぎるから、俺たちは彼に、もしNIKEとSkate Mentalに15,000ドルを支払わせられるのなら、君を出してやるし、残りは俺たちで何とかするって言ったんだよ。その次の日、彼はインスタグラムでMysteryを辞めたって発表してた。俺はStaba(Skate Mentalのオーナー)に電話して、彼との契約についての話をしたんだけど、「それはあいつの問題だから」って言われたんだ。

それでTrevor自身で支払うことになったってわけさ。俺も全然いい気持ちになれなかったよ。それに彼個人に支払わせるのは俺が意図していたことじゃなかったしね。でも彼のやり方が彼自身をそういう状況に追い込んだわけで、誰のせいでもなく、彼自身の責任だよ。

その金はそのままMysteryのマーケティングの予算に使って、彼の元チームライダーたちの給料の為に使った。この件では顔にクソを塗られたこと以外、何も得るものなんてなかったよ。

photo: matt price

大きな予算を持ってる大手のシューズブランドが市場を牛耳ってる今、FALLENのような小さくてインディペンデントなシューズブランドはどうやったら生き残れると思う?戦車相手に棒で戦うようなもんじゃない?

(大手のシューズブランドと)競争する唯一の方法は、彼らとの違いを明確にし、ライダーと社員たちが心からブランドを信じることだ。今はショップだけでなくキッズたちも、主流とは違ったものを探し求めているように見える。これはコアなブランドにとってはチャンスだよ。例えば、Active(有名なスケートショップ)はNIKEの取り扱いをやめた。なぜならNIKEとは目と目を合わせて話し合うってことが出来ないからさ。それから彼らは売り上げをカバーするために、EmericaやLakai、FALLENをもっと取り扱うようになったんだ。Active は全米で21店舗もあるからね、キテるよ!

90年代や00年代初期に設立されたブランドの多くは今苦戦していているか、もう無くなっちゃったか売られちゃったかしてるけど、これって単純にスケートカンパニーの自然な寿命(だいたい10年〜20年)だと思う?それとも他の外的要因があるのかな?

もちろん寿命ってのもあると思うよ。でもこういったブランドのほとんどは同じ試練に直面してる。自分自身を新しく生まれ変わらせるっていう試練さ。それと、多くのブランドのオーナーたちは疲れきってしまって、ブランドを売ってしまってリスクを無くしてしまいたいと思ってる。

ZEROのイメージって飽きられてしまったと思う?ZEROみたいなブランドが新しく生まれ変わるのってどうしたらいいの?

ハハ、飽きられたとは思いたくないね!自分を新しく生まれ変わらせるには色んな方法があると思うけど、俺にとってはっきりとした例は「Cold War」(ZEROが去年2013年に出したビデオ)だね。俺は自分たちのルーツに戻って、自分たちが90年代に作ったビデオと同じような感じのビデオを作る必要があると感じだんだ。時に新しく生まれ変わるってことは、自分がどこから来たかってとこに戻るってこともでもあるのさ。もちろん全く新しい方向性に行くって方法もあるよ。でも俺たちにとっては、自分たちの過去からインスピレーションを引き出す必要があったのは明らかだった。チームのライダーたちは皆、小さいときに「Misled Youth」を観て育ったからね。だからその頃のZEROを身近に感じられるんだ。だから俺たちの挑戦は、「Misled Youth」をもう一度作るってことだった。


(Threatの)プロスケーターのForrest EdwardsはThreatが無くなってしまった後どうするの?

Forrestには次のZEROのツアーに一緒に来ないかって言ってる。そこで彼がチームの他のライダーたちとうまく行くかどうかを見るためにね。なるようになるさ。

2014年4月30日水曜日

SPENCER HAMILTON VS モンサント

Expedition Oneのプロ、Spencer Hamiltonがプロに昇格したときのインタビューです。グラフィックが遺伝子組み換え作物に反対するメッセージ全開のグラフィックだったんですが、そのことについて話しています。

スケートだけじゃなくかっこいいぜスペンサー!!

TPPとも思いっきり関係しています。TPPによって遺伝子組み換え作物が日本にめちゃくちゃ入ってくることになります。

このインタビューにも出てきますが、手っ取り早いのは「モンサントの不自然な食べ物」というドキュメンタリーを観るのがおすすめです。






Interview: Seb Carayol

元記事:http://www.skateboardermag.com/features/spencer-hamilton-vs-the-food-industry/

「Monsanto kills(モンサントに殺される)」、これが2013年の初めごろにExpedition Oneのプロとなったスペンサー・ハミルトンの、一番最初のプロモデルデッキのグラフィックだ。モンサントとは、この地球上でもっとも批判を受けている多国籍食品企業だが、このカナダ出身の活動家、スペンサーがこのメッセージを世界に向けて発信することになったのは、単なる偶然なのだろうか?いや、そうではない。以下のインタビューで、スペンサーはこの板のグラフィックのこと、なぜこの物議をかもしている巨大な私企業の名前を載せることにしたのかについて話してくれた。インタビューを読めば、この23歳のプロスケーターが素晴らしいスケートスタイルを持っているだけでなく、政治的な道義心も持ち合わせていることが分かるだろう。


どういう風にして、反モンサントになったの?

はっきりと「これだ」っていう理由を挙げることはできないんだけど、食品に関するものをたくさん読んでたってのはあるね。当時目にするものは、何かしら食品に関わりのあるものだったんだ。その中でモンサントの名前がいつも出てきてた。それからChanny(Expedition Oneのボス)や他のみんなから「モンサント」とか「モンス」とかあだ名で呼ばれるようになるくらい、俺はモンサントの話をするようになったんだよね。

そういった食の安全について、気を付けながら育ったの?

いや、全く。正直、実家から離れて暮らすようになったのが一番大きいね。家を出た瞬間から、自分の食べるものは自分で買って、自分の面倒は自分でみないといけなくなる。自分で稼いだ金は、何か良いものに使いたいと思うだろ。でも、今みたいな考えになるには時間がかかったけどね。俺が実家を出たのは18歳のときで、長い間ロクなもんを食ってなかったよ。そういう段階だった。実家を出て最初のころの1年半は、コーヒーとツナメルト(シーチキンサンド)ばかり食べてたよ。

ツナメルトばかり食べ続けるのを辞めた、何かきっかけってあるの?

幸運にも、意識の高い人たちと出会えたことだろうね。Geoff Dermerには特に影響を受けたよ。彼はカナダでKitschっていうスケートボードのカンパニーをやってて、俺が17歳のときに初めて彼に会ったんだ。彼から「なあ、ちょっとしたスケートツアーをやるんだけど、お前も来るか?」ってすんごい軽い感じで誘われて、それで一緒にツアーに出たんだけど、ツアーでは草を吸ったり、いろんなクレイジーな話をしたんだ。もうその時には、俺も(食品のことについて)なんとなくは興味があったんだけど、まだまだGeoffとは比べ物にならなかった。彼は別にヴィーガンでも説教くさい人でもないんだけど、とにかく物知りな人なんだ。その時の会話がきっかけで、食品産業や特定の食品についての本を読むようになった。俺は18か19になってたね。そしてその頃から、肉をあまり食べなくなった。だから肉を食べるときは、(たまにしか食べないから)よりおいしく感じるよ。ちょっとの間は肉なんて食いたくもなかったけどね。


Ollie. Photo: Shad Lambert


この問題についておすすめの本ってある?

著者でいうと、Michael Pollanはいいね。でもぶっちゃけ俺は本を読んで育ったような奴じゃないんだよ。初めてちゃんと本を読んだのは、マジで高校に入ってからだったし。でも自分が興味のある本を見つけたときから、読書はやめられなくなったね。学校で読まされるものは読む気なんてしなかったけど。くだらなくてさ。

Michael Pollanの本でいいやつは、「The Omnivores' Dilemma」かな。彼のいいところは、科学者みたいなアプローチじゃないところだね。彼は今何が起きているのかを知ろうとしている普通の人で、そういう人がたまたまジャーナリストだったって感じなんだ。彼の書き方は事実に基づきながらも面白くて、退屈でもドライでもないんだ。

そうしてめちゃくちゃ本を読みまくってた時期は、インターネットでも調べて、読んだ本の著者たちがやってるレクチャーを何時間も観まくったよ。でもまぁ他の誰かと一緒に観て楽しむようなものじゃないからさ、「ヤベー、この食品の問題について3時間もやる会議を観ようぜ!」みたいにはならないけど、ハマって観てたよ。

それで君の普段の生活って劇的に変わったりした?

ある意味そうだね。物の考え方とかにも関わってくるからね。昔は馬鹿みたいに不安になったり、ちょっとうつ状態になったり、異様にムカついたりとか色々あったんだけど、今はもうない。どうしてそういう風だったのか分からない。だって俺にはムカつく理由なんてなかったんだからね。実家を出て一人立ちを始めてから、俺は自分の考え方や、周りで何が起こっているのか、そしてもっと一般的に、どういう風に人と接していけばいいのかとかを、学んできたよ。

「The World According to Monsanto (邦題:モンサントの不自然な食べ物)」はいつごろ観たの?この映画で、この会社が地球の食料品を根本的に独占しようとしていることが分かるよね。

19歳のころ、2009年に中国に行ったんだけど、(映画はその時に観た)。この映画のいいところは、今起きていることについての大きな視点を持てることだね。ベーシックで、包括的で、そして理解しやすい。監督の語り口も普通の人だし。映画を見れば、食品がどこからきて、そして実際に何が行われているのかが分かる。


自分の板のグラフィックには絶対に「Monsant Kills」を載せるべきだ!って感じだったの?

