2016年5月23日月曜日

Mike Carroll JENKEMインタビュー


JENKEMに載ってたマイク・キャロルのインタビューです。もちろんマーク・ジョンソンがLakaiを辞めた件も語っております。




photo: nick zegel


スケートボーディングは、常に一つの大きな家族のようなものとして考えられてきた。スケート業界がどれほどの金額を動かすようになっても、俺たちはカンパニーのオーナーとそのライダー、つまり雇用者と被雇用者の関係は、むしろ兄弟(姉妹)のような関係であって欲しいと思っているし、これはスケートの歴史の初めから続く考え方だ。この歴史を受け継ぐ、GirlそしてLakaiの創設者の一人であるマイク・キャロルほど、スケーターとして会社を運営すること、そしてスタイリッシュにボードに乗ることを同時に実現できた例は少ない。

しかし、大企業が参入してきて外部からの金がスケート業界に流れ込むようになり、そして人気スケーターたちが引退間近にまで年をとってきた今、この昔ながらのファミリー的考え方は失われつつあるし、この急速な変化はどうしても目に入ってしまう。皮肉な話だが、スケーターたちは自分たちだけで業界を回していくには大きすぎるほど、スケートボーディングの価値を自分たちで高めてしまったのかもしれない。

キャロルが経営するカンパニーも、現在のこうした厳しい状況と無関係ではいられない。ジノがChocolateから去り、今年の初めにはマリアーノとコストンがGirlから去った。そしてマーク・ジョンソンがLakaiを去り、Adidasのライダーになったことがアナウンスされた。マークがAdidasのライダーになったというニュースを先週土曜日の朝に知り、事の成り行きを把握しようとしていたとき、なんとマイク・キャロル本人から、今Lakaiで起きていること、そしてCrailtapの将来について話したいと電話があった。



photo: ben colen

ここ最近GirlとLakaiのチームや会社内部で色々と変化があったみたいだけど、僕たちに知っておいて欲しいことってある?それとも偶然色々タイミングが重なっただけ?

俺も辞めていった人たちの理由は何なんだろうって、あれこれ推測するしかないんだけど、40歳になった大人が大人の決断をしたっていう感じだと思う。15とか25とかの若い時はスケートだけしてればいいし、お金のことは家賃と光熱費のことだけ考えていればいい。でも今じゃ彼らも家を持ってて子供もいて、嫁もいて、考えることがたくさんある。そのくらいの年齢の大人が持ってる、スケートの世界とは別の仕事のスキルを身につけたければ、それはもう違う世界だからさ、俺たちみたいな当時17歳と19歳のガキが始めたスケートボード・カンパニーで働いていても学べないよね。


コストンとガイが辞めたとき、もっと大きなアナウンスとかあるかと思ってたけど、インスタグラムにちょいとアップしただけだったね。それ以外の(アナウンスの)計画とかはなかったの?

そうだね。残念だった。エリックは簡単なインスタのポストじゃなくて、もっと盛大な感じで送り出すべきだってくらい、長年ほんとに多くのことをやってきてくれたからね。ああいう感じになってしまったのは色々理由があるんだけど、あれはエリックの責任でも俺たちの責任でもない。俺たちが聞いていたよりも早くアナウンスが動き始めちゃったから、それに合わせるために俺たちもインスタで早急にアナウンスしなくちゃならなかったんだ。でも彼らに対して何も悪く言うことはないし、彼らも俺らに対して何もないと思ってるよ。



ガイとコストンが辞めた後、ビーブルのパークで鉢合わせして、元カノと会ったときみたいな気まずい感じになったりしなかった?

(笑)俺はあのパークにいつも行ってるけど、彼らは来ない。一回だけ鉢合わせしたことあるけど、元カノみたいな気まずい感じにはならなかったよ。子供もいて養う家族もできたこの歳になると、決断ってのも(ガキの頃とは)全然違うよ。だから誰かが辞めて別のところに移りたいなら、それを引き止める理由はない。俺たちの側からするとちょっと辛いけどね。

俺たちは昔から契約書は作らないことにしてるんだけど、ブライアン(アンダーソン)とアレックス(オルソン)が辞めたとき、それを考え直させられた。商品を捌けさせるために少し時間をくれって言ったんだけど、アレックスはすぐにでも終わらせて公表したがってさ、あれはちょっと性急すぎた。


“FOR GIRL AND CHOCOLATE WE NEVER HAD CONTRACTS, 
BUT WITH LAKAI WE ALWAYS HAVE.”

ライダーと契約書を交わしたことがないってクールだね。

Lakaiは創立以来ずっと契約書を交わしてるけど、GirlとChocolateではライダーと契約書を交わしたことはないんだ。でも、永遠に続くものなんてないってことに気がついちゃったから、その方針を変えなきゃいけないかもしれない。今までは信頼の握手で十分だった。俺たちのやってることに賛成できなければ、よそに移ってもいい。ただ仁義だけは通してくれっていう感じだった。そんな感じでやっていきたかったけど、今のご時世そういう風にはやれなくなってきてるね。


photo: ben colen

GirlとLakaiは今どんな状況なの?新しいビデオを作ったりしてる?

Lakaiのビデオを制作中だよ。Lakaiのライダーたちで色んなところに行ってる。それが次の大きなプロジェクトだね。撮影はフェデリコ(ヴィテッタ)と、ダニエル・ウィートリー。メザにも幾つかのラフカットで手伝ってもらってる。ビデオの編集はメザがやることになるかも。まぁでも、フェデリコとウィートリーがメインで動いてるよ。

マイク・モーはスケートを再開してる?重傷を負ってたんだよね。

うん、彼は今スケートを再開してるよ。トリックをちょこちょこ出来るようになってきてるけど、まだ100%じゃない。かなり大変だよ。もし自分がモーの立場で同じ目に遭ってたら、気がおかしくなってたと思う。膝をひねったときに神経かなんかを伸ばしてしまって、脚が基本的には麻痺してしまったんだ。そういうのをドロップ・フット(下垂足)って言うらしい。つま先を上げたいときに上げられるように、スプリングのついた補助器具を着けてたんだけど、何も着けずに立った状態で脚を上げたら、ブランブランの状態になる。カミソリを当てたとしても、何も感じないかもしれないってくらい。

モーはスケートがしたくてたまらないんだ。彼が今の身体の状態でも完璧にトリックを決めてるのを見ると、本当に嬉しいよ。俺がそんな気持ちになってるときは、彼はその百倍くらい最高に嬉しいだろうけどね。一生スケートだけしていたいってくらい、あいつは本当にスケートが大好きなんだ。

キッズと一緒にあの事故に遭っちゃって、マイク・モーが受けた悪影響って他に何かあるかな?

