2014年2月21日金曜日

Anthony Pappalardo Interview by 48 Blocks



48 Blocksのパッパラードのインタビューです。1年以上前のインタビューですが、気になってた人多いと思うので、訳しました。


翻訳はちゃんと48 Blocksから許可を得ました。ありがとう!
Thank you 48 Blocks for allowing me to translate this interview!

元記事: http://site.48blocks.com/anthony-pappalardo
48 Blocks: http://site.48blocks.com/

Anthony Pappalardoに一体何があったのか?そう思っている人は多いと思う。彼はすべてを手に入れていたように見えていたのに、ある日突然姿を消してしまった。はたして彼はドラッグにハマってしまったのか?それとも怠け者でモチベーションをなくしてしまったのか?それとも何か深刻な怪我でもしてしまったのか?残念ながらこうした推測は、実際に彼が経験したことに比べたら、よっぽどマシなものだった。これは暗い話だが、俺たちはここから価値のあるレッスンを学ぶことができる。4か月前、何があったのかを話してくれることを期待して、アンソニーに連絡した。そして彼から正直で、そして自己反省的な話を聞かされることになった。

48 Blocks:コンバースの話から始めようか。君のシューズのスポンサー契約に何があったの?

Anthony:ネガティブだったりビターな感じのインタビューって、ダセーなってずっと思ってたんだけど…誰かが悪口とか不満を言っているのを読んだり聞いたりした後は、スケートに出かける気がなくなるからね。悪口とか不満をぶちまけるのは簡単さ。それよりもスケートしに出かけろよ、そっちのほうが難しいんだから、っていう。…俺はこの質問をもらってから、それに対して答えることを避けたり、話を作っちゃったり、あからさまに嘘をついたりしている自分がいることに気付いたんだ。(答えを書いては)全文選択して、コピーして、デリートして…明日またやろうっていうことの繰り返しだった。この質問に対して正直に答えようとするなら、最悪だけど、どうしたってポジティブなものに変えることはできないってことを納得できるまで、そんな感じだったんだ。

俺がこういうインタビューを受けたり、ビデオパートに参加したりするのは、他の人たちに「スケートしに行きたい」っていうインスピレーションを与えられることを願っているからなんだ。それが動機なんだよ。もし俺の願いの通り、誰かがスケートしたいと思ってくれれば、それ以上の喜びはないよ。今までも、そしてこれからも、それは価値のあることさ。今まで俺がスケートでやってきたことを気に入ってくれている人たち、いや、そんなのどうだっていい。俺のことを好きじゃなくても、スケートしてるみんなに対して、俺は真実を語る義務を負ってると思うんだ。


過去15年間(実際に自分にチャンスが与えられてたのは12、3年かな)、俺は懸命に働いてきたけど、憶測や嘘、勝手な推測で、俺はすっかり燃え尽きてしまったとみんなから思われるようになってしまった。そもそもそういう嘘が作られたり存在している理由に最初に気付いたのも俺なんだけどね。多かれ少なかれ、俺は自分のキャリアを通じて常にそういう嘘や憶測と付き合ってきた。もし誰も本当のことを知らなければ、そういう嘘だったり憶測ってのは生まれてしまうものなんだ。

今すべてを振り返ってみると、幸運にも経験できたこと、自分自身を誇りに思えること、光栄に思うこと、何かを成し遂げたという感覚、そういう自分の指では数えきれないほどの多くのものを、俺はスケートボードからもらったよ。君の質問に直接関係している話っていうのは、そういうものの中でも最後のもので、なおかつ一番最近のことだから、それまでの経緯を踏まえて話すね。俺は関わってきてくれた全ての人たちに感謝したい。そして君の質問にきちんと答えられるようにがんばるよ。


―学校から帰って留守電を聞いたら、(Rob)Drydekからメッセージがきてた。

―それから正式にAlien Workshopのアマになったとき、Castrucciがコマーシャルを作ってくれた。

―路上で歩いたりプッシュしたりしながら(今でもどの通りだったか覚えてる)、携帯でRick HowardとChocolateのチームに入ることについて話した。一か月後にMezaからメールがきて、Crailtapを見てみろって言われて見てみたら、Evan Hecoxが描いた俺のポートレートが載ってたんだ。

―Lakaiのビデオ(Fully Flared)でパートを残した。


―そして最後は、友人たち、家族、プロスケーター、俺がこれまで生きてきて尊敬してきた人々、そういう人たち全員が、コンバースのシューズに俺の名前が載ることを祝うために、パーティに集まってくれた。そこにいた全員が認めてくれて、悪口なんかもなく、みんなで俺を祝福してくれたし、俺自身も物事は順調に前に進んでいると思ってた。みんなもメディアも喜んでいたし、それにおそらく、俺はそれを受けるのに値していたんだと思う。今から3年前のことだね。



これが俺とあの会社(コンバース)について、俺が知ってたことだよ。俺はあの会社に自分のキャリアすべてを賭けて、10年以上在籍した良好な関係だったシューズカンパニーを辞めたんだ。俺がコンバースのライダーにならないかって誘われたのは、ここ10年で一番デカくて、一番観られたスケートビデオ(訳注:要するにFully Flared)で俺が残したパートが世に出た、1か月後のことだった。

その時のコンバースは、まだ具体的なアイデアもなかったし、シューズのデザインもチームもなく、彼らは人を集めるのに苦労していた。理由は明らかさ。今まで懸命に働いて投資をした結果手に入れた、人生の安定を捨てるリスクを負ってまで、まだ存在すらしていない会社のライダーになりたいと普通は思わないよ。それに(コンバースは)過去に少なくとも2、3回スケートシューズに参入して、失敗してきてるっていう歴史もあったからね。それに彼らは一生安泰な契約を提示してきたってわけでもない。少なくとも俺にはそういう契約は来なかったよ。