いやいや全然!実はこのグラフィックに関しては俺は全く口出ししてないんだ。マジだよ。そこがおもしろいけどね。単純にExpedition Oneのチーム内で俺がどういう風に見えてるのかってことだよ。俺はいつもモンサントについて話をしてるからさ、だから彼らはこれが俺にぴったりのグラフィックだと思ったんだよ。

俺としては、自分の板のグラフィックは何かリアルなものにしたくて、適当なグラフィックにはしたくなかった。それなりの人間じゃないと、そういうグラフィックは持てないし。俺にとってはリスキーだったけどね。なんていうか、マリファナの葉っぱを使ったグラフィックのほうが、板を売るためには安全策だからね。

でもこのグラフィックにしてマジで良かったと思うのは、確実に誰かはこのボードのメッセージを目にするってことだね。それにたくさんのいい反応が返ってきてるよ。みんなの中に、こういう考え方の種を植えられたらいいな。インスタグラムでキッズから「モンサントって何?」って聞かれたから、「気になるなら調べてみな!」って返したよ。超クールだよ。もし誰かがビデオゲームにドハマりしてたとしてさ、そいつがビデオゲームやってるグラフィックの板なんか出したって、誰が欲しがるんだ?っていう。まぁそれをいいと思う人たちっているかもしれないけど、俺個人としては、(グラフィックで)何かメッセージを出したいんだ。


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Thank you Seb for giving me permission to translate this interview!!

さてこのインタビューをしたセブが、新しい本を出したそうです。
その名も「Agents Provocateurs ~The 100 Most Subversive Skateboard Graphics of All Time~」!

The interviewer, Seb Carayol has this new book coming up called "Agents Provocateurs The 100 Most Subversive Skateboard Graphics of All Time"!

http://gingkopress.com/shop/agents-provocateurs/



今回のスペンサーのプロボードのグラフィックも入ってるのかな?物議を醸すような熱いメッセージの入ったスケートボードのグラフィックを集めた本です。超おもしろそう!!

2014年4月2日水曜日

THE PONTUS ALV INTERVIEW by JENKEM



JENKEMに掲載されたポンタスのインタビューです。

インタビューっていうか、もはや人生の教えを説かれているような感じです。

元記事: http://www.jenkemmag.com/home/2014/02/17/pontus-alv-interview/

JENKEM: http://www.jenkemmag.com/home/


In Search Of The Miraculousの冒頭で、ポンタスが彼のじいさんの屍体と一緒に座っている姿が映し出される。
俺の知る限り、スケートボーディングの歴史上こんなことをやった奴は今までいない。有名なビッグスポットであるEl Toroでキックフリップをトライするとか、ウォールライドをかますとか、他のこともできただろうに、彼は死についてじっくりと考える、というほうを選んだ。これは奇妙な選択だし、勇気のある選択でもある。結局彼のこういうところがスケートの歴史に刻まれることになるんだろう。ポンタス・アルヴは単なるスケートボーダーじゃない。彼は奇妙で、頑強で、そしてロマンティックな人間で、彼のビジョンは今のムーヴメントを形作る後押しをした。成長を続けるPolar Skateboardのボスとして、ポンタスはスケートボーディングのアンダーグラウンドを引っ張り、その有能な精神とヨーロッパでも屈指のクイックなスケートスタイルで、フォロワーたちを牽引し続けている。


アメリカ人のほとんどは、何人かの「スーパースター」以外、ヨーロッパのスケーターのことを注目も意識もしていないけど、それはどうしてだと思う?

それはものすごくアメリカ式の物の見方なんだと思うよ。スケートボードの歴史を見てみても、全てはカリフォルニアから始まったし、アメリカのメディア、カンパニー、そしてマガジンによって、あらゆることが決められてきた。もしスケートの世界で何者かになりたかったら、アメリカに行かないといけなかった。俺がガキのころはそういう感じだったよ。他に選択肢なんてなくて、世界中の人たちはアメリカを見ていた。もし君がアメリカにいなければ、それは存在していないことと同じだったんだ。

そういう物の考え方って今でも残っているとは思うけど、でも変わってきているよ。すごい速さで変わってきてる。今みたいにみんなが(アメリカ以外の)海外、ヨーロッパに注意を向けるになったのは、長いスケートの歴史のなかで初めてのことだよ。みんな新しいことや、他とは異なるものに注目している。(ヨーロッパのスケートは)カルフォルニア式のスケートや、カリフォルニア式の撮影方法とはかなり違うんだ。それに世界中のシーンが台頭してきている。日本のシーンは素晴らしい作品を生み出しているし、オーストラリアのPassportクルーもヤバいし、東海岸もかっこいいことをやっている。(こういうスケートシーンは)アメリカから離れて行ってるような感じがするよ。俺たちのヨーロッパ、日本、オーストラリアのシーンは全て繋がっていて、カルフォルニア式のスケートと激しく競い合ってる。それははっきりと見て取れるよ。かといって、別に警告とかそういうことを言いたいわけじゃない。今多くのカンパニーが、どうして自分たちはうまくいっていないのかってことを考えているけど、基本的には他に新しいものが生まれてるからなんだよ。今じゃヤバいヨーロッパ出身のスケーターが一人いるってもんじゃない。チーム全体、ブランド全体の規模なんだ。そしてインターネットのお蔭で、世界はものすごく狭くなってる。


photo: josh stewart


君はお父さんのアートワークを使ったり、普通とは違ったボードグラフィックを手掛けてるよね。どうしてああいったボードを出す必要があると感じたの?どうしてキッズたちはああいったものに興味があるだろうと思ったの?

自分のカンパニーを始める理由ってのは、基本的に自分がやりたいと思うことをなんでもできるからなんだ。それがメインの理由だよ。もちろん、カンパニーが大きくなれば、そこには定番モノも生まれるし、どんなものが売れるのか、売れないのかも分かってくる。でもだからといって、数字をカンパニーのベースにしちゃダメだよ。俺のじいさんも親父も、二人とも強烈なキャラだった。彼らはインスピレーションの源なんだ。たくさん影響を受けたよ。今は二人とも亡くなっているけど、素晴らしいアートワーク、写真、ペインティングなんかを残してくれた。俺はパーソナルなものを作るのが好きなんだ。だからウチのライダーたちにも、なにか自分の家族とか歴史にまつわるものはないかっていつも聞くんだ。家族の記録とか、写真、映像、アートワークとかね。板のグラフィックがパーソナルなものなのってイイよ。俺はそのライダーにとって意味のあるグラフィックが好きだ。

こういうことをやり続けることはとても大事だよ。利益や売り上げのためだけにモノを作るなんてことはやっちゃだめだ。もちろんたくさんの人たちが、ロゴボードやシンプルでクリーンなやつを欲しがってるのも分かってるよ。そういうのが売れるのも分かってる。でも、そういうのは俺たちのやりたいことじゃないんだ。俺にとっては、アートワークやグラフィックを前面に出すことは大事なことなんだ。時には他の人にとってちょっと謎だったり、違っていたり、パーソナルなものだったり、単純に変な感じのグラフィックの板を出すこともあるかもしれないけど、そういうものがこのカンパニーを形作っているんだ。それが全てのポイントだよ。俺たちは金が欲しくてやってるんじゃない。俺たちは自分たちの(スケートへの)パッション、愛のためにやっているんだ。もちろん会社が大きくなれば、ビジネス的なこともやらないといけないけどね。自分たちのMoney Cow(Cash Cow。ドル箱、黒字部門のこと)を持っていないといけない。楽しいことを続けるためにね。

オールドスクールな指なし手袋を作りたいんだ。指なし手袋をはめてスケートするのが個人的に大好きなんだよね。手のひらを守れるからさ。他の人からは、ちょっとゲイっぽいとかホモっぽいとか色々言われるかもしれないけど気にしないよ。俺は作りたいんだ。作った手袋が5つしか売れなくて、1000ユーロ大損することになるとしても俺は作る。知ったこっちゃないよ。でもたいていの場合うまくいくよ。実際に市場に出してみるまで、何が売れるか分からなかったりするからね。


ollie shifty nyc / photo: nils svensson


君のお父さんって、君が若いころに亡くなったの?

そうだね、俺は10歳だった。

それは君にとってかなり大きく影響したんじゃない?たとえばやる気やモチベーションの元になったり?どう思う?