ゴルフカートを運転してあの事故(訳注:モーが運転しててカートが横転、自分以外にも人が乗っていた為、ドライバーの責任としてみんなを助けようとして足を突き出した結果、脚ががっつりあらぬ方向に曲がったそうです)が起きたこと、そしてその結果の怪我やら諸々、モーがそんな目に遭うべきだったかどうかに関係なく、それは起きてしまったことだ。こんなに長くスケートできなかったことが、一番キツかったことじゃないかな。良かったのは、この事故で彼の責任では誰も怪我しなかったことだね。


photo: ben colen


Girlで一番ボードが売れてるのは誰?

俺だよ・・・

はい(笑)。マルトとかはどう?

もちろん俺だよ・・・キッズは40歳のおっさんが好きなんだ。ってそれは冗談だけど、ころころ変動するから(誰が一番売れているか)はっきり言えないよ。実は秘密でJカサノバとのコラボデッキを売ってるから、たぶんジェレミー・ロジャースなんじゃないかな。

あの有名なCrailtapのパークはなくなっちゃったよね?何があったの?

別の場所にFourstarとLakaiの倉庫を持ってたんだけど、それじゃ効率がよくないから、パークを潰して倉庫にすることにしたんだ。お陰で全商品を同じ敷地内に置けるようになった。でも来年までには場所を作ってパークを復活させたいと思ってる。

マーク・ジョンソンがLakaiを抜けるっていう噂がずっとあったけど、本当に抜けてadidasのライダーになっちゃったね。何があったの?

その噂は何年もあった。マークにはadidasからずっとオファーが来てたからね。でも当時はマークも正直にオファーが来たことを俺たちに教えてくれたから、それと同等の給料を彼に支払うことができた。全て何の問題もなかったよ。当時は彼自身、辞めたいと思ってなかったと思うし。Lakaiに残りたがってたと思う。

財政的に、みんなも知ってると思うけど、特にここ何年かはタフな状況だ。財政的な立て直しをしなくちゃならなくて、みんなの給料を見直したり減給しないといけなくなった。マークも含めてね。でも彼はそれを理解してくれたし、ちゃんと話し合った。

でも最近また財政的な決断を迫られることになって、またマークの給料を削る必要が出てきた。何年もずっとマークにはいい給料を払ってきたし、彼には手をつけないように最善を尽くしてきた。財政的に苦しくて他のライダーの給料をカットしないといけなかったときも、マークは減給しなかった。ずっとマークのことは守ってきたんだけど、とうとう他に削るところがなくなってしまった。

減給をしないといけなくなって、本当に残念だって彼に話した。何年もLakaiのために血や汗や涙を流して懸命に働いてくれたのに、(こんなことになって)このまま残り続けろって言うのは申し訳ないってね。しばらく話し合ったけど、彼がadidasに移籍するだろうなってのは分かってた。またその噂が立ち始めたけど、それはお互い話し合って納得し合ったことだよ。悲しかったけどね。「もっといい条件のところに行ったほうがいいと思う」なんて彼に言わないといけないなんて、最悪だった。あいつらの攻勢は凄まじいよ。マークはもうすぐ40歳になるし、この歳になったら自分のための決断をしないと。結局Lakaiに残ることにして、後からその決断を後悔したりして欲しくなかった。

一ヶ月くらい前に契約破棄の同意書を彼に送ったんだ。同意書で、今ある商品を売り切るために移籍のアナウンスはしばらく待ってほしいっていうお願いをした。同意書は俺たちと商品を守るために作ったんだ。でも同意書については話し合いでどうとでも変更できるってことも彼に伝えた。とにかく、しばらくの間は大人しくして欲しいっていうお願いをしたんだ。お願いしすぎなのは十分わかってたけど。でも、そうしてもらうことにお金を払ってる感じだったからね・・・でもまた移籍の噂がどんどん出てきた。それで彼に連絡を取ろうとしたんだけど、二日間くらいずっと返事がなくて。「Away Daysのプレミアで君の移籍がアナウンスされるって噂を聞いたけど、どうなってるんだ?」って率直に聞いた。俺は移籍は今年の夏か7月くらいだと思ってた。

ようやく彼から電話が来て、「明日アナウンスなんてないよ・・・誰がそんなこと言ったの?」って言われた。それで「明日は何もアナウンスはないんだな?」って聞いたら「ない」って答えだった。そして次の日、アディダスのプレミアに行った人から「マークがビデオの中でアナウンスされてたよ」ってメールで知らされた。マジかよ・・・って感じだった。つい前日の夜に電話で話して、何もないって言ってたのに。

俺に電話で話すくらいできただろ、向こうとの契約の関係とかでアナウンスを遅らせるのはちょっと難しい、とかさ。俺たちは友達なんだから、話してくれればいいじゃん。友達じゃないとしたら、弁護士呼んできて話そうぜってことだよ。


photo: nick zegel


君たち二人は仲直りしたの?今はお互い話せる状態?

彼からの唯一の返答は「君は同意書を読んだ?」だった。まるで同意書に何か問題があるかのような口ぶりだった。それ以外は彼から何の返答もないし、たぶんこれからも返答はないと思うよ。真正面から嘘をつかれた。アナウンスとか何もないって言ってたのにね。彼から要望があれば、いくらでも同意書に変更なんてできたのに、電話でクソみたいな嘘をつかれた。相当ナメてるでしょ。チームのことも馬鹿にしてる。あんな形でマークがadidasに加入したことを知ることになるなんて、チームの俺たちにとって最悪な夜になった。俺たちは友達だと思ってたのにね・・・

はっきりさせておきたいんだけど、彼には他にいいオファーがあったらそっちに行っていい、ってことは言ってたんだよね?ということはマークがLakaiを辞めたことに腹を立ててるんじゃなくて、君たちに時間をくれなかったことに腹を立ててるの?