色々やりとりした結果、最低でも俺がLakaiから当時もらっていたのと同じ給料を払ってもらうってことは約束させたんだ。危ない橋だったよ。デカいリスクさ。でも俺はそれを選んだ以上、それをやり通さないといけなくなった。俺はうまくいくと信じる必要があったし、ちゃんとしたやり方でやればうまくいくってことは分かってた。俺も彼らも、どうやって形にしていくのか同じ意見だった。当時はLakaiのビデオが出たばかりの時で、彼らは俺を必要としていて、そして実際に俺を手に入れたんだ。たいした話じゃないよ。ビジネスさ。

(コンバースのライダーになって)最初の2年間はメローな感じだったよ。今まで在籍した他のスポンサーと同じ感じだった。で、ちょうどその頃に、俺のモデルを出そうっていう話にもなってたんだ。順調に見えたよ。コンバースはうまいこと行きはじめて、ようやく安定してきていた。立ち上げ当初にあったリスクも、その頃にはもうなくなっていたんだ。すると突然みんなライダーになりたがったり、何かしら関わりたがるようになった。

そういう状況は大歓迎だったよ。俺はこのコンバースのスケートラインがうまくいくように、いろんな意見を出したり、誰々を入れようとか、いろいろ手助けをしてきたからね。会社にとって最善なこと以外何も望まなかったよ。他の俺が在籍している会社と同じさ。良い方に成長を続けていけるようにってね。そしてその通りになってた。うれしかったよ。俺は自分が在籍する会社には誇りを持ってる。俺はベストでかっこいいチームやカンパニーのライダーにしかならない。それ以外に自分のためになる道ってのはない。俺は幸運にも、そうしたチャンスに恵まれてきたんだ。




でも2年が経ったその同じ時期に、コンバースは俺のメディア露出が少ないって文句をちょろちょろ言い出し始めたんだ。クソな話だけど、メディアに出た際の著作権とかは全部コンバースが所有することになってた。彼らは俺のモデルのリリースやそのプロモーションの為に金を使ってたから、それは理解できるんだ。で、そのころEpicly Later’dの俺のエピソードが公開されて、いい反応が返ってきてたし、Mezaがこっちにやってきて一緒にRedのコマーシャルを作った。それまでの12年間となんら変わりなく、順調に物事は進んでいるように思えたよ。このころには、みんなが俺のLakaiのパートを理解し始めてくれたみたいで、キッズたちが興奮して俺のところに来てポジティブな反応やサポートをくれるようになってた。気持ちよかったし、俺はその頃も今日と同じように、そして2年前とも、5年前とも、初めてスケートボードを手にした次の日とも同じように、スケートしてたんだ。

その頃はコンバースとの契約更新の時期だった。オリジナルのチームライダーは契約の再交渉をする必要があった。そして、彼らは新しいライダーをチームに入れようとしていた。皮肉な話だけど、俺が自分の15年のキャリアの中で、順調だなっていう自信がちょっとでもあった時期ってのは、この頃の数ヶ月だったよ。コンバースは俺のモデルの最初のラインをリリースしようって頃で、それを祝うパーティをその2週間前に開いてくれたばかりだった。俺はどっかの南の島でマイタイを飲んでるようなクソ野郎なんかじゃなかったよ。そもそも俺は5年前に酒をやめてたし。

でも文字通り突然、まったく理由もなく、彼らは俺に対して物凄く汚く冷淡な態度を取りはじめたんだ。マジでどうしてだか分からないよ。噂では、俺のモデルは売れてるって話だった。正直それが本当だったかどうか、俺は今でも分からない。でもニューヨークのキッズはみんな俺のモデルを履いていて、どこに行っても見かけるように思えた。コンバースは俺のモデルをトータルで3年間、つい4、5か月前までに20色以上ものカラーウェイを出してたことから考えると、俺のモデルは成功したって言っていいんじゃないだろうか。

―でも俺のモデルの最初のラインが出た後で、コンバースは俺のことも、俺のモデルのサポートもやめてしまって、俺は完全に干されてる状態になった。




そして俺は彼らから、「お前が今までスケートでやってきたことが理由で、お前のモデルを買ったりサポートしたりする奴なんか一人もいない。だからシューズにお前の名前が載ってることは(売上とは)関係ないってあきらめろ」って言われていたんだ。思い返すと、そのことを聞かされて、俺は精神的に狂わされてしまったんだ。なぜなら俺はそれを信じてしまったんだよ。その頃俺がスケートに出かけると、毎日、一日中、キッズたちからポジティブな反応をもらったけど、俺はそれを信じなかった。今はそれから約3年が経ったけど、今でも俺は自分のプロスケーターのキャリアのどの時期よりも、多くのキッズたちに話しかけられる。俺は今でもそのことで辛い気持ちになるんだ。

マジで俺があの会社のために、手助け以外の何をやったのか教えてほしい。色んな方法で、彼らが必要としているものを提供し、会社を軌道に乗せる手助けをしてきた。成功したプロモデルシューズ、Googleで検索すれば俺とコンバースのことについての、キッズたち、スケートショップ、みんなからの100ページ以上にわたるポジティブな反応。今でも「Cons skateboarding」って検索すれば、画像で一番最初に上がってくるのは俺の画像だし、しばらくはずっとそのままだと思うよ。俺はもう今じゃコンバースのステッカーが欲しいと思っても、誰に連絡したらいいのかも分からないのにね。