そうだね。親父が病気になって、俺はまだ子供のころに自分の父親の看病をしなくちゃならなかった。彼が亡くなるまでね。亡くなるときまで、俺はずっと親父の傍にいた。子供ながらに自分の父親の看病をし、亡くなるのを見て、人生は永遠じゃないってのを悟ったんだ。俺たちは誰だっていつかは死ぬってことを分かっているけど、皆それをあえて考えようとはしない。In Search Of The Miraculousも同じことだよ。ビデオの冒頭で、俺はじいさんの隣で座っている。もちろん彼は死んでるよ。俺は彼と共にそこに座って、ただ死を見つめ、死を感じているんだ。死は危険なものじゃない。それは人生のごく自然な一部なんだ。俺たちはみんな死ぬ。だから死に慣れ親しんでおくんだ。そのために俺はそこに座り、じいさんの死体を見ながら彼にさよならを告げ、死と友人になっているんだ。そうすることで人生は少しだけ怖いものじゃなくなる。

それにモチベーションも上がるしね。朝起きて目を覚ますためには、俺たちには死ってものが必要なんだ。死というものがなかったら、人生は意味の分からないものになる。永遠の命を持っていたらって想像してみてよ。くだらないだろ。死があるから人生は生きる価値があるんだ。君が今若くて美しければ、それを最大限に生かすんだ。今から10年後には、俺は44歳になる。そのころにはちょっと太ってしまっているだろうし、あんまり魅力的でもないだろう。だから俺は今やらないといけない。今この人生を生きないといけないんだ。死の床につきながら、「ちくしょう、やり残したことがある」なんて思いたくない。俺は人生を生きて、自分の可能性を出し切ったってこと、たくさんの最高の友達を持てたってこと、いくつかの素晴らしい作品を残せたってこと、たくさんの素晴らしい経験をしたってこと、世界を見れたってこと、そういうことを分かって死にたい。

同感だね。死は自分のやっていることに背景を与えるのに役立つよね。

人生はそこにある。いつだって君の目の前にあるんだ。それを欲しければ、掴みに行かないといけないってことを、君は理解する必要がある。じっと座ったまま、夢が実現するのを待っているなんてダメだよ。全力でそれに向けて動き出さないと。そうすれば、夢は叶うかもしれない。もちろん頑張ったからって夢が実現できるっていう保証はないよ。でも挑戦しなけりゃ始まらない。もしかしたら夢は叶わないかもしれない。君はハリウッドの映画スターや、ロックスターにはなれないかもしれない。でもだから何だっていうんだ。君は挑戦する過程で何かを学ぶだろうし、そうすることで君は自分の人生を生きたことになるんだ。



君はいつもスケーターがオーナーの会社をサポートするべきだって言ってるけど、何年か前にEmericaを辞めて、スケートの外で誕生した会社(訳注:コンバース)からサポートされるようになったよね。これってちょっと偽善的だとは思わない?

スケート業界/文化のコアな部分やリーダーってのは、俺の意見では常にスケートボードのカンパニーが何をし、何を作るのかってことがベースになってる。全てはそこから始まって、それ以外のことは後からついてくるんだ。シューズのスポンサーや洋服のブランドの契約とかは、コアのムーヴメントを支えるものさ。コアなものってのは普通はあまり売れないから、100%インディペンデントのままで、スケーターがフルタイムでスケートできるようにサポートすることは難しい。でもドープなボードブランドのライダーになれば、ドープなシューズや洋服のスポンサーも付いてきて、それで生活できるようになる。これは業界内の秘密でもなんでもないよ。もし君がダサいボードカンパニーのライダーなら、普通、業界の人間は誰一人として君に近づこうとはしない。俺は実際にそういうことを経験してきたんだ。俺がMad Circleのライダーだったときは、イケてると思われていたから誰もが友達だった。俺がArcade Skateboardsのライダーだったときは、誰も俺のことなんか気にもしなかった。厳しい現実だけど、それはそういうもんなんだよ。イケてるブランドのチームに在籍して、ジャジーに君のスケートをプレゼンしてもらえなければ、君のスケートなんて何の意味もないんだ。

俺はCarhartt WIP(スケーターがオーナーのブランドじゃないけど、それは誰も気にしてないみたいだ)からサポートを受けている。彼らは12年もの間、俺のアイデアやビジョンを実現するサポートをしてくれた。Emericaにも10年サポートしてもらったけど、俺たちの関係は最終的にうまくいかなくなった。長年にわたってEmericaから受けてきたサポートには、本当に感謝しているよ。コンバースに関しては、俺はもともと彼らのシューズのファンだったんだ。ジャックパーセル、ワンスター・クラシックとか、クールだよ!一緒に仕事をする人たちは俺のビジョンやアイデアを理解してくれて、それが実現できるようにサポートしてくれる。でも俺はブランドにコントロールされたりしないし、何をしろとか言わせたりしない。俺の側からの取引はとてもクリアだし、俺のビジョンにはサポートが必要なんだ。でも俺のミッションは同じだよ。スケートボーディングのためにクールなことをするんだ。

カーハートやコンバースからの基本給がなかったら、俺は家賃や食費なんかをまかなうことができないし、Polar Skate Co.は今のような形にはなってなかっただろう。彼らがいなければ俺は他に仕事をしないといけなかっただろうね。俺は、スケートボードカンパニー(ボードブランド)はスケーターによって運営されることが大事だと思う。それだけだよ。


artwork by pontus alv


君がEmericaのライダーだったとき、あるインタビューで、Emericaは君をUSのチームに入れてくれないし、宣伝もしてくれないって言ってたね。どうしてだと思う?

それが理由で俺はEmericaを辞めたんだ。俺は自分がUSAの本当のチームのライダーだって気がしなかったから辞めたんだ。俺はヨーロッパチームの一人ってだけで、彼らは別に俺たちに何かしてくれるってわけでもなかった。スケーターとして君自身を表現するためのプラットフォームを持てるかどうか、そしてスポンサーは君の考えたアイデアを基に、君をスケーターとしてバックアップしてくれるかどうか。そこが問題なんだ。俺たちはいつも単なるヨーロッパチームにすぎないって感じだった。ヨーロッパの代理店、もしくは何かのヨーロッパ用のプログラムに組み込まれているに過ぎないだけ。いつだって3軍チームにいるような気分さ。DVDのボーナスの、ヨーロッパセクションにフッテージが収録されるくらいのもんでさ。俺たちはそういうのに嫌気がさして、自分たちで自分たちのことをやろうぜってことになったんだ。そして実行した。そして今、俺たちは彼らと競い合ってる。興味深いよね。

全てのカンパニーとまでは言わないけど、カリフォルニアの多くのカンパニーは今ビビっていると思う。なぜなら、スケートボーディングがもはやLAとかオレンジカウンティ―とかをベースとしたものではなくなってしまったからさ。今じゃスケートボーディングはグローバルなカルチャーで、世界中で動きが生まれている。もし世界中でプロダクトを売りたければ、世界中でアクティブに動いて、そしてサポートしないといけないんだ。マーケティングをして、チームを使ってグローバルなアプローチをする必要がある。俺たちはヨーロッパのいろんなところにライダーがいるし、日本にもサポートしているスケーターがいる。アクティブに何かをしていかないといけない。LAにいたまま、グローバルなマーケティングができるなんて考えちゃ駄目だよ。もうそういう時代じゃない。悪いけど、目を覚ませって感じだね。

アメリカのスケーターって他の国のスケーターとは違う態度をしていると思う?

いや、昔俺がサンフランシスコに住んでた時も今も、みんないいバイブスだよ。俺はアメリカのシーンからいつも歓迎されていると感じる。でも、もちろん嫌な奴ってのは世界中のどこにでもいるよ。嫌な奴は嫌な奴さ。俺はそうならないように気を付けてる。俺のことを嫌な奴だっていう人もいるかもしれないけど、俺はちょっとシャイなんだ。新しい人たちに囲まれすぎると、なんだか緊張してしまう。もし自分が他の人たちに対して親切であれば、他の人たちも自分に親切にしてくれると思うんだ。もちろん常にその通りとはいかないけどね。でも嫌な奴らだって、そのうち気付くよ。スーパースター気取りの嫌な奴でいたって、何の得にもなりはしないってね。そんな態度じゃ人生はいい方向に導かれていかないよ。注目されるようになって、自分のことをイケてると思って態度が悪くなるスケーターっているけど、お笑いだよ。自分がスケートボードでやっていることのお蔭で、何をやってもいいっていう許可証をもらったと考えるなんて馬鹿さ。君のスケートは素晴らしいよ、でも人としてはどうなんだ?ってね。スケートボードが上手いからって、それで嫌な奴になっていいってことにはならないよ。

more artwork from pontus alv


宗教とか、スピリチュアルな力とか、そういうのって信じてる?

正式な宗教とかは持ってない。俺はクリスチャンじゃないし、特定の神も持たない。でもカルマに関してはある程度信じてる。俺は誠実に生きて、正しいことを行うように心がけてる。もしそうせずに、嘘をついたり誰かをひどい目に合わせてしまったりしたら、そういうことは自分に返ってくると思ってる。だから俺は昆虫を殺すときとかも時々嫌な気持ちになる。でも肉は食うんだよ。意味わかんないよね。

映像を作っているときに、スピリチュアルなパワーと繋がったような感覚になったことはあるよ。6ヶ月7ヶ月も、1日10時間も座り続けて、2秒間のシークエンスのためにフレームを一つずつ動かしていくような作業をしてるとさ、何日も、何週間も、何か月も瞑想しているのと同じような感じになってくるんだ。編集作業にどっぷり浸かっているときに、自分の内側になにかエネルギーのようなものを感じ始めるような、瞑想みたいに何かと繋がったような経験をしたことがある。説明できないけど、それは恐いものじゃない。自分をオープンにして、そのエナジーを自分の中に入りこませるんだ。俺はそういった力を自分の体の中に入れることや、何をするべきかについてそれらのエナジーの声を聞くことを恐れたりしない。

Do you find that alcohol, weed or any substances help you skate better or be more creative?
アルコールとかウィード(訳注:大麻です)とか、そういったものは上手にスケートしたり、よりクリエイティブになるための手助けになると思う?

酒を飲むのは大好きだよ。大麻を吸うのも好きだ。俺がまた大麻を吸いだしたのは、Aaron Herringtonのおかげだよ。彼はアメリカ人だからさ、大麻を吸うの好きなんだよね。俺は会社のことですごくストレスが溜まってたから、夜とか仕事終わりとかにリラックスするために、また吸い始めたんだ。ジョイント吸ってちょっとぼーっとするのさ。むちゃくちゃ草好きってわけじゃないよ。若干馬鹿っぽいけど、今はそういう感じだね。クリエイティブでいることとスケートに関しては、シラフか、たまにはちょっと酔っぱらっているぐらいでもいいね。でも撮影するときは駄目だ。俺はシャープに、細かいところまで正確でいたいんだ。



今後5年とかそこらの間に、スケートの業界はどういう風になっていると思う?