俺が怒ってるのは、プレミアの直前の夜に、アナウンスなんてないって嘘をつかれたこと、そして弁護士を通して解決しようって言われたからだよ。シューズのデザイナー、営業、プロダクション、チーム、Lakaiのみんなが彼のために今まで一生懸命働いてきた。それなのに、アディダスのプレミアに行ったら予想もしてないパンチが飛んできた。あんな形で知ることになるなんて、俺たちが馬鹿みたいだろ。俺に男らしく正直に話すこともできない、あの異常な嘘つき野郎のせいでさ。

プレミアの前の夜、マークと俺が電話で話したときに言ってくれたらよかった。その時に俺は怒ったかもしれないけど、少なくとも彼は正直に話してくれたことになるし、俺からチームに連絡もできたから、あんなプレミアで知ることにならずに済んだ。個人的に色々あるのも知ってるし、彼のプライバシーも尊重してるし深入りはしない。ただ、彼が今回のことで取った行動には、本当にがっかりしてる。彼が自分を弁護するために何を言うのか興味があるね。自分の行動を正当化するためにどんな嘘を言うのか。


“IT JUST MAKES US LOOK LIKE FUCKING IDIOTS, 
BECAUSE THIS DUDE IS A PATHOLOGICAL LIAR.”

これからリリースされるマーク・ジョンソンのLakaiのプロダクトはどうするの?こういう事が起こった時、普通の会社だったらどうするの?

在庫を全部あいつの家に着払いで送りつけるね。ペニスバンドもつけて、ワセリンなしでこれでもケツにぶっ刺しやがれ!ってね。まぁ今俺たちがやることは、まず最初に、あいつはChocolateをクビだ。メールを送ったりもしない。これを読むか、誰かから聞かされて知ることになる。どうせ既に彼の中では辞めたことになってるかもしれないけどね。たった今から、マークはChocolateをクビだよ。それに関して揉めようがどうしようが、やることをやるだけだ。シューズに関しては・・・既に生産に入ってるやつが沢山あるから、こういうことが起きた場合、普通は法的措置を取るんだけど、それって俺たちらしくないよね。だから優先順位のトップではないけど、そういうことも考え始めてる。

ううう、こうすれば丸く収まるとか、マークから何か埋め合わせできることってないかな?

俺たちはお互いいい関係だったと思ってたけど、今はもう仕事上の関係はない、以上。って感じだね。今後お互い顔を合わせることはないと思うよ。今まで疑問に感じることがあっても、良い奴の面もあったから、良いように解釈してあげてたけど、あんな嘘つき野郎になった今じゃもう何も信用できない。スケーターとしては素晴らしいよ。それは誤解しないで欲しい。彼が史上最高のスケーターの一人なのは間違いない。でも、そいつがどんなに素晴らしいスケートボーダーだろうと、誠実じゃなかったらさ・・・信用できないやつとは付き合えない。


photo: ben colen


面白い仮説があるから聞いて欲しいんだけど。

ほんと?俺もあるよ。20年説。

なにそれ?

20年説ってのは、Girlの20周年にブライアン(アンダーソン)とアレックス(オルソン)が辞めて、Chocolateの20周年にジノ(イアヌーチ)が辞めた。20周年には良いことが起きないっていう説。

ということは、20周年の呪いが来る前の19年目で会社を止めればいいのかな?

そうだね、そういうことになるね。会社のポリシーとしては一番大事だと思うよ。19年目で止める。(笑)

それか20周年はスルーして、19年目の次は21年目にするとか・・・

エレベーターの階みたいにね。20は新しい13(不吉な数字)だよ。

photo: ben colen


ネットで面白い仮説を見つけたんだけど、スケート業界に入ってきてる大企業シューズメーカーは、小さなインディペンデント・ボードブランドを後押ししてハードグッズ市場にブランドを沢山溢れさせることで、君たちCrailtapやDwindle(Fallenが倒産する前)みたいなブランドの注意をシューズブランド(Lakai)のセールスよりも、ボードのセールスが落ちてきてることに向けさせて、そっちに時間と人材を使わせようとしてるんじゃないか、っていう説があるよ。

(笑)大企業はそんくらいエグいことを考えててもおかしくないとは思うよ。誰に言われたかは忘れたけど、そういう大企業シューズメーカーで働いてる奴が言ってたんだけど、そこでは5年計画のミーティングがあって、誰を蹴落とすかっていうのを詰めていくらしいよ。”戦略”として。「このライバル会社を追い出すにはどうしたらいいか」ってね。そしてターゲットを特定の会社に絞るらしい。超エグいよ。でもスケートの最高なところってREAL、FA、Creatureみたいに色んなカンパニーが沢山あることでしょ。みんなでスケートボーディングを作ってるんだ。他の会社を蹴散らそうとする会社ってさ・・・もう既に居場所は確保できてるんだから、別に他の会社を潰す必要ないだろ、っていう。スケーターを一人残らず自分のものにする必要なんてないよ。こんな話しをしてもしょうがないけど。

キャスパーっていうクソ野郎の話はしたっけ?カーステン(クリッパン)が、Lakaiのイントロビデオをリリースしたその1週間後にNIKEに移籍したときのこと覚えてる?あの時はマジで「おいおい何だそれ?」って感じだった。そしたらそのキャスパーってやつがサム(Lakaiのチームマネージャー)に電話してきてさ、「カーステンがLakaiを辞めたけどさ、俺たちとしてはElementも辞めさせたいんだよね。もっとクールなカンパニーのライダーになってほしいんだけど、彼をGirlのライダーにしてくんない?」なんて言ってきやがった。お前マジでそこまで馬鹿か?って思ったよ。マジでそれをクールだと思うのか?俺たちはカーステン・クリッパンをLakaiに迎え入れられて超喜んでたんだ。でもイントロビデオを出した瞬間に出ていった。そしたらキャスパーって奴がそのカーステンをGirlに入れさせようとしてきた・・・ファックだ。キャスパーって奴はクソ野郎だよ。

俺には君たちがターゲットになってるように思えるんだけど・・・

(笑)誰かがマスター・プランを作ってるんじゃない?こういう風にしてFourstar、Lakai、Girl、Chocolateをぶっ潰そうってさ。まぁ冗談だけど。でも実際俺たちがターゲットになってるとするなら、それは俺たちはライダーや従業員を超慎重に選んでるからだよ。全員ヤバいやつしかいないから、俺たちがターゲットにされるんだ。俺たちがイケてるから、あいつらは俺たちの持ってるものを欲しがるんだよ。(笑)


Intro: CK (@cnkerr)
Interview: Ian Michna
Photography: Ben Colen (@bencolen) & Nick Zegel (@zeegisbreathing)
Share this with your mom on Facebook
Report this as inappropriate on Instagram


2016年5月16日月曜日

Louis C.K. on Cell Phones ルイスCK 携帯について



自分の大好きなルイスCKというコメディアンがいるんですが、
そのルイスCKがこれまた自分の好きなトークショーホスト、
コナン・オブライエンの番組にゲスト出演したときのものです。

この人のスタンドアップ(漫談に近いもの)の翻訳したい・・・
お仕事のご依頼お待ちしております。


2016年4月18日月曜日

ALI BOULALA ON HIS SECRET TRIP TO LYON WITH THRASHER MAGAZINE 日本語訳




AFTER SKATEというサイトにあった、アリ・ボウララが、ジョーズがこの伝説の25段ステアを飛んだ時の裏話を語っているインタビューです。

AFTER SKATE:http://afterskate.com/

Thank you Mark for letting me translate this article!