6か月前に、ニューヨークのブロードウェイにある大きなコンバース・ストアに行ってみたんだ。俺が店に入ったとき、親戚と旅行で来ている風の2人のスケーターのキッズがいて、最終的に俺の名前が載ったシューズを買ったんだ。俺は店の半分くらいからそれを見てたんだけど、気持ちが凹みすぎて、すぐに店の外に飛び出さないといけなかった。そのキッズのひとりはChocolateのTシャツを着てたんだ。もしその日俺のポケットに10セントでもあったら、コンバースの誰とでも賭けをしてたよ。キッズたちが俺のことを知ってるかどうかってね。

この出来事は、コンバースから俺が関係しているものをサポートしたいと思うキッズも、ショップも存在しないっていわれた2年後のことだった。むちゃくちゃだけど、そうやって彼らは俺をとことんまで搾取したことを正当化したんだ。話には聞いたことがあっても、君がコスタリカの掘立小屋に住んでるヒッピーでもない限り、とても信じられないようなことを彼らは実際にやろうとしていたんだよ。まさか人間がそんな汚いまねをできるなんて、普通だったら考えないよ。

俺がライダーとして在籍し、そしてまた契約を更新しようとしていたこの会社の人たちにとって、俺の価値や功績ってのは俺が彼らと契約していた2年間のことだけで、そして俺は彼らの基準を満たしていないって言われたんだ。でもそんなの完全なデタラメだよ。俺はその頃も今まで通りのことをやってたんだからね。それから後のことは俺の責任だし、それは受け入れるけど、俺が彼らから言われたことは、偽善的で空々しいとしか言いようがないよ。

そもそも俺がコンバースと契約するきっかけになったのは、彼らとの契約の1か月前に出たビデオパート(Fully Flared)だろ。彼らが俺のキャリアのある時期だけをピックアップして選べる、なんてわけにはいかないんだ。今までだって(プロスケーターのキャリアっていうのは)そういうもんじゃなかった。簡単なコンセプトさ。もし誰かのスポンサーになるっていうことは、その人が持ってる全て、全ての歴史をひっくるめてってことさ。これは明白な事実だよ。




これは、たとえばKenny Andersonみたいな人にとっては常にアドバンテージになるし、そうあるべきだ。なぜなら彼は20年間もキャリアを続けていて、懸命な努力と才能がなければできないものを築き上げたんだからね。彼と同じものを築き上げることができる人は多くないよ。多くのトライと失敗を経た結果、彼は会社にたくさんの貢献をしているんだ。まだ本当のフル・ビデオパートを残していなかったり、最近残したばかりの奴らとは比べられないよ。別に初めてのパート自体は何も悪くはないけどね。誰にだって初めてのパートってのはあるんだから。俺にだってある。でもさ、デカいパート(Fully Flared)をコンバースとの契約の1か月前に出してたってのに、まるで俺が今までスケートで何もやってきたことがないかのように扱われるとしたらさ、それは見え透いた汚いビジネスさ。


“再契約交渉”の電話をしてるとき、目の前が真っ暗になった。むちゃくちゃなことばかりだった。相手がこう言ってたのを今でも覚えてるよ。

「アンソニー、コンバースのライダーってのは全員Aランクのプロなんだ。それが俺たちのブランドなんだよ。正直言って、君はCランクのプロだ」

俺は今までの人生で、これほど侮辱されたことも、あ然とさせられたこともなかったよ。どういう神経してたら、そんなことが言えるんだ?ただ無言のままシーンっとなってたのを今でもはっきり覚えてる。その間、めちゃくちゃ色んな事が頭ん中を駆け巡ったけど、一つも言葉にできなかった。相手は1か月前に俺のシューズのリリースパーティを開いてくれて、目と目を合わせて話してた奴らなんだぜ?ただもう、死ぬほど気持ち悪かった。

でもその時は、きちんと挨拶して電話を切ったんだ。そして正式に「俺はスポンサーを受ける資格のあるレベルじゃないんだ、だから再契約もない」ってことが分かった。文字通り、俺はコンバースからはもうスポンサードされてなかった。おまけにその前日には、Elwoodがスケートチームにはもう給料を払わないってことを決めたって話も聞かされてたんだ。ラカイのビデオの後で、俺は他のオファーも受けてたけど、それらを断ってElwoodに残ることを決めたんだけどね。これで終わりさ。文字通り、彼らは指先ひとつで俺のキャリアを思い通りにし、そして早々と終わらせたんだ。この会社は俺からすべてのものを奪い去ってしまった。俺以外のチームのみんなは再契約し、他に新しいライダーも加わった。1か月前に、彼らは俺の名前の載ったシューズをリリースしたってのにね(そしてそのシューズはつい2か月くらい前まで出続けていた)。俺にどれだけの市場価値があるのかをテストするには最高の方法だっただろうね。

みんなが分かってないことは、俺からするとなんで分かんないのか分かんないけど、君がもし実家に住んでる15歳なんかじゃない限り、スケートに乗ることで発生していた給料が支払われなくなったら、その時点で終了だよ。もう、自分が考えていたトリックを撮影するためにはどうすればいいか、なんて考えて努力することも、時間をかけることもできないんだ。そうしたことは全て窓から外に出て行ってしまった。その窓こそが、スポンサーシップの要点さ。