もっとグローバルなものになると思う。スケートボーディングはバブルみたいになるだろうね(訳注:いわゆる日本で言う「バブル」とは違う意味です)。いろんな違うシーン、ローカルで繋がったブランドやスケーターたちが、泡の様にたくさん出てくると思うんだ。それらのいくつかはお互いに交流しあって、色んなことをしていくと思う。今みたいにLAのバブルひとつで世界中をコントロールしているような状況にはならないだろうね。俺の予想は間違ってるかもしれないけどね。もちろん商業的なものも、もっと入ってくるだろうけど、俺からすると、それは大きな贈り物さ。Monster、Street League、そういうもの全てに感謝さ。ああいうのはアンダーグラウンドをより強くするだけだよ。たくさんの人たちが、ああいうものとは違う方向に方向転換している。それは俺たちにとってはプレゼントだよ。

そうだね、そういう両極端なものがないとスケートは面白くないよね。

その通り。素晴らしいことだよ。奴らがオリンピック的な考え方や、ESPNみたいなスポーツチャンネル、Street Leagueみたいなコンテストをスケートボーディングに持ち込もうとすればするほど、たくさんの人たちがふざけんなってなって、コインの別の面を見ようとする。俺たち(Polar)や、Palace、Magenta、Welcome Skateboards、Hopps、Theories of Atlantisが扱っているすべてのブランド、こういったブランドが生まれ、オリジナルなことをやっている。最高だよ。でも心配も常にあるけどね。もし俺たちがビッグになってしまったら、どうなるだろう?はたして今と同じでいられるだろうか?っていう心配がね。俺はそのことをしっかりと認識しているよ。スケートボーディングの歴史を見てみればさ、GirlはRocco(World Industries)がいやになって生まれたんだし、そのRoccoはPowellやH-Streetとかから抜け出した人だ。(会社が)大きくなってしまって、自分が何になりたかったのかを見失うかもしれないってのは、マジでこわいよ。

pontus films hjalte halberg / photo: josh stewart


そうだね。そんなに長い間ブランドを維持するってのはかなり大変だろうと思う。Girlは去年20周年だったけど、ハンパないよね。

そうだね。でも物事ってのは古くなる。どんなに君のやっていることが素晴らしくても、みんな「ああ、これ知ってるよ」って感じになってしまう。一つの領域であまりにも確立してしまうと、そこから変化することが難しくなる。きっと彼ら(Girlのライダー)の多くはVX-1000(訳注:HD登場以前にスケートでよく使われていたビデオカメラ。未だに愛好者多し。)を持って、LAで何か適当に撮影して回りたがっていると思うんだけど、そういうことはGirl全体の方針や歴史とは完全に反することになってしまう。もしMike CarrollとKostonがVXで撮影した映像を出したとしたら、みんな変に感じると思うんだ。そういうのはPretty Sweetや彼らが辿ってきた道とは正反対だからね。自分自身のアイデアの枠に囚われてしまうんだ。だから一つのコーナー、ひとつの領域に自分自身を閉じ込めてしまわないようにするのは、本当に大事なことなんだ。バリエーションを持って、新しいことや違ったことを同時にやらないといけない。そうすれば一つのイメージに固定されずに済む。それがうまく長く続けるコツだと思う。

いままで自己中心的だって言われたことってある?

うーん、そうだね、わからない。「エゴが強い奴だ」って言われても気にしないけどね。ただ俺は自分が何をしたいのか、どのようにするべきか、どのように見えるか、そういうことについてものすごく明確なビジョンがあるんだ。俺は他人を喜ばすために自分のビジョンを曲げたりしない。そういうことを、ビジョンを持っていると言うのか、エゴを持っているというのかは分からない。でも理解してくれる人たちがいて、「ポンタスのやりたいようにやらせよう、それをみんなが気に入ってくれたらいいじゃないか」って感じでいてくれる。俺は他人を喜ばせるためじゃなく、自分のやりたいようにやる。それか何もやらない。そういう風じゃないと俺は何もできないんだ。

オーケーありがとう。インタビューはこれで終わりだよ。

スケートボードの話はしなくていいの?

2014年2月21日金曜日

Anthony Pappalardo Interview by 48 Blocks



48 Blocksのパッパラードのインタビューです。1年以上前のインタビューですが、気になってた人多いと思うので、訳しました。


翻訳はちゃんと48 Blocksから許可を得ました。ありがとう!
Thank you 48 Blocks for allowing me to translate this interview!

元記事: http://site.48blocks.com/anthony-pappalardo
48 Blocks: http://site.48blocks.com/

Anthony Pappalardoに一体何があったのか?そう思っている人は多いと思う。彼はすべてを手に入れていたように見えていたのに、ある日突然姿を消してしまった。はたして彼はドラッグにハマってしまったのか?それとも怠け者でモチベーションをなくしてしまったのか?それとも何か深刻な怪我でもしてしまったのか?残念ながらこうした推測は、実際に彼が経験したことに比べたら、よっぽどマシなものだった。これは暗い話だが、俺たちはここから価値のあるレッスンを学ぶことができる。4か月前、何があったのかを話してくれることを期待して、アンソニーに連絡した。そして彼から正直で、そして自己反省的な話を聞かされることになった。

48 Blocks:コンバースの話から始めようか。君のシューズのスポンサー契約に何があったの?

Anthony:ネガティブだったりビターな感じのインタビューって、ダセーなってずっと思ってたんだけど…誰かが悪口とか不満を言っているのを読んだり聞いたりした後は、スケートに出かける気がなくなるからね。悪口とか不満をぶちまけるのは簡単さ。それよりもスケートしに出かけろよ、そっちのほうが難しいんだから、っていう。…俺はこの質問をもらってから、それに対して答えることを避けたり、話を作っちゃったり、あからさまに嘘をついたりしている自分がいることに気付いたんだ。(答えを書いては)全文選択して、コピーして、デリートして…明日またやろうっていうことの繰り返しだった。この質問に対して正直に答えようとするなら、最悪だけど、どうしたってポジティブなものに変えることはできないってことを納得できるまで、そんな感じだったんだ。

俺がこういうインタビューを受けたり、ビデオパートに参加したりするのは、他の人たちに「スケートしに行きたい」っていうインスピレーションを与えられることを願っているからなんだ。それが動機なんだよ。もし俺の願いの通り、誰かがスケートしたいと思ってくれれば、それ以上の喜びはないよ。今までも、そしてこれからも、それは価値のあることさ。今まで俺がスケートでやってきたことを気に入ってくれている人たち、いや、そんなのどうだっていい。俺のことを好きじゃなくても、スケートしてるみんなに対して、俺は真実を語る義務を負ってると思うんだ。


過去15年間(実際に自分にチャンスが与えられてたのは12、3年かな)、俺は懸命に働いてきたけど、憶測や嘘、勝手な推測で、俺はすっかり燃え尽きてしまったとみんなから思われるようになってしまった。そもそもそういう嘘が作られたり存在している理由に最初に気付いたのも俺なんだけどね。多かれ少なかれ、俺は自分のキャリアを通じて常にそういう嘘や憶測と付き合ってきた。もし誰も本当のことを知らなければ、そういう嘘だったり憶測ってのは生まれてしまうものなんだ。

今すべてを振り返ってみると、幸運にも経験できたこと、自分自身を誇りに思えること、光栄に思うこと、何かを成し遂げたという感覚、そういう自分の指では数えきれないほどの多くのものを、俺はスケートボードからもらったよ。君の質問に直接関係している話っていうのは、そういうものの中でも最後のもので、なおかつ一番最近のことだから、それまでの経緯を踏まえて話すね。俺は関わってきてくれた全ての人たちに感謝したい。そして君の質問にきちんと答えられるようにがんばるよ。


―学校から帰って留守電を聞いたら、(Rob)Drydekからメッセージがきてた。

―それから正式にAlien Workshopのアマになったとき、Castrucciがコマーシャルを作ってくれた。

―路上で歩いたりプッシュしたりしながら(今でもどの通りだったか覚えてる)、携帯でRick HowardとChocolateのチームに入ることについて話した。一か月後にMezaからメールがきて、Crailtapを見てみろって言われて見てみたら、Evan Hecoxが描いた俺のポートレートが載ってたんだ。

―Lakaiのビデオ(Fully Flared)でパートを残した。


―そして最後は、友人たち、家族、プロスケーター、俺がこれまで生きてきて尊敬してきた人々、そういう人たち全員が、コンバースのシューズに俺の名前が載ることを祝うために、パーティに集まってくれた。そこにいた全員が認めてくれて、悪口なんかもなく、みんなで俺を祝福してくれたし、俺自身も物事は順調に前に進んでいると思ってた。みんなもメディアも喜んでいたし、それにおそらく、俺はそれを受けるのに値していたんだと思う。今から3年前のことだね。



これが俺とあの会社(コンバース)について、俺が知ってたことだよ。俺はあの会社に自分のキャリアすべてを賭けて、10年以上在籍した良好な関係だったシューズカンパニーを辞めたんだ。俺がコンバースのライダーにならないかって誘われたのは、ここ10年で一番デカくて、一番観られたスケートビデオ(訳注:要するにFully Flared)で俺が残したパートが世に出た、1か月後のことだった。

その時のコンバースは、まだ具体的なアイデアもなかったし、シューズのデザインもチームもなく、彼らは人を集めるのに苦労していた。理由は明らかさ。今まで懸命に働いて投資をした結果手に入れた、人生の安定を捨てるリスクを負ってまで、まだ存在すらしていない会社のライダーになりたいと普通は思わないよ。それに(コンバースは)過去に少なくとも2、3回スケートシューズに参入して、失敗してきてるっていう歴史もあったからね。それに彼らは一生安泰な契約を提示してきたってわけでもない。少なくとも俺にはそういう契約は来なかったよ。