ALI BOULALA ON HIS SECRET TRIP TO LYON WITH THRASHER MAGAZINE

Photo: Olivier Chassignole

数は少ないものの、誰もが知っているスポットといえばカールスバッド・ギャップ、EMBのゴンズ・ギャップ、ウォーレンバーグなど色々ある。何故これらのスポットが有名になったのか。それはスケートボーディングの進化を後押ししてきたからだ。それはまるで昔話のヒーローが輝かしい勝利を通して栄光を手に入れ、歴史にその名を刻むのと同じように、これらのスポットはスケーターにとって攻略すべき場所、現代のクエストとなった。しかしリヨンにあるこの25段ステアは他の有名スポットとは訳が違う。なにしろこのスポットに住む魔物は誰も倒せず、魔物の塔から姫は救出されていなかったのだ。

だからこそ、この25段ステアは伝説のスポットになったのかもしれない。このスポットはここで最終章なのか?そう誰もが思っていたが、つい最近スラッシャー・マガジンがアーロン・”ジョーズ”・ホモキを主人公に、新しい章の扉を開いた。




もうこのスポットは放っておいて、伝説は伝説のままにしておくべきか?それとも誰かが挑戦すべきか?何年もスケーターの間で議論が交わされてきたが、ついに今回決着がついたのだ。しかしそれでこのスポットの特別感は失われてしまったのだろうか?それとも、むしろ今まで以上に面白いことになったのだろうか?

ジョーズがメイクしたという噂が事実で、そこにアリも関わっていると聞き、その時何があったのか聞きたくてたまらなくなり、アリにインタビューを行った。以下、アリが語ってくれた話を紹介しよう。



この話はどうやって始まったの?

スラッシャーのマイケル・バーネットからメールが届いたんだ。彼とは長年の友人だし、一緒にたくさん写真も撮ってきた。今回のメールは「ヘイ!ミスター・ホモキとリヨンでトップシークレット・ミッションがあるんだけど、君にも参加して欲しい」ってことだった。ホモキの名前を見てすぐに、ああ、あのジョーズって奴があの25段ステアを飛ぶんだな、ってピンときたよ。実際その通りだったし。それからフレンチ・フレッドに「スラッシャーがジョーズとミッションあるから俺もリヨンに行くことになったよ」って電話した。その後知ったんだけど、実はジョーズは1年前くらいにすでに一回トライしに行ってて、でもメイクできなかったんだ。その時何回くらいトライしたか知らないけど、たしか8回くらいトライして、最後はボードが折れて鬼スラムして膝を強打したらしい。


スラッシャーが俺に連絡をよこしたのは、俺のノウハウが必要だからってことで、俺のためにリヨン行きの飛行機のチケットを手配してくれた。俺も暇だったし、リヨンに行ったよ。5日間くらいいたのかな、そこでジョーズに会ったんだけど、俺がこのミッションに参加しに来たことをすごく喜んで興奮してた。「Sorry」は彼が初めて見たスケートビデオのひとつだって言ってたよ。

Ali and Michael Burnett (Photo: Ali Boulala)

そして25段のステアに行ってジョーズがトライを始めた。何回トライしたか忘れたけど、その日はメイクできなかった。何回かトライした後でセキュリティーからキックアウトされたんだ。俺は内心ジョーズはメイクできないんじゃないか、そもそも不可能なんじゃないか?って思った。セキュリティーにキックアウトされて分かったけど、向こうも俺たちがなんでここにいるのか知ってるようだった。面白いのは、俺たちが泊まってたホテルって、まさにあのステアがあるホテルだったんだ。俺だけじゃなくみんなも思ったかもしれないけど、セキュリティーのせいでメイクするのは無理なんじゃないかって思ったよ。

君がトライしたときは何かトラブルとかあった?

いや、なかったよ。それも今回と違ったところだね。あの時は特に準備もせずにあそこに行ってトライしたんだ。でも今回はカメラが8台も至る所にあるし、大人数での撮影だった。ジョーズの親父まで来てたよ!俺がトライしたときはフォトグラファーのフレッドと俺だけだった。二回目に行った時は、他にジェレミー・ダックリンが加わっただけ。でも今回はカメラを何台も使った大掛かりな撮影だったし、とにかく人が多かった。誰かがスケートのトリックをトライする為に、ここまでするって何だかちょっと変な感じだったよ。

でもそれはこのスポットだからだよね。このスポットに関しては全てが文字通りビッグだよ。

ハハハ!そうだね。でも俺はあそこをスポットとは呼ばないよ。普通あんなところにスケートしに行ったりしないだろ。さっき言ったみたいに変な感じはしたけど、あの場所がそれだけ伝説化して、クールでもあったよ。それでさ、ジョーズはトライし続けたんだけど、一回ウィールが吹っ飛んじゃって。板の上に着地したんだけど、ウィールが吹っ飛んでスラムしちゃったんだ。それを見てまた思ったよ。たぶんスケートボード自体があの衝撃に耐えられないんじゃないか。人の問題じゃなく、ギアの問題なんじゃないか?ってね。だからその時はまだメイクは無理だろうって思ってた。でも同時に、もし可能だと思ってなかったら、そもそも俺も最初にトライなんかしてなかっただろうとも思った。

ジョーズは全部で何回くらいあのステアにトライしに行ったの?

うーん、たぶん全部で5回くらい行ったと思うよ。

そんなに?