電話を切ってから1日とたたないうちに、その日の夕飯をどうやって食おうかってことが心配になった。もはや純粋に自分の生存本能に従って生きるしかなくなって、そして一番キツかったのが、俺がこの嘘と真実の二重生活を送っていたってことを、誰も知らなかったってことだね。俺はまだ、彼らの期待に応えるために「(コンバースの)プロスケーターとして」スケートしている、ていう嘘さ。でもそんなフリを続けるのは無理だよ。信じてほしい。俺はそれでも頑張ってやろうとしたんだ。ここ2年半、俺はそうやって過ごして、だからコンバースが俺に対してやった仕打ちが明るみに出ることもなかったんだ。

―その夜2時間後くらいに、「アンソニー、こうなってしまったのは非常に残念だと思っているよ。だから、次の2年間の契約はこういうのでどうだろう?・・・」っていうメールがきたんだ。(その契約の内容は)屈辱的だったよ。俺がラカイのアマチュアライダーだったときのほうが、よっぽどいい給料をもらってた。でも俺は壁を背にして考えたんだ。他に俺には選択肢はない。これにサインするしかないってね。その時コンバースは俺のモデルを出したばかりだった。そして今自分に必要なのは、Chocolateのビデオのための撮影ができる状態を作ることだって自分に言い聞かせたんだ。つらかったよ。だってそのコンバースの給料じゃ、それ(Chocolateのビデオのために撮影する状況を整えること)は難しいだろうってこと、そもそも家賃すら満足に払える金額じゃないってことが分かってたからね。

それでも、コンバースがその契約を守っていたなら、俺はその少ない給料でも心待ちにしただろうけど、彼らはその契約すら守らなかったんだ。そしてその間でも俺はコンバースに忠実だった。今でも毎日、俺は興奮したキッズに会う。たぶん俺は彼らの好きなプロスケーターなんだろうと思うよ。でもキッズたちは、俺が今日の夕飯を食うために、道に落ちてる屑金を拾ってるってことを知らないんだ。事態はそのくらい悪くなってた。なぜなら俺がサインした契約書ってのは単なるギミックだったんだ。コンバースは俺のモデルが一番売れてるってことに気が付いて、それでまだ俺がコンバースのライダーであるように見せないとマズいから、俺が必要だったんだ。それから半年ごとに、それがどのくらい続いたのか知らないけど、俺の名前の載ったシューズが色違いでリリースされ続けた。




もし俺がクビになったって話が出回ったら、特にその時期はすごく変な感じに見えただろうね。だって俺はまだツアーに出てたからね。Kenny (Anderson)のコマーシャルの手伝いをするためにVegasに行ったときのことを覚えているよ。俺は電話で「マジな話ポケットに一銭も入ってないよ。旅の計画をしてたけど、空港まで行く金すらない」って話をした。でも気合いでその旅は実行したんだ。そして例の偽の契約だけど、結局その通り、偽物の契約になった。彼らは契約を実行しなかったんだ。月日が過ぎても俺が聞かされるのは言い訳と作り話ばかりだった。「小切手を確認する担当者は今休暇中で、いつ戻るか分からない」みたいにね。俺はマジでうんざりしながら「俺は今本当に腹が減ってて、食わなきゃならないんだよ」って話してた。俺は「コンバースのライダー」なのに、金を払ってもらえず、完全に地獄の日々を過ごしてたんだ。そして彼らからは「スケートしてない」だの「何か残せ」だの言われていた。実際傍目から見たら、俺はそういう風に見えただろうね。

その再契約のメールから、実際に彼らが俺に何かしてくれるまでには1年以上かかった。そしてその頃には、そんなこと何の意味もなくなってったんだ。最初の月で俺は家賃を払えなくなり、3か月たったころには俺は家を立ち退くように言われ、4か月たった頃には、持ってる物をどうしたらいいのか分からなくて、不安でたまらなくなった。なぜなら俺はもう基本的に家を失ってたからさ。でも半年もしないうちに、そうした心配は無用になった。俺は自分が持っていたものを全て、売るか質に出すことになったんだ。俺は文字通り人生と戦ってた。

この頃の3年間のあいだに、俺はコンバースから自分のプロモデルを出したんだけど、そのうちの2年半は、たとえ俺が欲しいと思っても、俺は自分のモデルを買う金すら持ってなかったんだ。そして悔しいのは、この時期も俺はほとんどの全ての人たちから支持されてたってことさ。毎日スケートに出かけてキッズたちに出会ったし、そして俺は彼らの期待応える自信もあった。でも、俺は嘘の中で生きていて、そして周りからは何もしていないように見えていた。俺が皆の期待に応えるために必要な生活は、彼ら(コンバースに)にかかってたんだけど、彼らからのサポートは得られなかった。ストリートの名声だけじゃ家賃は払えない。そしてショックなことに、会社が自分の名前が載ったシューズを、20種類以上のカラーウェイでリリースしていても、家賃を払えないんだ。俺はただ、スケートして生活できるだけのチャンスが欲しかっただけなのに、俺はそのチャンスを与えられなかった。

48 Blocks:今でも木の椅子とかってたくさん作ってるの?最近はスケート以外のクリエイティブなものに、どのくらい時間を使ってるの?

Anthony:いや、今はやってない。俺の小さな作業場は約3年前になくなったよ。ふたつ冬を越えるくらいの期間、俺は幸運にもニューヨークで自分の場所を持つことができ、忙しくもの作りをすることができた。素晴らしい経験だったし、短い期間だったけど色んな事を学んだよ。スケート以外のクリエイティブなものに時間を使うってことからは、だいぶ長い間遠ざかっているね。でも十分やったよ。(木の椅子を作ったりすることは)クリエイティブな欲求を吐き出すには十分だけど、完璧な満足感や、充足感を得られるほどじゃない。それに(慣れると)簡単になりすぎて、ある日起きると退屈なものになっちゃうんだ。考えることをやめたら、そうなると思うよ。



48 Blocks:君は昔からクリエイティブなスケートをしてきているよね。インタビューでも、君はギャラリーに行ったり絵を見たりするところからスケートのインスピレーションを得ているって言ってたけど、君がスポットを探すときは、写真や映像を残すのにかっこいいなと思えるスポットを、意識して探すようにしているの?そういう要素って、君のスケートのどのくらいの部分を占めてるの?