色々やりとりした結果、最低でも俺がLakaiから当時もらっていたのと同じ給料を払ってもらうってことは約束させたんだ。危ない橋だったよ。デカいリスクさ。でも俺はそれを選んだ以上、それをやり通さないといけなくなった。俺はうまくいくと信じる必要があったし、ちゃんとしたやり方でやればうまくいくってことは分かってた。俺も彼らも、どうやって形にしていくのか同じ意見だった。当時はLakaiのビデオが出たばかりの時で、彼らは俺を必要としていて、そして実際に俺を手に入れたんだ。たいした話じゃないよ。ビジネスさ。

(コンバースのライダーになって)最初の2年間はメローな感じだったよ。今まで在籍した他のスポンサーと同じ感じだった。で、ちょうどその頃に、俺のモデルを出そうっていう話にもなってたんだ。順調に見えたよ。コンバースはうまいこと行きはじめて、ようやく安定してきていた。立ち上げ当初にあったリスクも、その頃にはもうなくなっていたんだ。すると突然みんなライダーになりたがったり、何かしら関わりたがるようになった。

そういう状況は大歓迎だったよ。俺はこのコンバースのスケートラインがうまくいくように、いろんな意見を出したり、誰々を入れようとか、いろいろ手助けをしてきたからね。会社にとって最善なこと以外何も望まなかったよ。他の俺が在籍している会社と同じさ。良い方に成長を続けていけるようにってね。そしてその通りになってた。うれしかったよ。俺は自分が在籍する会社には誇りを持ってる。俺はベストでかっこいいチームやカンパニーのライダーにしかならない。それ以外に自分のためになる道ってのはない。俺は幸運にも、そうしたチャンスに恵まれてきたんだ。




でも2年が経ったその同じ時期に、コンバースは俺のメディア露出が少ないって文句をちょろちょろ言い出し始めたんだ。クソな話だけど、メディアに出た際の著作権とかは全部コンバースが所有することになってた。彼らは俺のモデルのリリースやそのプロモーションの為に金を使ってたから、それは理解できるんだ。で、そのころEpicly Later’dの俺のエピソードが公開されて、いい反応が返ってきてたし、Mezaがこっちにやってきて一緒にRedのコマーシャルを作った。それまでの12年間となんら変わりなく、順調に物事は進んでいるように思えたよ。このころには、みんなが俺のLakaiのパートを理解し始めてくれたみたいで、キッズたちが興奮して俺のところに来てポジティブな反応やサポートをくれるようになってた。気持ちよかったし、俺はその頃も今日と同じように、そして2年前とも、5年前とも、初めてスケートボードを手にした次の日とも同じように、スケートしてたんだ。

その頃はコンバースとの契約更新の時期だった。オリジナルのチームライダーは契約の再交渉をする必要があった。そして、彼らは新しいライダーをチームに入れようとしていた。皮肉な話だけど、俺が自分の15年のキャリアの中で、順調だなっていう自信がちょっとでもあった時期ってのは、この頃の数ヶ月だったよ。コンバースは俺のモデルの最初のラインをリリースしようって頃で、それを祝うパーティをその2週間前に開いてくれたばかりだった。俺はどっかの南の島でマイタイを飲んでるようなクソ野郎なんかじゃなかったよ。そもそも俺は5年前に酒をやめてたし。

でも文字通り突然、まったく理由もなく、彼らは俺に対して物凄く汚く冷淡な態度を取りはじめたんだ。マジでどうしてだか分からないよ。噂では、俺のモデルは売れてるって話だった。正直それが本当だったかどうか、俺は今でも分からない。でもニューヨークのキッズはみんな俺のモデルを履いていて、どこに行っても見かけるように思えた。コンバースは俺のモデルをトータルで3年間、つい4、5か月前までに20色以上ものカラーウェイを出してたことから考えると、俺のモデルは成功したって言っていいんじゃないだろうか。

―でも俺のモデルの最初のラインが出た後で、コンバースは俺のことも、俺のモデルのサポートもやめてしまって、俺は完全に干されてる状態になった。




そして俺は彼らから、「お前が今までスケートでやってきたことが理由で、お前のモデルを買ったりサポートしたりする奴なんか一人もいない。だからシューズにお前の名前が載ってることは(売上とは)関係ないってあきらめろ」って言われていたんだ。思い返すと、そのことを聞かされて、俺は精神的に狂わされてしまったんだ。なぜなら俺はそれを信じてしまったんだよ。その頃俺がスケートに出かけると、毎日、一日中、キッズたちからポジティブな反応をもらったけど、俺はそれを信じなかった。今はそれから約3年が経ったけど、今でも俺は自分のプロスケーターのキャリアのどの時期よりも、多くのキッズたちに話しかけられる。俺は今でもそのことで辛い気持ちになるんだ。

マジで俺があの会社のために、手助け以外の何をやったのか教えてほしい。色んな方法で、彼らが必要としているものを提供し、会社を軌道に乗せる手助けをしてきた。成功したプロモデルシューズ、Googleで検索すれば俺とコンバースのことについての、キッズたち、スケートショップ、みんなからの100ページ以上にわたるポジティブな反応。今でも「Cons skateboarding」って検索すれば、画像で一番最初に上がってくるのは俺の画像だし、しばらくはずっとそのままだと思うよ。俺はもう今じゃコンバースのステッカーが欲しいと思っても、誰に連絡したらいいのかも分からないのにね。

6か月前に、ニューヨークのブロードウェイにある大きなコンバース・ストアに行ってみたんだ。俺が店に入ったとき、親戚と旅行で来ている風の2人のスケーターのキッズがいて、最終的に俺の名前が載ったシューズを買ったんだ。俺は店の半分くらいからそれを見てたんだけど、気持ちが凹みすぎて、すぐに店の外に飛び出さないといけなかった。そのキッズのひとりはChocolateのTシャツを着てたんだ。もしその日俺のポケットに10セントでもあったら、コンバースの誰とでも賭けをしてたよ。キッズたちが俺のことを知ってるかどうかってね。

この出来事は、コンバースから俺が関係しているものをサポートしたいと思うキッズも、ショップも存在しないっていわれた2年後のことだった。むちゃくちゃだけど、そうやって彼らは俺をとことんまで搾取したことを正当化したんだ。話には聞いたことがあっても、君がコスタリカの掘立小屋に住んでるヒッピーでもない限り、とても信じられないようなことを彼らは実際にやろうとしていたんだよ。まさか人間がそんな汚いまねをできるなんて、普通だったら考えないよ。

俺がライダーとして在籍し、そしてまた契約を更新しようとしていたこの会社の人たちにとって、俺の価値や功績ってのは俺が彼らと契約していた2年間のことだけで、そして俺は彼らの基準を満たしていないって言われたんだ。でもそんなの完全なデタラメだよ。俺はその頃も今まで通りのことをやってたんだからね。それから後のことは俺の責任だし、それは受け入れるけど、俺が彼らから言われたことは、偽善的で空々しいとしか言いようがないよ。

そもそも俺がコンバースと契約するきっかけになったのは、彼らとの契約の1か月前に出たビデオパート(Fully Flared)だろ。彼らが俺のキャリアのある時期だけをピックアップして選べる、なんてわけにはいかないんだ。今までだって(プロスケーターのキャリアっていうのは)そういうもんじゃなかった。簡単なコンセプトさ。もし誰かのスポンサーになるっていうことは、その人が持ってる全て、全ての歴史をひっくるめてってことさ。これは明白な事実だよ。




これは、たとえばKenny Andersonみたいな人にとっては常にアドバンテージになるし、そうあるべきだ。なぜなら彼は20年間もキャリアを続けていて、懸命な努力と才能がなければできないものを築き上げたんだからね。彼と同じものを築き上げることができる人は多くないよ。多くのトライと失敗を経た結果、彼は会社にたくさんの貢献をしているんだ。まだ本当のフル・ビデオパートを残していなかったり、最近残したばかりの奴らとは比べられないよ。別に初めてのパート自体は何も悪くはないけどね。誰にだって初めてのパートってのはあるんだから。俺にだってある。でもさ、デカいパート(Fully Flared)をコンバースとの契約の1か月前に出してたってのに、まるで俺が今までスケートで何もやってきたことがないかのように扱われるとしたらさ、それは見え透いた汚いビジネスさ。


“再契約交渉”の電話をしてるとき、目の前が真っ暗になった。むちゃくちゃなことばかりだった。相手がこう言ってたのを今でも覚えてるよ。

「アンソニー、コンバースのライダーってのは全員Aランクのプロなんだ。それが俺たちのブランドなんだよ。正直言って、君はCランクのプロだ」

俺は今までの人生で、これほど侮辱されたことも、あ然とさせられたこともなかったよ。どういう神経してたら、そんなことが言えるんだ?ただ無言のままシーンっとなってたのを今でもはっきり覚えてる。その間、めちゃくちゃ色んな事が頭ん中を駆け巡ったけど、一つも言葉にできなかった。相手は1か月前に俺のシューズのリリースパーティを開いてくれて、目と目を合わせて話してた奴らなんだぜ?ただもう、死ぬほど気持ち悪かった。