そうだよ!初日にすぐに行ってトライしたんだけど、スラムしてセキュリティーが来て終了。それで次の日にまた再トライした。

すぐ次の日にあのステアを再トライするなんて、聞いただけでゾッとするよ。

ほんとその通りだよ。次の日は最初からセキュリティーが立ってて、ステアをブロックするフェンスまで立ててあった。何から何まで不可能に思えたよ。でも俺はみんなに言ったんだ。俺がトライしたときも、全部で4秒くらいしかかからなかった。だからフェンスをどかして飛んでしまえばどうってことない。セキュリティーと交渉して許可をもらおうとかしないほうがいい、ってね。やるしかないんだよ。メイクするかしないかだ。それでジョーズがまず一回だけトライした。フェンスを移動させて、トライしたんだけどメイクできなくて、セキュリティーも当然ブチ切れ。どんな流れでそうなったのか正確には覚えてないけど、とにかくそういうことがあった。それでホテルのスタッフと話して許可をお願いしてみることにしたんだけど、一人が「OK、この日のこの時間なら俺たちのボスはいない」って言ったから、それでその日のその時間に行ったんだ。でもセキュリティーからは出てけって怒鳴られた。でも出てけって言われても、俺たちそこのホテルに泊まってたからね。

Security problems (Photo: Ali Boulala)


みんなだんだん不安になってきて、トライを続けるために飛行機のチケットを延長すべきかどうかって話し始めた。でも結局「明日が最終日だ。明日決めるしかねぇ」ってことになった。そして確かフレッドだったと思うけど、ホテル側の誰かと話をつけてきて、「この日、この時間に一時間だけやる。それだけだ!」って言ってもらえたんだ。それでもう、その時にやれるかやれないかっていう状況になった。

最終日にジョーズがトライを始める前に、彼に「グラブするのかしないのか」って聞いてみたら、「たぶんグラブする」って答えだった。その時初めて「ああ、そっか・・・」って気分になった。俺は心の中で、グラブなしのレギュラー・オーリーで飛んで欲しいって思ってたんだ。もちろんグラブを入れてもハードだよ。でもそれじゃ別のトリックになっちゃうだろ?だから普通にオーリーして欲しかった。でも誰かに何をすべきで何をすべきじゃないかなんて言う権利は俺にはない。それに彼はメイクしたし、俺はメイクできなかった。

それと、今回ジョーズには十分なスピードをつけるためのバンクもあった。俺の時はただ狂ったように鬼プッシュしただけだったけどね。

スピードが重要なキーになるってのは、みんなが話してたことの一つだよ。

その通り!俺もあの時それをちゃんと考えてれば良かったのかもね?ジョーズはさらに賢くて、大きな柔らかいウィールを使ってた。あそこのフラットはそれほどいい路面じゃないからね。

そこまでちゃんと考えてなかったのを後悔してる?それとも別に気にしてなかった?

そうだね、そういうことは全然考えてなかったな。でも俺が最初のトライをした後、Flipが別のボードを俺に用意してくれたんだけど、それは厚めの板だった。たしか8プライの板だったかな?厚いし強いから、それを使ってみろって言われた。でも俺は自分が普段乗ってるもの以外を使う気になれなかった。ファーストライの後、フレッドから彼の板のほうがワイドだから、彼の板を使ってみてって言われたのを覚えてるよ。でも2回目のときは、自分の板を使いたかった。結局どんな板を使おうが関係ないと思うんだ。ただまぁ、大きなウィールを使ったりしたほうがいいのかもしれないけどね。でもメイクするかしないかって話なんだから、あんまり細かいこと言っても意味ないと思う。

彼がメイクしたことは最高にクールだ。でもメイクしなかったとしてもクールだったよ。俺が来たことを喜んでくれたし、楽しかったからね。俺があそこにいた理由は、バイブスを上げて彼のやる気を引き出すことだったんだと思う。

コンサルタントとして雇われたってわけね。

ハハハ!彼らからは俺の”ノウハウ”が必要だって言われたけど、俺にできること、言えることなんてたかが知れてるよ。ここでジャンプして、こうやって、着地するんだ!くらいしか言えない。そもそも俺はメイクしてないんだから。




ジョーズがメイクしたとき、彼はドラッグも酒も入ってないクリーンな状態だった?

そうだと思うよ。俺はクリーンじゃなかったけどね!トライ前に葉っぱ吸っちゃって、いざトライするときに後悔したよ。今回のミッション中、ジョーズはメイクするまで酒なんて一滴も飲んでないと思う。みんなでシャンパンでお祝いしたとき、彼の親父が「イェー!ベイビー!」って叫んで、喜びで泣いてるのを見たよ。最初それを見たときは冗談かと思ったけど、マジだった。トリックをメイクして、あそこまでエモーショナルになったことが果たして俺にあるかどうか疑問だね。俺が若いころはむしろ正反対だった。泣くのはトリックをメイクできないときだけだったよ。200回くらいトライしてもメイクできなくて、情けなくなって涙が出てきたことってない?お菓子もらえなかった子供みたいに。でも今回は全く逆のパターンだった。ジョーズの親父は喜びの涙を流してたし、それは俺にも理解できた。不思議な光景ではあったけどね。ジョーズの親父がジョーズの元に走り寄って泣き出したとき、フレッドが俺にカメラを向けてきたから「あの人いま泣いてんの?」って言っちゃった。泣くとしたらむしろ俺のほうだろ!ジョーズが俺を歴史から葬り去ったんだから!ハハハ!

実際そんな風に思った?

ぶっちゃけちょっとはそう思ったよ。でもジョーズがやったのは別のトリックって気持ちがあるけど。

君の「Sorry」のパートのあの瞬間が伝説になったのは、単純にメイクできなかったからじゃないか、って話を以前したよね。スケートで可能なことの限界がついに示された、みたいな。

そうだね、あのパートのいいところはラストトリックがメイクじゃないところだって、どっかで読んだことがあるよ。普通はベストトリックを最後に持ってくるのに、俺のは失敗だからね。でもあのトライの後、あのステアはまだあそこにあるし、メイクは可能だと思ってた。でも俺は別のスポットで滑りたかったし、別のところで飛びまくったり、他のことをやってたら、結局再トライはしなかった。俺は”クリーンな”スポットでスケートしたかったんだ。ハハハ!

誰か他にトライするだろうと思った人、もしくはトライして欲しい人っていた?