Anthony:そうだね。(スポットの見た目は)ほとんど異常なレベルで気にしてるね。褒めてくれてありがとう。

48 Blocks:Ginoも君もロングアイランド出身で、二人ともツンとしてるし、Chocolateのライダーだし、どうしても二人を比べたくなっちゃうんだけど、君が小さいころ、ロングライランドでGinoを見かけたりした?その頃に一緒に滑ったりしたことってある?

Anthony:俺がGinoと比べられるとき、いつもとんでもないって思うんだけど(理由は明らか)・・・彼にはすごく影響されたけど、それとロングアイランド出身なのとは関係ないよ。俺がやっと家の敷地から出られるようになったくらいの小さいころには、彼はすでにLAにいたんだからね。だから一度もGinoを(ロングアイランドで)見たことはないよ。初めて会ったのは、スケートボーダー(雑誌)のイタリアツアーの時だと思う。他にGuy(Mariano)、(Mike)Carroll、Keenan(Milton)、(Jason)Dillとかがいたよ。みんな俺の大好きなスケーターだった。今でも当時と同じ理由で彼らのことが好きだ。彼らは他の誰よりもスケートボードにうまく乗ってたんだ。

48Blocks:君のスケートキャリアを通じて、ほとんどのフッテージはBill Strobeckが撮っている気がするんだけど、Billが他のフィルマーと違うところっていうのはどういうところなの?

Anthony:ビルは友達さ。彼のことをちゃんと話そうとしたらすごく長くなるよ。何かしら特別な存在だね。俺がまだ15歳のころのある夜、スケートの撮影をしに行かないかってBillからいきなり電話がかかってきたんだ。そして次の日の朝10時に集合して、シーポートの近くでやったラインを撮影したんだ。結果は知っての通り、YouTubeにもたぶん上がってると思うよ。




他にもTy(Evans)や(Arron)Mezaとかとも撮影してきたけど、正直みんな同じいいバイブスだよ。もし俺が誰かと撮影をするとしたら、その時点で必要な信頼関係はすでにできてるんだ。Billは撮影もうまいし、自分だけのスタイルを持ってるから、余計にいいよね。

48 Blocks:今まで数えきれないくらい同じ質問されてきたと思うけど、Brian Wenningとのことを聞かせて。君たちは昔親友同士だったけど、それから何があったの?今のBrianの状況をどう思う?今また会うようになったりした?最後に彼と話をしたのっていつ?

Anthony:少なくとも10年はBrianと会ってないね。最後に会ったのがいつどこだったかなんて、もう思い出せないよ。今何をしているのかも知らない。もちろんみんなと同じように時々噂話だったり、インタビューとかを見たり聞いたりはするけど、彼も個人的なこととかでタフな何年間かを過ごしたみたいだね。彼だって人間さ。彼には健康で、そしてハッピーでいて欲しい。本当にそう思う。

48 Blocks:君は色々とツアーに行くよりも、ニューヨークかその近郊でほとんど撮影していたみたいだね。ニューヨークに限定してスケートするのはどういう魅力があるの?

Anthony:ただ俺がそれしか知らないだけだよ。

48 Blocks:君はインスタグラムで自分のChocolateのポートレイトをいろんな髪型をに変えて、その画像にコメントしていたね。最近のスケートの世界ってイメージ先行になりすぎてると思う?

Anthony:そうだね。いつだってそうだよ。そうじゃなかった時なんてなかった。羊は人間を真似ようとなんてしない。でも残念なことに、人間はそうじゃない。

48 Blocks:今のChocolateとの関係はどうなってるの?まだ彼らからスポンサードされてるの?もしそうなら、財政的な問題以外に、君がPretty Sweetで1トリックも入ってなかった理由ってあるの?もしもうChocolateのライダーじゃないなら、何が起きたのか、そしていつ正式にChocolateを抜けることになったのかを教えて。

Anthony:残念ながら、この小さなメロドラマはハッピーエンドじゃないんだ。俺の過去15年間を形作る手助けをしてくれた、全ての人には感謝したい。特にここ2、3年の俺を助けてくれた、限られた少ない人たちには本当に感謝したい。人生の流れ(の厳しさ)と人々(の優しさ)との違いはかなりドラマティックだよ。この人たちのお蔭で俺は住むところがあったし、腹が減ってるときに食わせてもらえた。その人たちの名前をここでリストアップとかはしないけどね。彼らは自分のことだって分かってるから。

今のコンバースと俺の関係がどうなってるかなんて、誰にも分からないよ。会う人の90%は、俺がまだコンバースのライダーだと思ってる。無理もないよ。ほんの半年前まで、俺のモデルの22、23、24つめのカラーウェイが出てたんだからね。コンバースが電話やメール、その他で俺に約束していたことは、それに近いものすら払われなかった。俺はクビになったとか、準備しておくようにとか、そういうことも言われなかった。彼らは臆病者で、この2年間嘘ばかりつき続け、月を追うごとに俺の人生をどん底へと突き落としていったんだ。あらゆる意味で彼らが俺にやったことは、絶対に間違ってる。だから今でも、コンバースからは誰も、自分たちが俺に対してやったことを正当化して俺にクビを言い渡す電話をするような度胸のあるやつは一人もいないんだ。もし俺が本当にチームのお荷物だったとしたら、世間もそういう風に反応するし、コンバースは喜んで俺を叱りつけて、ツケを払わせようとするはずだよ。まぁでも、君と同じく俺もわからないよ。