でもその時は、きちんと挨拶して電話を切ったんだ。そして正式に「俺はスポンサーを受ける資格のあるレベルじゃないんだ、だから再契約もない」ってことが分かった。文字通り、俺はコンバースからはもうスポンサードされてなかった。おまけにその前日には、Elwoodがスケートチームにはもう給料を払わないってことを決めたって話も聞かされてたんだ。ラカイのビデオの後で、俺は他のオファーも受けてたけど、それらを断ってElwoodに残ることを決めたんだけどね。これで終わりさ。文字通り、彼らは指先ひとつで俺のキャリアを思い通りにし、そして早々と終わらせたんだ。この会社は俺からすべてのものを奪い去ってしまった。俺以外のチームのみんなは再契約し、他に新しいライダーも加わった。1か月前に、彼らは俺の名前の載ったシューズをリリースしたってのにね(そしてそのシューズはつい2か月くらい前まで出続けていた)。俺にどれだけの市場価値があるのかをテストするには最高の方法だっただろうね。

みんなが分かってないことは、俺からするとなんで分かんないのか分かんないけど、君がもし実家に住んでる15歳なんかじゃない限り、スケートに乗ることで発生していた給料が支払われなくなったら、その時点で終了だよ。もう、自分が考えていたトリックを撮影するためにはどうすればいいか、なんて考えて努力することも、時間をかけることもできないんだ。そうしたことは全て窓から外に出て行ってしまった。その窓こそが、スポンサーシップの要点さ。

電話を切ってから1日とたたないうちに、その日の夕飯をどうやって食おうかってことが心配になった。もはや純粋に自分の生存本能に従って生きるしかなくなって、そして一番キツかったのが、俺がこの嘘と真実の二重生活を送っていたってことを、誰も知らなかったってことだね。俺はまだ、彼らの期待に応えるために「(コンバースの)プロスケーターとして」スケートしている、ていう嘘さ。でもそんなフリを続けるのは無理だよ。信じてほしい。俺はそれでも頑張ってやろうとしたんだ。ここ2年半、俺はそうやって過ごして、だからコンバースが俺に対してやった仕打ちが明るみに出ることもなかったんだ。

―その夜2時間後くらいに、「アンソニー、こうなってしまったのは非常に残念だと思っているよ。だから、次の2年間の契約はこういうのでどうだろう?・・・」っていうメールがきたんだ。(その契約の内容は)屈辱的だったよ。俺がラカイのアマチュアライダーだったときのほうが、よっぽどいい給料をもらってた。でも俺は壁を背にして考えたんだ。他に俺には選択肢はない。これにサインするしかないってね。その時コンバースは俺のモデルを出したばかりだった。そして今自分に必要なのは、Chocolateのビデオのための撮影ができる状態を作ることだって自分に言い聞かせたんだ。つらかったよ。だってそのコンバースの給料じゃ、それ(Chocolateのビデオのために撮影する状況を整えること)は難しいだろうってこと、そもそも家賃すら満足に払える金額じゃないってことが分かってたからね。

それでも、コンバースがその契約を守っていたなら、俺はその少ない給料でも心待ちにしただろうけど、彼らはその契約すら守らなかったんだ。そしてその間でも俺はコンバースに忠実だった。今でも毎日、俺は興奮したキッズに会う。たぶん俺は彼らの好きなプロスケーターなんだろうと思うよ。でもキッズたちは、俺が今日の夕飯を食うために、道に落ちてる屑金を拾ってるってことを知らないんだ。事態はそのくらい悪くなってた。なぜなら俺がサインした契約書ってのは単なるギミックだったんだ。コンバースは俺のモデルが一番売れてるってことに気が付いて、それでまだ俺がコンバースのライダーであるように見せないとマズいから、俺が必要だったんだ。それから半年ごとに、それがどのくらい続いたのか知らないけど、俺の名前の載ったシューズが色違いでリリースされ続けた。




もし俺がクビになったって話が出回ったら、特にその時期はすごく変な感じに見えただろうね。だって俺はまだツアーに出てたからね。Kenny (Anderson)のコマーシャルの手伝いをするためにVegasに行ったときのことを覚えているよ。俺は電話で「マジな話ポケットに一銭も入ってないよ。旅の計画をしてたけど、空港まで行く金すらない」って話をした。でも気合いでその旅は実行したんだ。そして例の偽の契約だけど、結局その通り、偽物の契約になった。彼らは契約を実行しなかったんだ。月日が過ぎても俺が聞かされるのは言い訳と作り話ばかりだった。「小切手を確認する担当者は今休暇中で、いつ戻るか分からない」みたいにね。俺はマジでうんざりしながら「俺は今本当に腹が減ってて、食わなきゃならないんだよ」って話してた。俺は「コンバースのライダー」なのに、金を払ってもらえず、完全に地獄の日々を過ごしてたんだ。そして彼らからは「スケートしてない」だの「何か残せ」だの言われていた。実際傍目から見たら、俺はそういう風に見えただろうね。

その再契約のメールから、実際に彼らが俺に何かしてくれるまでには1年以上かかった。そしてその頃には、そんなこと何の意味もなくなってったんだ。最初の月で俺は家賃を払えなくなり、3か月たったころには俺は家を立ち退くように言われ、4か月たった頃には、持ってる物をどうしたらいいのか分からなくて、不安でたまらなくなった。なぜなら俺はもう基本的に家を失ってたからさ。でも半年もしないうちに、そうした心配は無用になった。俺は自分が持っていたものを全て、売るか質に出すことになったんだ。俺は文字通り人生と戦ってた。

この頃の3年間のあいだに、俺はコンバースから自分のプロモデルを出したんだけど、そのうちの2年半は、たとえ俺が欲しいと思っても、俺は自分のモデルを買う金すら持ってなかったんだ。そして悔しいのは、この時期も俺はほとんどの全ての人たちから支持されてたってことさ。毎日スケートに出かけてキッズたちに出会ったし、そして俺は彼らの期待応える自信もあった。でも、俺は嘘の中で生きていて、そして周りからは何もしていないように見えていた。俺が皆の期待に応えるために必要な生活は、彼ら(コンバースに)にかかってたんだけど、彼らからのサポートは得られなかった。ストリートの名声だけじゃ家賃は払えない。そしてショックなことに、会社が自分の名前が載ったシューズを、20種類以上のカラーウェイでリリースしていても、家賃を払えないんだ。俺はただ、スケートして生活できるだけのチャンスが欲しかっただけなのに、俺はそのチャンスを与えられなかった。

48 Blocks:今でも木の椅子とかってたくさん作ってるの?最近はスケート以外のクリエイティブなものに、どのくらい時間を使ってるの?

Anthony:いや、今はやってない。俺の小さな作業場は約3年前になくなったよ。ふたつ冬を越えるくらいの期間、俺は幸運にもニューヨークで自分の場所を持つことができ、忙しくもの作りをすることができた。素晴らしい経験だったし、短い期間だったけど色んな事を学んだよ。スケート以外のクリエイティブなものに時間を使うってことからは、だいぶ長い間遠ざかっているね。でも十分やったよ。(木の椅子を作ったりすることは)クリエイティブな欲求を吐き出すには十分だけど、完璧な満足感や、充足感を得られるほどじゃない。それに(慣れると)簡単になりすぎて、ある日起きると退屈なものになっちゃうんだ。考えることをやめたら、そうなると思うよ。



48 Blocks:君は昔からクリエイティブなスケートをしてきているよね。インタビューでも、君はギャラリーに行ったり絵を見たりするところからスケートのインスピレーションを得ているって言ってたけど、君がスポットを探すときは、写真や映像を残すのにかっこいいなと思えるスポットを、意識して探すようにしているの?そういう要素って、君のスケートのどのくらいの部分を占めてるの?

Anthony:そうだね。(スポットの見た目は)ほとんど異常なレベルで気にしてるね。褒めてくれてありがとう。

48 Blocks:Ginoも君もロングアイランド出身で、二人ともツンとしてるし、Chocolateのライダーだし、どうしても二人を比べたくなっちゃうんだけど、君が小さいころ、ロングライランドでGinoを見かけたりした?その頃に一緒に滑ったりしたことってある?

Anthony:俺がGinoと比べられるとき、いつもとんでもないって思うんだけど(理由は明らか)・・・彼にはすごく影響されたけど、それとロングアイランド出身なのとは関係ないよ。俺がやっと家の敷地から出られるようになったくらいの小さいころには、彼はすでにLAにいたんだからね。だから一度もGinoを(ロングアイランドで)見たことはないよ。初めて会ったのは、スケートボーダー(雑誌)のイタリアツアーの時だと思う。他にGuy(Mariano)、(Mike)Carroll、Keenan(Milton)、(Jason)Dillとかがいたよ。みんな俺の大好きなスケーターだった。今でも当時と同じ理由で彼らのことが好きだ。彼らは他の誰よりもスケートボードにうまく乗ってたんだ。

48Blocks:君のスケートキャリアを通じて、ほとんどのフッテージはBill Strobeckが撮っている気がするんだけど、Billが他のフィルマーと違うところっていうのはどういうところなの?

Anthony:ビルは友達さ。彼のことをちゃんと話そうとしたらすごく長くなるよ。何かしら特別な存在だね。俺がまだ15歳のころのある夜、スケートの撮影をしに行かないかってBillからいきなり電話がかかってきたんだ。そして次の日の朝10時に集合して、シーポートの近くでやったラインを撮影したんだ。結果は知っての通り、YouTubeにもたぶん上がってると思うよ。




他にもTy(Evans)や(Arron)Mezaとかとも撮影してきたけど、正直みんな同じいいバイブスだよ。もし俺が誰かと撮影をするとしたら、その時点で必要な信頼関係はすでにできてるんだ。Billは撮影もうまいし、自分だけのスタイルを持ってるから、余計にいいよね。

48 Blocks:今まで数えきれないくらい同じ質問されてきたと思うけど、Brian Wenningとのことを聞かせて。君たちは昔親友同士だったけど、それから何があったの?今のBrianの状況をどう思う?今また会うようになったりした?最後に彼と話をしたのっていつ?