ディエゴ・ブッチエリならやるんじゃないかってずっと思ってた。実際何度か行ってみたらしいんだけど、「ありえん。狂ってる。やりたくない」って言ったらしいよ。フレッドが俺にプレッシャーをかけるために「ジェイミー・トーマスがトライするらしいぞ」って言ってきたこともあった。アホなスコットランド人がトライしたんだけど、ボードなしでジャンプして大怪我したって話も聞いたことがある。両足骨折したらしいよ。Elementの奴らが行って「ナイジャならキックフリップできる」って言ってたとかも聞いたことがある。「はいはい」って思ったけどね。でもオーリーが可能ならキックフリップもできるかも。わかんないけど、でも誰もあそこでキックフリップなんてやりたがらないと思うよ。でもジョーズがメイクしたトライは、見ていてついにメイクするだろうなって思った。


French Fred and Daddy Jaws (Photo: Ali Boulala)

みんながこのスポットを”手付かず”のままにしておきたい理由のひとつって、ジョーズはすでにこれより大きなやつを飛んだことがあるかもしれないからかもね。でも別に誰もスポットの正確な高さと幅を測ったりとかしないでしょ?

今回はぶっちゃけ測ってたよ。メジャーであのステアの大きさを測ってた。不思議な光景だった。俺もジョーズに聞いてみたんだ、「これより大きいギャップ飛んだことあるんじゃない?」ってさ。そしたら「わからない。たぶん?あなたは?」って返ってきたから、「わかんない。スポットの大きさを測ったことなんてないし、ただやれるかどうかトライしてみるだけだから」って答えた。でも今回彼らはステアの大きさを実際に測ってたよ。

ジョーズがメイクするまで何トライかかったかわかる?

フレッドから聞いたところによると、全部で13回くらいトライしたらしいよ。100%確かじゃないけど。

全部のトライで、あの薄いヴォルカナイズのDeklineを履いてたの?

そうだ!そこもあった!ジョーズは服の下にパッドスーツを着てたんだ。ちょっとウケたよ。エルボーパッド、ニーパッド、ヒップ・プロテクションに、特別なインソール。メイクしたあと、ジョーズがそのパッドを脱いでいくところをフレッドが隣に立って撮影してた。それを見て「マジで?服の下にそんなの着けてたの?」って思わず聞いちゃった。そしたら「そうだよ、俺の防護服さ」だって。そこでフレッドが俺にカメラを向けてきて「アリ、君はこのステアをトライするとき何を持ってた?」って聞いてきたから「うーん、二日酔いの頭痛?」って答えた。





2016年4月8日金曜日

Ian Mackaye on Skateboarding 日本語訳



Minor Threat / FUGAZIのイアン・マッケイがスケートボーディングについて語ってる部分だけを日本語訳して字幕つけました。


オリジナルは2013年ワシントンDCのアメリカ議会図書館で行われたスピーチです。

最近の10代とかはMinor Threatとか知ってるんかな・・・?





ちなみにイアン・マッケイとよく日本表記されてますが、
発音からいうとイアン・マカイのほうが近い。

でも日本じゃマッケイで定着してるから
マカイって書くと逆に誰だかわからなくなるっていう・・・
なんとも言えない気持ち。

だいたいラ行もRで書いてるけど(例:ラーメン→Ramen)
発音でいったらラ行は絶対Lだと思います!!

っていうかあえてはっきり言おう、ラ行にRは間違っとる!!Lや!!
でも今更訂正無理なんや!!

最初が間違ってると、それが定着したとき直すのほぼ不可能になることって
なんか他にも色々ある気がするぜ!?

カート・コバーンもカート・コベインですから!!


2016年1月7日木曜日

プロスケーターの仕事の変化の歴史 by ランス・マウンテン

あけましておめでとうございます。

平成28年、西暦2016年一発目は、つい最近JENKEMに掲載された、ランス・マウンテンのインタビューです。

インタビューっていうか、プロスケーターの仕事とは何なのか、ということを、その変化の歴史とともに語ってくれています。ランス・マウンテンの言葉なので半端なく説得力があります。

根っこは何処へゆく」的にも面白いインタビューです。


元記事:http://www.jenkemmag.com/home/2016/01/06/the-evolution-of-the-pro-skaters-job-according-to-lance-mountain/
JENKEM:http://www.jenkemmag.com



photo: arto saari

この半世紀以上もの間、スケートボードに乗ることに対してお金が発生してきたなんて、信じられるか?まあ正確に言えば、それは正しくないんだが。単純にスケートをすること以上に様々なことが、プロスケーターの仕事には派生してくる。こうした派生的なプロの仕事は、業界と社会の変化とともに進化してきた。業界内部の視点からこのプロの仕事を理解するため、俺たちはベテラン伝記作家、ショーン・モーティマーに頼んで、プロ・スケートボーディングの始まりからキャリアを持つレジェンド、ランス・マウンテンに、このアホにたいなオモチャから金を生み出すために何が必要なのか、そしてそれがどう変化してきたかについて話を聞いてみた。業界で成功したいなら、ペンと紙を用意して、メモを取るといいだろう



始まり

1960年代、スケートボードが誕生した時期、ボードに自分の名前が載るのは有名なサーファーたちだけだった。デューク・カハナモクがプロボードを出してたんだけど、彼は伝説的なサーファーで、単に彼の名前が売れてたから、スケートボードにも彼の名前がプリントされていた。当時のスケートボードのカンパニーはサーフィンをルーツにしていたから、サーフィンの世界で有名な人の名前がスケートボードにも使われていたんだ。

でもスケート雑誌の登場とともに、そうした状況が変化してきたと、トム・”ウォリー”・イノウエが教えてくれた。1977年、彼はConcrete Wave Skateparkっていうパークでスケートをしていた。当時はシグネチャーモデルを出しているれっきとしたとしたプロ、ってのは存在してなくて、トム・シムスみたいな、つまりカンパニーのオーナーの名前が全てのボードに使われてるような時代だった。で、ウォリーがConcrete Waveで滑ってるとき、雑誌の撮影用にSimsのライダーが撮影しに来たんだけど、ウォリーのスケートがすごいことに気がついた彼らが、ウォリーにSimsのジャージを着させてフォトグラファーが写真を撮った。そしたらそれがSkateBoarder誌のセンターページに、見開きで掲載されることになったんだ。それからすぐに、ウォーリーはその年一番雑誌に載ったスケーターになり、それがプロの仕事となった。カンパニーの商品と一緒に雑誌に載れば、お金をもらえるんだ。ウォリーはSimsのライダーになり、その写真がきっかけとなってスケートで給料をもらえるようになった。その最初の写真が雑誌に掲載されて、初めてインセンティブをもらい、たまたまプロスケーターになれたんだってウォリーは言ってたよ。