俺とGirl、Chocolateとの関係は、今までと変わらないよ。他の時期と今とで少しも変わりはない。彼らのことは心からリスペクトしてる。俺が小さいころから見てきた昔からのスケーターたち、今いるチームの全員、裏方にいるみんな、彼らの歴史と始まり方まで全てリスペクトしているよ。それら全てが合わさって、俺にとってスケートボーディングの中でも最高のものが生まれたんだ。

10年くらい前に、俺は自分がサポートしたい、参加したいボードカンパニーはGirl/Chocolate(以下Crailtap)だけだって決めたんだ。だからWorkshopを辞めた。当時はそんなことする奴なんていなかったけどね。それに、一般に信じられているのとは違って、俺はGirlのライダーになることが決まってからAlienを辞めたんじゃないんだ。そうじゃなくて、俺はまずAlienを辞めて、それからしばらくはスケートショップで板を買ってんたんだ。もしCrailtapが俺にアプローチしてくれてチャンスをくれたら、ありがたいし最高だろうなって考えてたのを覚えてるよ。



一方で、みんからは色々言われたよ。お前は狂ってる、そんなことやめろ、なんとかAlienに戻れるようにしろ、Crailtapはお前をチームに入れたりしない、とかね。でも俺はそんなこと気にしなかった。そんな周りからの言葉なんか右耳から入って、左耳からもっと早い速さで抜けてくって感じさ。次の給料はどこからもらえばいいのかなんて、まったく心配してなかった。もしCrailtapからアプローチされなくても、それはそれだし、だからと言って別の会社にいく気もしなかった。だからその時ってのは自分で自分のキャリアを放棄してるような感じだったね。

でも何週間か後に、ラッキーにも彼らから電話をもらったんだ。Crailtapはいつも他とは違うんだってことが、それで証明されたね。ただ、タイミングが悪くて、彼らはその年の予算をすでに組んでしまった後だったんだ。だからチームにも入れるしプロボードも出すって言ってくれたけど、次の年まで待ってほしいってことだった。一定の固定給は出せないけど、ロイヤリティは出すってことだったんだけど、具体的なことは何も決まってなかった。でもそんなこと全然気にしなかったね。そういう感じが1年続いたけど、彼らからチャンスをもらえて、それが自分の欲しかったことだった。そのチャンスを与えらえれたお蔭で、俺はスケートすることができて、最終的にうまく落ち着いたんだ。

今もまだChocolateから板をもらってるよ。ただ今は自分のプロボードは出てないけど、それは俺がちゃんとしたビデオパートを出して、メディアに露出してないと、出るべきじゃないと思ってる。だからこういう風になった(プロボードがなくなった)のは論理的だし、俺とCrailtapの間には悪い感情なんて少しもないよ。彼らに中指を立てるなんてありえないし、正直、彼らは俺のこの何年間かのシビアな状況のことを知らなかったと思うんだ。だからもし俺が彼らの立場だったら、全く同じようにしてたと思うよ。

俺はいろいろと自分に対してかなり厳しい人間なんだ。俺はスケーターで、俺っていう人間はスケートボードでできているんだ。俺は自分の失敗や、やらかしたこととかを他人のせいにして、中指立ててまわるような奴じゃない。自分で自分の責任を取るのは問題ないよ。別にそれで状況が変わるわけでもないしね。ただ、もし不幸にも俺に与えられてしまった状況が違うものだったら、ビデオパートを残せていたかもしれない、とは思う。俺は人間だから、それで絶対パートを残せていたとは言えないけどね。人生は何があるかわからないよ。何か理由をつけて結局できなかったかもしれない。それでも俺はビデオパートを残せてたっていうほうに賭けただろうね。今でも俺ができることってのはそれしかないんだから。正直言って、ビデオパートの作り方に関しては、自信を持って分かってるって言える。(俺を批判する奴がよく言うように)オーリーと50-50ばっかりのパートになってたかもしれないし、そうならなかったかもしれない。ていうか、いつ俺がオーリーと50-50ばっかりのパートを作ったって言うんだろう?俺の最後のパートはLakaiのビデオで、最初の2トリックはバックトゥーバックのオーリーだけど、それから後は一回もオーリーは出てこないよ。それについて別に賭けるつもりもないけどね。変えられないものに対してあれこれ推測するのは意味がないよ。

オーケー、もうテキストを携帯に書き込むのは疲れた。スケートボードに乗っている全ての人に感謝するよ。君が望んでたほど、俺は妄想野郎じゃない。いわゆるカムバックなんてのは期待しないでくれ。だって俺は消えたりしてないんだから。待たせたままにはしないよ。


2014年2月7日金曜日

SKATEBOARDING VS. THE OLYMPICS: A BRIEF HISTORY by JENKEM



JENKEMに載っている、スケートがオリンピックになることについての記事です。インタビューではありません。

けっこう知らなかった動きがアメリカでは進行してたんですね。







スケートボードの外から入ってきた企業が、俺たちの愛するスケートボードを本来のものとは違う形で世の中に提示しているのを見るのは、見るに耐えないものだ。1995年の第1回目のXゲームの時もそうだった。Xゲームはスケートボードを「エクストリーム・スポーツ」として取り上げ、それはスケートコミュニティからは嫌われたが、一般的には大ウケしてブームが生まれた(もしくは、スケートが大衆ウケした別の時代もカウントするなら、再燃したと言ったほうがいいかもしれない)。大抵の場合、俺たちはこういうでっちあげられた大会で誰が優勝しようが気にしない。ただ俺たちスケーターがやっていることのほんの一部を、一般大衆が垣間見ることができる珍しい機会ってくらいのものだ。そこに参加している金儲けしたい企業のことについても同じだ。