Anthony:少なくとも10年はBrianと会ってないね。最後に会ったのがいつどこだったかなんて、もう思い出せないよ。今何をしているのかも知らない。もちろんみんなと同じように時々噂話だったり、インタビューとかを見たり聞いたりはするけど、彼も個人的なこととかでタフな何年間かを過ごしたみたいだね。彼だって人間さ。彼には健康で、そしてハッピーでいて欲しい。本当にそう思う。

48 Blocks:君は色々とツアーに行くよりも、ニューヨークかその近郊でほとんど撮影していたみたいだね。ニューヨークに限定してスケートするのはどういう魅力があるの?

Anthony:ただ俺がそれしか知らないだけだよ。

48 Blocks:君はインスタグラムで自分のChocolateのポートレイトをいろんな髪型をに変えて、その画像にコメントしていたね。最近のスケートの世界ってイメージ先行になりすぎてると思う?

Anthony:そうだね。いつだってそうだよ。そうじゃなかった時なんてなかった。羊は人間を真似ようとなんてしない。でも残念なことに、人間はそうじゃない。

48 Blocks:今のChocolateとの関係はどうなってるの?まだ彼らからスポンサードされてるの?もしそうなら、財政的な問題以外に、君がPretty Sweetで1トリックも入ってなかった理由ってあるの?もしもうChocolateのライダーじゃないなら、何が起きたのか、そしていつ正式にChocolateを抜けることになったのかを教えて。

Anthony:残念ながら、この小さなメロドラマはハッピーエンドじゃないんだ。俺の過去15年間を形作る手助けをしてくれた、全ての人には感謝したい。特にここ2、3年の俺を助けてくれた、限られた少ない人たちには本当に感謝したい。人生の流れ(の厳しさ)と人々(の優しさ)との違いはかなりドラマティックだよ。この人たちのお蔭で俺は住むところがあったし、腹が減ってるときに食わせてもらえた。その人たちの名前をここでリストアップとかはしないけどね。彼らは自分のことだって分かってるから。

今のコンバースと俺の関係がどうなってるかなんて、誰にも分からないよ。会う人の90%は、俺がまだコンバースのライダーだと思ってる。無理もないよ。ほんの半年前まで、俺のモデルの22、23、24つめのカラーウェイが出てたんだからね。コンバースが電話やメール、その他で俺に約束していたことは、それに近いものすら払われなかった。俺はクビになったとか、準備しておくようにとか、そういうことも言われなかった。彼らは臆病者で、この2年間嘘ばかりつき続け、月を追うごとに俺の人生をどん底へと突き落としていったんだ。あらゆる意味で彼らが俺にやったことは、絶対に間違ってる。だから今でも、コンバースからは誰も、自分たちが俺に対してやったことを正当化して俺にクビを言い渡す電話をするような度胸のあるやつは一人もいないんだ。もし俺が本当にチームのお荷物だったとしたら、世間もそういう風に反応するし、コンバースは喜んで俺を叱りつけて、ツケを払わせようとするはずだよ。まぁでも、君と同じく俺もわからないよ。

俺とGirl、Chocolateとの関係は、今までと変わらないよ。他の時期と今とで少しも変わりはない。彼らのことは心からリスペクトしてる。俺が小さいころから見てきた昔からのスケーターたち、今いるチームの全員、裏方にいるみんな、彼らの歴史と始まり方まで全てリスペクトしているよ。それら全てが合わさって、俺にとってスケートボーディングの中でも最高のものが生まれたんだ。

10年くらい前に、俺は自分がサポートしたい、参加したいボードカンパニーはGirl/Chocolate(以下Crailtap)だけだって決めたんだ。だからWorkshopを辞めた。当時はそんなことする奴なんていなかったけどね。それに、一般に信じられているのとは違って、俺はGirlのライダーになることが決まってからAlienを辞めたんじゃないんだ。そうじゃなくて、俺はまずAlienを辞めて、それからしばらくはスケートショップで板を買ってんたんだ。もしCrailtapが俺にアプローチしてくれてチャンスをくれたら、ありがたいし最高だろうなって考えてたのを覚えてるよ。



一方で、みんからは色々言われたよ。お前は狂ってる、そんなことやめろ、なんとかAlienに戻れるようにしろ、Crailtapはお前をチームに入れたりしない、とかね。でも俺はそんなこと気にしなかった。そんな周りからの言葉なんか右耳から入って、左耳からもっと早い速さで抜けてくって感じさ。次の給料はどこからもらえばいいのかなんて、まったく心配してなかった。もしCrailtapからアプローチされなくても、それはそれだし、だからと言って別の会社にいく気もしなかった。だからその時ってのは自分で自分のキャリアを放棄してるような感じだったね。

でも何週間か後に、ラッキーにも彼らから電話をもらったんだ。Crailtapはいつも他とは違うんだってことが、それで証明されたね。ただ、タイミングが悪くて、彼らはその年の予算をすでに組んでしまった後だったんだ。だからチームにも入れるしプロボードも出すって言ってくれたけど、次の年まで待ってほしいってことだった。一定の固定給は出せないけど、ロイヤリティは出すってことだったんだけど、具体的なことは何も決まってなかった。でもそんなこと全然気にしなかったね。そういう感じが1年続いたけど、彼らからチャンスをもらえて、それが自分の欲しかったことだった。そのチャンスを与えらえれたお蔭で、俺はスケートすることができて、最終的にうまく落ち着いたんだ。

今もまだChocolateから板をもらってるよ。ただ今は自分のプロボードは出てないけど、それは俺がちゃんとしたビデオパートを出して、メディアに露出してないと、出るべきじゃないと思ってる。だからこういう風になった(プロボードがなくなった)のは論理的だし、俺とCrailtapの間には悪い感情なんて少しもないよ。彼らに中指を立てるなんてありえないし、正直、彼らは俺のこの何年間かのシビアな状況のことを知らなかったと思うんだ。だからもし俺が彼らの立場だったら、全く同じようにしてたと思うよ。

俺はいろいろと自分に対してかなり厳しい人間なんだ。俺はスケーターで、俺っていう人間はスケートボードでできているんだ。俺は自分の失敗や、やらかしたこととかを他人のせいにして、中指立ててまわるような奴じゃない。自分で自分の責任を取るのは問題ないよ。別にそれで状況が変わるわけでもないしね。ただ、もし不幸にも俺に与えられてしまった状況が違うものだったら、ビデオパートを残せていたかもしれない、とは思う。俺は人間だから、それで絶対パートを残せていたとは言えないけどね。人生は何があるかわからないよ。何か理由をつけて結局できなかったかもしれない。それでも俺はビデオパートを残せてたっていうほうに賭けただろうね。今でも俺ができることってのはそれしかないんだから。正直言って、ビデオパートの作り方に関しては、自信を持って分かってるって言える。(俺を批判する奴がよく言うように)オーリーと50-50ばっかりのパートになってたかもしれないし、そうならなかったかもしれない。ていうか、いつ俺がオーリーと50-50ばっかりのパートを作ったって言うんだろう?俺の最後のパートはLakaiのビデオで、最初の2トリックはバックトゥーバックのオーリーだけど、それから後は一回もオーリーは出てこないよ。それについて別に賭けるつもりもないけどね。変えられないものに対してあれこれ推測するのは意味がないよ。

オーケー、もうテキストを携帯に書き込むのは疲れた。スケートボードに乗っている全ての人に感謝するよ。君が望んでたほど、俺は妄想野郎じゃない。いわゆるカムバックなんてのは期待しないでくれ。だって俺は消えたりしてないんだから。待たせたままにはしないよ。


2014年2月7日金曜日

SKATEBOARDING VS. THE OLYMPICS: A BRIEF HISTORY by JENKEM



JENKEMに載っている、スケートがオリンピックになることについての記事です。インタビューではありません。

けっこう知らなかった動きがアメリカでは進行してたんですね。







スケートボードの外から入ってきた企業が、俺たちの愛するスケートボードを本来のものとは違う形で世の中に提示しているのを見るのは、見るに耐えないものだ。1995年の第1回目のXゲームの時もそうだった。Xゲームはスケートボードを「エクストリーム・スポーツ」として取り上げ、それはスケートコミュニティからは嫌われたが、一般的には大ウケしてブームが生まれた(もしくは、スケートが大衆ウケした別の時代もカウントするなら、再燃したと言ったほうがいいかもしれない)。大抵の場合、俺たちはこういうでっちあげられた大会で誰が優勝しようが気にしない。ただ俺たちスケーターがやっていることのほんの一部を、一般大衆が垣間見ることができる珍しい機会ってくらいのものだ。そこに参加している金儲けしたい企業のことについても同じだ。

Xゲームの第一回目から15年が過ぎ、スケートボードはすっかり大衆に受け入れられて、今じゃ奴らは2016年夏のオリンピックの競技にスケートボードを入れようと躍起になりはじめている。俺たちスケーターがそうなって欲しいと思っているかどうかなんてお構いナシに、だ。そしてはっきり言っておくと、俺たちスケーターはスケートボードがオリンピックの競技になって欲しいなんて思ってない。少なくとも俺はそうだ。



そこでローカルのパークに行き、そこにいるやつらにスケートがオリンピックの競技になることについてどう思うのかを聞いてみた。驚いたことに、ほとんどのキッズたちは賛成のようだった。「エストニアとかの国のスケートがどういうものなのか見られるのは、結構クールだと思うよ」とは俺の友人のオリバー。そのパークでのみんなの考え方は、概して俺が考えていたよりもずっと、スケートがオリンピック競技になることに肯定的だった。若い世代のスケーターたちが、こうしたスケートの未来に対してオープンだってのは中々新鮮な発見だった。しかし、これはオープンなのだろうか、それとも何も考えてないだけなのだろうか。たぶん、キッズたちは実際にスケートボードがオリンピック競技になってしまったら、俺たちスケーターの歴史が、どういう風にでっちあげられてしまうことになるのか、気付いていないんだろう。