ステイシー・ペラルタラス・ハウエルジェイ・アダムスヘンリー・ヘスラーのような、シグネチャー・モデルをリリースしているプロもいたけど、当時はかなりレアなケースだった。でもウォリーは、こうした自分の名前が載ったボードをリリースしているプロたちと同じくらい、もしくはより多く雑誌に載っていたんだ。だからみんなも次はトム・”ウォリー”・イノウエのボードが出るだろうって思い始めた。それでSimsはウォリーのボードを試験的に作り始めたんだけど、その頃に別のCasterっていうカンパニーからプロボードを出さないかっていうオファーが来て、ウォリーはそっちに移籍した。そのときにプロの仕事には、「雑誌に載る」ってこと以外に、「デッキのデザインにも関わる」ってことが追加されたんだ。スケーターほどボードに何が求められているのかを知っている人間なんていないんだからね。そうして、スケーターたちはオーナーと一緒にシェイプやレイアウト、合板の薄さ、テールのキックの強さなんかを共同開発するようになった。当時はまだ始まったばかりでお金もそんなに発生していなかったけど、それでもCasterはウォリーの家の家賃を払ってたと思うよ。当時のほとんどのブランドはサーファーの大人たちが経営していて、若い子たちとのコネクションを持ちたがっていたから、ウォリーみたいにプロダクト・デザインに貢献できて、雑誌にも載れて、しかも他の若いスケーターをスカウトして来れるような、若い人材が雇われるようになった。プロスケーターってのはこの時期に、アスリートでもあり、デザイナーでもあり、タレント・スカウトでもあり、チーム・マネージャーでもあるっていうハイブリッドな存在になっていったんだ。





1980S
80年代

80年代初期までには、プロの仕事ってのはコンテストで優勝することになった。個人的には、いいプロスケーターってのはコンテスト以外でも色んなやり方で他と競争できると思ってたけどね。でも80年代は、コンテストでいい成績を残すってことがプロの契約では暗黙の了解になってた。それをちゃんと理解してたやつらは成功したよ。素晴らしいプロであっても、その流れに従わなかった連中は消えていった。カンパニーはコンテストで優勝できるやつらに金を払ってた。雑誌もそれに拍車をかけたよ。ほとんどの記事は誰がコンテストで新しいトリックをやったかとか、誰が上位だったかとか、そんなのばかりだったからね。コンテストに関係してないような記事を大きく取り上げるってことは、ほとんどなかった。

Variflexのチームに俺が入れたのも、いくつかのアマチュア・コンテストで俺が優勝したからだよ。でも彼らが俺をプロに昇格してくれた1981年ってのはスケートボーディングはあまり人気がない時期で、月々のボードセールスのインセンティブなんて15ドル(約1500円)とかだった。トニー・ホークですら、月に稼いだお金が80セント(約80円!)なんて月もあった。プロの収入源はボードセールスとコンテスト、それとデモだった。コンテストで優勝すれば、300ドル(約3万円)くらいはもらえた。デモをすると50ドル(約5000円)くらい。80年代初期は、プロはマジで貧乏だったから金を稼ぐためだったら何でもやってたよ。俺もKnott’s Berry Farmって農場でポータブルのランプを持って行ってデモをやって1日50ドルとか、Ralph’sってスーパーの駐車場で新しいヨーグルトの販売促進のためにデモをやったりしたよ。当時はトラックやウィール、シューズのスポンサーからは給料なんてもらえなかった。

みんながなんとかしようとしてた。80年代中期になると、デモはスケートボーディングを広めるための草の根運動的な役割を担うようになってきて、最終的にはPowell Peraltaの契約書にも年間36回、彼らのためにデモを行うってことが明記されるようになった。コロラドまで車を運転して、ジャンプ・ランプを出して、それ使ってスケートして、ストリート・プラントを披露したりして、またそれを車に積んで、みたいなことをしてた。そのコロラドのデモでは、雪が降ってて見に来てた子供たちが寒いからって店の中に入っちゃって、万引きして帰っちゃった。それで俺たちを呼んだスケートショップのオーナーから俺たちに金を払いたくないとか言われたよ。店に貢献してないデモに金なんか払えるかってね。当時はデモの会場でどんなセクションが用意されてるのかも分からなかったから、どんなものでもスケートできないといけなかった。アリゾナのYumaでやったデモのときなんか、気温が40度近くあってアスファルトも溶けるくらい暑くてさ。ジャンプランプで飛び出して着地しても、その場で止まっちゃうんだ。ウィールが4センチ近く地面にめり込んじゃって、前に進めやしない。しかもサインもめちゃくちゃ書かされて、デモが終わったあと何時間もサインしっぱなし。80年代はサインを頼まれまくったけど、90年代になるとそれがなくなった。

一度誰かが何かで成功を収めると、業界の全員がそれに続く。ステイシー・ペラルタが1984年に史上初のスケートビデオを発表したときもそうだった。これによって、プロの仕事に新しい扉が開けた。このときから、初めてビデオパートってのがプロの仕事の大きな部分を占めるようになっていったんだ。1984年当時も俺はプロだったけど、パウエルに移籍したときの契約だとプロボードのリリースは予定されてなかった。でもこの最初のビデオに出演して、俺のボードの需要ができたんで、パウエルは俺のプロボードを作った。それからすぐに、フランキー・ヒルみたいなスケーターが、ビデオパートだけを理由にプロに昇格するようになった。史上初めてね。もうコンテストで上位に入ったり、デモで滑れるスケーターでなくてもいい。ただ、記憶に残るようなパートを作ればいい、ってことになった。年上のスケーターたちには理解不可能なことだったよ。彼らはビデオパートでプロになった奴らを、簡単にプロになりすぎだと考えてた。全世代のスケーターたちが、このビデオパート時代の到来に苦労してた。それまでのビジネスモデルが通用しなくなったからね。そして90年代になるころには、プロの仕事ってのは単純に、斬新なストリートパートを作ることになった。