Xゲームの第一回目から15年が過ぎ、スケートボードはすっかり大衆に受け入れられて、今じゃ奴らは2016年夏のオリンピックの競技にスケートボードを入れようと躍起になりはじめている。俺たちスケーターがそうなって欲しいと思っているかどうかなんてお構いナシに、だ。そしてはっきり言っておくと、俺たちスケーターはスケートボードがオリンピックの競技になって欲しいなんて思ってない。少なくとも俺はそうだ。



そこでローカルのパークに行き、そこにいるやつらにスケートがオリンピックの競技になることについてどう思うのかを聞いてみた。驚いたことに、ほとんどのキッズたちは賛成のようだった。「エストニアとかの国のスケートがどういうものなのか見られるのは、結構クールだと思うよ」とは俺の友人のオリバー。そのパークでのみんなの考え方は、概して俺が考えていたよりもずっと、スケートがオリンピック競技になることに肯定的だった。若い世代のスケーターたちが、こうしたスケートの未来に対してオープンだってのは中々新鮮な発見だった。しかし、これはオープンなのだろうか、それとも何も考えてないだけなのだろうか。たぶん、キッズたちは実際にスケートボードがオリンピック競技になってしまったら、俺たちスケーターの歴史が、どういう風にでっちあげられてしまうことになるのか、気付いていないんだろう。



90年代の初期から、俺たちスケーターのシーンやクリエイティビティを代表してきたジェイソン・ジェシーというプロスケーターがいるんだが、彼が言っていたこんな言葉を思い出す。

「俺はスケートボードを愛しているんだ。だからスケートボードに死んで欲しい」

最初にこれを聞いたときは意味が分からなかったが、スケートボードのスピリットが変わっていくのを理解するにつれて、このジェイソンの言葉に共感するようになった。スケートボードがリトルリーグみたいになるくらいなら、いっそのことスケートボードは無くなったほうがいい。

今のキッズたちはスケートボードはスポーツじゃないってことを分かっていないのか?キッズたちは、俺たちが変人扱いされてむしろ喜ぶような奴らだってことを、分かってないのか?オリンピック競技にスケートボードが入ってしまうってことは、スケートボードが代表している全てのものに反するものだってことを、分かっていないのか?奴らは分かっちゃいない。なぜならおそらく、スケートボードはもう何か別のものになり始めているからだ。



スケートボードがどんなものになろうとしているにせよ、NBC(アメリカのTV局)とIOC(国際オリンピック協議会)は、今のうちに若い世代の注意を引いておかないと、将来オリンピックの価値と利益を下げることに繋がってしまうってことを理解していて、そのために、スケートボードは今なんとも微妙な立場に立たされている。スケートボードで最も名が知られている「アスリート」であるトニー・ホークは、このスケートボードが立たされている状況に気がついている。「夏の大会に関して言えば、スケートボードがオリンピックを必要としている以上に、オリンピックはスケートボードを必要としているよ。「クール」の要素が欲しいなら、今すぐにでも競技に入れるべきだろうね」


しかし、オリンピックの競技になるためには、その競技は完全に組織化されていなくてはならない。スケートボーダーにとっては関係のない世界だ。スケートボードにはそうした公式組織がないため、IOCは別の組織を使ってスケートボードをオリンピックの競技にしようと画策した。

スケートボードを自分たちのスポーツだと主張する組織のひとつに、ローラースケーターたちで作られたFIRS(国際ローラースポーツ協議会)という団体があった。ローラースケートをスケートボードの公式組織にしてしまうことは、スノーボードの公式組織をスキーの団体にしてしまうようなものだ。そしてそれは2008年の冬季オリンピックで実際に起きたことでもある。スノーボードは冬季オリンピックで大きな成功を収め、新しい観客と大きな利益をもたらしたが、全てがむちゃくちゃで、スノーボーダーたちとIOCの間に激しい対立を生んだ。この結果を受けて、IOCは2016年のオリンピックでスケートボードを競技に入れるために、組む相手を考え直すようになった。


そして今、ローラースケーターの代わりに、あるスケートボーダーたちが俺たちスケーターの公式組織になろうとしている。この組織はISF(国際スケートボード連盟)という名前で、そこに名を連ねている人々の顔ぶれはなかなかのものだ。トニー・ホーク、クリス・ミラー、トッド・スワンク。彼らはスケート業界の主要人物たちだ。そのリストの中に、ひときわISFにスケーター組織としての信頼性を与える名前があった。その人物とは、これまでスケートボードがメインストリームになること、スポーツになること、そしておそらくオリンピックの競技になってしまうことに、誰よりも反対してきた人物、デイヴ・カーニーその人だ。




カーニーは悪名高き(そして最高な)Big Brotherマガジンのライターおよび編集者として、長年カウンターカルチャーのアイコン的存在となってきた。カーニーは彼独特のユーモアと、スケートボードのトレンドやスケートボードを利用しようとする奴らに対する鋭いツッコミで知られている。かつてアメリカのいたるところに安っぽい組み立て式のスケートパークが出来始めたとき、カーニーは明確に反対を表明し、こうしたパークを作っている企業や政治家を名指しで批判してきた。カーニーはスケートボードがオリンピックの競技になることについて、反対の意見を出した最初の人でもある。それだけに、カーニーがISFに参加しているのは、非常に不思議だ。