90年代の初期から、俺たちスケーターのシーンやクリエイティビティを代表してきたジェイソン・ジェシーというプロスケーターがいるんだが、彼が言っていたこんな言葉を思い出す。

「俺はスケートボードを愛しているんだ。だからスケートボードに死んで欲しい」

最初にこれを聞いたときは意味が分からなかったが、スケートボードのスピリットが変わっていくのを理解するにつれて、このジェイソンの言葉に共感するようになった。スケートボードがリトルリーグみたいになるくらいなら、いっそのことスケートボードは無くなったほうがいい。

今のキッズたちはスケートボードはスポーツじゃないってことを分かっていないのか?キッズたちは、俺たちが変人扱いされてむしろ喜ぶような奴らだってことを、分かってないのか?オリンピック競技にスケートボードが入ってしまうってことは、スケートボードが代表している全てのものに反するものだってことを、分かっていないのか?奴らは分かっちゃいない。なぜならおそらく、スケートボードはもう何か別のものになり始めているからだ。



スケートボードがどんなものになろうとしているにせよ、NBC(アメリカのTV局)とIOC(国際オリンピック協議会)は、今のうちに若い世代の注意を引いておかないと、将来オリンピックの価値と利益を下げることに繋がってしまうってことを理解していて、そのために、スケートボードは今なんとも微妙な立場に立たされている。スケートボードで最も名が知られている「アスリート」であるトニー・ホークは、このスケートボードが立たされている状況に気がついている。「夏の大会に関して言えば、スケートボードがオリンピックを必要としている以上に、オリンピックはスケートボードを必要としているよ。「クール」の要素が欲しいなら、今すぐにでも競技に入れるべきだろうね」


しかし、オリンピックの競技になるためには、その競技は完全に組織化されていなくてはならない。スケートボーダーにとっては関係のない世界だ。スケートボードにはそうした公式組織がないため、IOCは別の組織を使ってスケートボードをオリンピックの競技にしようと画策した。

スケートボードを自分たちのスポーツだと主張する組織のひとつに、ローラースケーターたちで作られたFIRS(国際ローラースポーツ協議会)という団体があった。ローラースケートをスケートボードの公式組織にしてしまうことは、スノーボードの公式組織をスキーの団体にしてしまうようなものだ。そしてそれは2008年の冬季オリンピックで実際に起きたことでもある。スノーボードは冬季オリンピックで大きな成功を収め、新しい観客と大きな利益をもたらしたが、全てがむちゃくちゃで、スノーボーダーたちとIOCの間に激しい対立を生んだ。この結果を受けて、IOCは2016年のオリンピックでスケートボードを競技に入れるために、組む相手を考え直すようになった。


そして今、ローラースケーターの代わりに、あるスケートボーダーたちが俺たちスケーターの公式組織になろうとしている。この組織はISF(国際スケートボード連盟)という名前で、そこに名を連ねている人々の顔ぶれはなかなかのものだ。トニー・ホーク、クリス・ミラー、トッド・スワンク。彼らはスケート業界の主要人物たちだ。そのリストの中に、ひときわISFにスケーター組織としての信頼性を与える名前があった。その人物とは、これまでスケートボードがメインストリームになること、スポーツになること、そしておそらくオリンピックの競技になってしまうことに、誰よりも反対してきた人物、デイヴ・カーニーその人だ。




カーニーは悪名高き(そして最高な)Big Brotherマガジンのライターおよび編集者として、長年カウンターカルチャーのアイコン的存在となってきた。カーニーは彼独特のユーモアと、スケートボードのトレンドやスケートボードを利用しようとする奴らに対する鋭いツッコミで知られている。かつてアメリカのいたるところに安っぽい組み立て式のスケートパークが出来始めたとき、カーニーは明確に反対を表明し、こうしたパークを作っている企業や政治家を名指しで批判してきた。カーニーはスケートボードがオリンピックの競技になることについて、反対の意見を出した最初の人でもある。それだけに、カーニーがISFに参加しているのは、非常に不思議だ。


「俺らが望もうが望むまいが、スケートボードはオリンピック競技になるよ」

スケートボードとオリンピックについての記事の中で、カーニーはこのように書いている。

「俺は嫌だよ。でもNBCとIOCはスケートボードを欲しがってる。どんな方法を使ってもね。もし俺たちスケーターがやらなければ、他にスケートボードの公式組織を名乗る奴らが出てきてやるよ。」

今はなきBig Brotherマガジンの熱心な読者であった俺にとって、カーニーは尊敬するジャーナリストの一人で、俺は何か分からない話があると時々カーニーにメールを送ったりしていた。そこで今回も、ISFについてカーニーにメールで質問を送ってみることにした。


「ISFが俺たちスケーターの公式な団体組織となって、単純にIOCの要求、つまりスケートボードをオリンピック競技にしたいっていう要請を断ればいいんじゃないの?」

カーニーから返信が来た。

「正直な話、俺たちは拒否したんだ。俺たちは今とてもユニークな立場にいて、『もしお前がスケートボードを欲しいのなら、スケートボードのやり方でならいいぜ』って言えるんだ。」


しかし、物事はそう単純じゃない。オリンピックは古い組織だ。スケートボードのような、評価の仕方が難しいアブストラクトなものに合わせて、それまでの堅苦しいオリンピックのジャッジのシステムを変えるのは難しいだろう。IOCがスケートボードをありのままの姿のまま、オリンピックの競技として成立させるために、どのように変わっていくのか見ものだ。

こうなると、他のISFの幹部の中の、スケーターではないメンバーのことが気になってくる。特に取締役のゲイリー・リアムの動機が知りたいところだ。ゲイリー・リアムはCamp Woodwardというサマーキャンプ施設のオーナーで、子供たちはそこで夏休みにスケートボード、BMX、ローラーブレード、体操、チアリーディングなどの活動に参加する。

リアムについて、そして彼がISFに参加していることについてのいくつかの記事を読んだが、その中に彼や彼の動機について否定的に書かれたものがあった。その記事では、IOCからスポーツ振興のために巨額の金がISFに流れるだろうということ、そしてリアムが所有するWoodwardへの参加者も確実に増えるだろうということが書いてあった。こうした記事を読むにつれて、自分の中で疑念が出てきた。


だが、カーニーに話を聞いて、リアムの動機について少し安心できるようになった。

「俺はゲイリー(リアム)のことをよく知ってるから言えるけど、彼はスケートボードをレイプしようとなんて考えてないよ」

「長年サマーキャンプを開いて子供たちがスケートできる場所を提供してきているし、実際よくやっているよ。彼はもっと大きな絵を描いているんじゃないかと思うんだ。スケートボードと、それが子供たちに与える独立心やクリエイティビティ、自信なんかの価値についてね。」


実際にリアムと話がしたいと思いカーニーに相談すると、彼は電話でリアムと話せるようにしてくれた。そこでリアムから、今まで自分では思いもよらなかった話を聞かされた。アメリカでは、スポーツに特に政府から補助金が出たりはしないが、他の国ではそういったお金があるそうだ。そしてスケートボードがオリンピック競技になれば、そうしたアメリカ以外の国のスケーターたちにとって大きな恩恵があるという。

例えば、オリンピックから得たお金で、エストニアなんかにもスケートパークが沢山できるようになる。リアム自身はスケーターではないけれども、俺たちスケーターがやっていることのクリエイティブな部分を理解し、それを守っていくべきだと考えている。スケートボードがオリンピック競技になることで彼が一番心配しているのは、フィギアスケートや体操のように、オリンピックの古臭い堅苦しい採点方法によって、スケートボードのクリエイティビティが殺されてしまうことだ。リアムは、オリンピック委員会には、スケートボードは他のスケートコンテストと同様の採点方法を取らせ、体操やアイススケートのような採点方法にはさせない、ということを話してくれた。リアムや他のISFのメンバーたちが願っているのは、「勝者と敗者」に分けるオリンピックのメンタリティの中で、スケートボードのクリエイティブな精神を保つことだ。


そこに金が生まれている限り、スケートボードを利用して、パッケージ化し大儲けしようと企む連中は出てくる。そして間違いなく、将来オリンピックはスケートボードを競技に加えることになるだろう。それが2016年か2024年か、それともその後になるとしても。最悪だ。しかし、デイヴ・カーニーやトニー・ホークのような人たちがいて、スケートがオリンピック競技になることのダメージを最低限に食い止めようとしているのを知って、俺は少しだけ安心できるようになった。まだ俺たちには希望があるのかもしれない。



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上の記事が出たのが2012年9月4日。

で、約一年後の2013年10月22日にこの件の情報が更新されました。

元記事:
http://www.jenkemmag.com/home/2013/10/22/the-push-for-skateboarding-the-olympics-continues/

ISFからこんな動画が出てました。今はISFのHPから削除されてますが(たぶん苦情が半端なかったんだと思う)、Vimeoに残ってます。



ひどい。へぼい。ダサい。ありえん。
なんすかこれは。

しかも上の記事だとISFにはトニー・ホーク、クリス・ミラー、トッド・スワンク、デイヴ・カーニーらが関わってると書かれていますが、サイトを確認しても彼らの名前はありません。

で、役員のページを見てみると、はっきり言って誰やねんお前ら状態です。

勝手にオリンピック競技にされちゃう前に、我々もいろいろと知ってないとマズイかもですね。