1990S
90年代

90年代になると、コンテストはもはや重要ではなくなってしまった。誰も今までやったことのないトリック、つまりNever-Been-Doneなトリックを撮影して、イカれてるくらい進歩したスケートを見せるってことが全てになった。雑誌にもシーケンス写真は載らなくなった。(トリックが難しくなった分)トリックをメイクしてるところを撮影するためには、高価なフィルムを大量に使わないといけなくなったからね。だからビデオで撮影して、そこからキャプチャーしたものを載せるようになった。進歩的でないものは、まっとうなプロのスケートとは認められなくなった。新しいトリックをやっていないプロはプロを引退すべきだ、みたいな記事がよくあったよ。バーチカルのプロなんて完全に干されてた。ボードに座ってダウンヒルを楽しんだりとか、単に面白がってスケートしたい連中の多くは、そういう当時ポピュラーだった前衛的なスケートに魅力を感じられなくなって、スケートをやめてしまった。

この頃になると、プロスケーターの定義も曖昧になってきた。もしプロが「スケートをすることでお金をもらっている者」とするなら、この頃からアマチュアも正直全員プロと同じだよ。70年代から90年代になる前までは、アマチュアのコンテストにエントリーしても、もし主催者側が君がデモとかでお金を稼いでいることを発見した場合は強制的にプロとみなされた。でもこういうルールはビデオで適用されなくなって、90年代に入ると会社はアマチュアに車もあげるし、何でも買ってあげるし、別の会社から引き抜いて自分たちのビデオに出演させるために金を払ったりするようになった。

プロの中でも、人前でも上手にスケートできるプロと、斬新なトリックを撮影することに多くの時間を費やすプロに、大きく2分されるようになった。NBDのトリックをビデオに収めるようなプロなのに、デモでスケートできない、メイク率の低いプロが出てきた。トリックの革新に集中しすぎるあまり、昔できてたトリックができなくなってしまうんだ。

その反面、ものすごくスケートが上手いのに、それほど前衛的でないプロもいる。結論としては、このどちらかのプロとして優れていた奴らが生き残った。エド・テンプルトンやマイク・ヴァレリーなんかは、当時そうした優れたプロだったおかげで今でも生き残ってる。エド・テンプルトンマイク・ヴァレリーも、コンテストで優勝してたし、ツアーもやってたし、デモでも素晴らしいスケートをしてた。今でも彼らが名の通ったプロなのは、そういうことも理由のひとつだよ。





THE 2000S
2000年代

プロの生計の立て方は、2000年代に再び変化が起こった。服のブランドやシューズのスポンサーからも金が入るようになったんだ。Xゲームで一般大衆もスケートを目にするようになって、スケートと直接関係ないブランドからもスケーターたちは注目されるようになり、スポンサードされるようになった。そうやってプロの収入源は多様化していき、この時期にまったく新しい要素がプロスケーターの仕事に加わるようになった。それはメジャーのスポンサーがやれと言うことは何でも、プロスケーターの仕事になるってこと。成功しているプロの中には、ブランドのキャップを被ることだったり、コンテストのランの後にすぐにスポンサーのドリンクを飲むことなんかを、仕事としてやってる人たちがいる。ボードのスポンサーがいなくても、エナジードリンクのスポンサーから大金をもらってるプロだっていた。


THE 2010S
2010年代

この50年の間に色々なことが変わった。今じゃボードスポンサーは、そのスケーターをチームに入れる前に、そいつのシューズスポンサーや、他のメジャーなスポンサーが何なのかってのを気にするようになった。そういう他のスポンサーが、メディア露出のための多額の費用を払ってくれるからね。プロとスポンサーとの関係(どんなスポンサーがついているか)は完全に変わってしまったよ。現在のようなプロとスポンサーとの関係性は、ポール・ロドリゲスが現れるまで、スケートの世界では受け入れられないものだった。

ポールはリアルなスケーターたちからも認められつつ、企業スポンサーにも魅力的な存在となることに成功したんだ。それ以前は、コアなストリートスケーターたちは、企業からスポンサードされるようなプロを認めなかった。でもポールがその壁を壊すと、他のプロたちも、彼が手に入れたものを欲しがるようになった。今ではポールのやり方こそが、プロスケーターとしてベストな成功例だと考える全く新しい世代がいる。彼らのほとんどが代理人を持ち、企業スポンサーと広告出演の交渉を行っている。今はもう、全ては広告なんだ。

ソーシャルメディアの登場も大きいね。今多くのプロの契約書には、ソーシャルメディアを使ってスポンサーのプロモーションに貢献するってことが明文化してある。彼らはそのスケーターをスポンサーするかどうかを考える前に、まずそいつがソーシャルメディアでどういう活動をしているかをチェックしている。実際のスケートがいいか悪いかなんて分かってないよ。スケーターなら、スケーターを見ればそれがいいスケートかどうかちゃんと分かる。でも企業やビジネスマンにはそれが分からない。代理人だってそうさ。多くの代理人は、スケーターがスポンサーにとってより効率的な道具となるように、スケーターたちを作り変えられたと考えている。代理人によって色々と変わってしまったのは確かだけど、結局のところ、プロの仕事ってのはずっと変わってないんだよ。それは進歩を続け、スケートを好きになる人を増やすってことだ。それ以外の利益のことなんかは、自分たちがきちんと理解しているかどうかに関わらず、その仕事をやってるからこそ生まれるものだよ。

今はプロスケーターにとっていい時代だよ。今以上にスケートボーディングでお金を稼げるチャンスがある時代はない。でもスケートが今までと同じように成長していく保証もないし、変な感じにちょっと変わっていくかもしれない。何がいいプロスケーターかっていう議論には、誰もが参加できるし、それはスケートの歴史上今までにない状況だよ。トッププロですらソーシャルメディア上で叩かれて炎上したりするからね。

プロの仕事についての話をずっとしてきたけど、本当に素晴らしいプロっていうのは、単純に自分のボードを売るってこと以上のことをやろうとする人のことさ。本物の、記憶に残る、傑出したプロっていうのは、いつだって他人の考え方や気持ちを変えてきたし、それをすることでスケートボーディングの方向性を変えてきたんだ。

Words: Lance Mountain as told to Sean Mortimer (@judoair)
Original Illustrations: Michael Giurato (@badhairlife)
Fuck with us on Facebook
Don’t fuck with us on Instagram



にしてもこのCM、半端なくダセー・・・
オリンピックが近づくころには、日本でも誰かがこういうCMに出るようになるんすかね。