「俺らが望もうが望むまいが、スケートボードはオリンピック競技になるよ」

スケートボードとオリンピックについての記事の中で、カーニーはこのように書いている。

「俺は嫌だよ。でもNBCとIOCはスケートボードを欲しがってる。どんな方法を使ってもね。もし俺たちスケーターがやらなければ、他にスケートボードの公式組織を名乗る奴らが出てきてやるよ。」

今はなきBig Brotherマガジンの熱心な読者であった俺にとって、カーニーは尊敬するジャーナリストの一人で、俺は何か分からない話があると時々カーニーにメールを送ったりしていた。そこで今回も、ISFについてカーニーにメールで質問を送ってみることにした。


「ISFが俺たちスケーターの公式な団体組織となって、単純にIOCの要求、つまりスケートボードをオリンピック競技にしたいっていう要請を断ればいいんじゃないの?」

カーニーから返信が来た。

「正直な話、俺たちは拒否したんだ。俺たちは今とてもユニークな立場にいて、『もしお前がスケートボードを欲しいのなら、スケートボードのやり方でならいいぜ』って言えるんだ。」


しかし、物事はそう単純じゃない。オリンピックは古い組織だ。スケートボードのような、評価の仕方が難しいアブストラクトなものに合わせて、それまでの堅苦しいオリンピックのジャッジのシステムを変えるのは難しいだろう。IOCがスケートボードをありのままの姿のまま、オリンピックの競技として成立させるために、どのように変わっていくのか見ものだ。

こうなると、他のISFの幹部の中の、スケーターではないメンバーのことが気になってくる。特に取締役のゲイリー・リアムの動機が知りたいところだ。ゲイリー・リアムはCamp Woodwardというサマーキャンプ施設のオーナーで、子供たちはそこで夏休みにスケートボード、BMX、ローラーブレード、体操、チアリーディングなどの活動に参加する。

リアムについて、そして彼がISFに参加していることについてのいくつかの記事を読んだが、その中に彼や彼の動機について否定的に書かれたものがあった。その記事では、IOCからスポーツ振興のために巨額の金がISFに流れるだろうということ、そしてリアムが所有するWoodwardへの参加者も確実に増えるだろうということが書いてあった。こうした記事を読むにつれて、自分の中で疑念が出てきた。


だが、カーニーに話を聞いて、リアムの動機について少し安心できるようになった。

「俺はゲイリー(リアム)のことをよく知ってるから言えるけど、彼はスケートボードをレイプしようとなんて考えてないよ」

「長年サマーキャンプを開いて子供たちがスケートできる場所を提供してきているし、実際よくやっているよ。彼はもっと大きな絵を描いているんじゃないかと思うんだ。スケートボードと、それが子供たちに与える独立心やクリエイティビティ、自信なんかの価値についてね。」


実際にリアムと話がしたいと思いカーニーに相談すると、彼は電話でリアムと話せるようにしてくれた。そこでリアムから、今まで自分では思いもよらなかった話を聞かされた。アメリカでは、スポーツに特に政府から補助金が出たりはしないが、他の国ではそういったお金があるそうだ。そしてスケートボードがオリンピック競技になれば、そうしたアメリカ以外の国のスケーターたちにとって大きな恩恵があるという。

例えば、オリンピックから得たお金で、エストニアなんかにもスケートパークが沢山できるようになる。リアム自身はスケーターではないけれども、俺たちスケーターがやっていることのクリエイティブな部分を理解し、それを守っていくべきだと考えている。スケートボードがオリンピック競技になることで彼が一番心配しているのは、フィギアスケートや体操のように、オリンピックの古臭い堅苦しい採点方法によって、スケートボードのクリエイティビティが殺されてしまうことだ。リアムは、オリンピック委員会には、スケートボードは他のスケートコンテストと同様の採点方法を取らせ、体操やアイススケートのような採点方法にはさせない、ということを話してくれた。リアムや他のISFのメンバーたちが願っているのは、「勝者と敗者」に分けるオリンピックのメンタリティの中で、スケートボードのクリエイティブな精神を保つことだ。


そこに金が生まれている限り、スケートボードを利用して、パッケージ化し大儲けしようと企む連中は出てくる。そして間違いなく、将来オリンピックはスケートボードを競技に加えることになるだろう。それが2016年か2024年か、それともその後になるとしても。最悪だ。しかし、デイヴ・カーニーやトニー・ホークのような人たちがいて、スケートがオリンピック競技になることのダメージを最低限に食い止めようとしているのを知って、俺は少しだけ安心できるようになった。まだ俺たちには希望があるのかもしれない。



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上の記事が出たのが2012年9月4日。

で、約一年後の2013年10月22日にこの件の情報が更新されました。

元記事:
http://www.jenkemmag.com/home/2013/10/22/the-push-for-skateboarding-the-olympics-continues/

ISFからこんな動画が出てました。今はISFのHPから削除されてますが(たぶん苦情が半端なかったんだと思う)、Vimeoに残ってます。



ひどい。へぼい。ダサい。ありえん。
なんすかこれは。

しかも上の記事だとISFにはトニー・ホーク、クリス・ミラー、トッド・スワンク、デイヴ・カーニーらが関わってると書かれていますが、サイトを確認しても彼らの名前はありません。

で、役員のページを見てみると、はっきり言って誰やねんお前ら状態です。

勝手にオリンピック競技にされちゃう前に、我々もいろいろと知ってないとマズイかもですね。