2016年5月23日月曜日

Mike Carroll JENKEMインタビュー


JENKEMに載ってたマイク・キャロルのインタビューです。もちろんマーク・ジョンソンがLakaiを辞めた件も語っております。




photo: nick zegel


スケートボーディングは、常に一つの大きな家族のようなものとして考えられてきた。スケート業界がどれほどの金額を動かすようになっても、俺たちはカンパニーのオーナーとそのライダー、つまり雇用者と被雇用者の関係は、むしろ兄弟(姉妹)のような関係であって欲しいと思っているし、これはスケートの歴史の初めから続く考え方だ。この歴史を受け継ぐ、GirlそしてLakaiの創設者の一人であるマイク・キャロルほど、スケーターとして会社を運営すること、そしてスタイリッシュにボードに乗ることを同時に実現できた例は少ない。

しかし、大企業が参入してきて外部からの金がスケート業界に流れ込むようになり、そして人気スケーターたちが引退間近にまで年をとってきた今、この昔ながらのファミリー的考え方は失われつつあるし、この急速な変化はどうしても目に入ってしまう。皮肉な話だが、スケーターたちは自分たちだけで業界を回していくには大きすぎるほど、スケートボーディングの価値を自分たちで高めてしまったのかもしれない。

キャロルが経営するカンパニーも、現在のこうした厳しい状況と無関係ではいられない。ジノがChocolateから去り、今年の初めにはマリアーノとコストンがGirlから去った。そしてマーク・ジョンソンがLakaiを去り、Adidasのライダーになったことがアナウンスされた。マークがAdidasのライダーになったというニュースを先週土曜日の朝に知り、事の成り行きを把握しようとしていたとき、なんとマイク・キャロル本人から、今Lakaiで起きていること、そしてCrailtapの将来について話したいと電話があった。



photo: ben colen

ここ最近GirlとLakaiのチームや会社内部で色々と変化があったみたいだけど、僕たちに知っておいて欲しいことってある?それとも偶然色々タイミングが重なっただけ?

俺も辞めていった人たちの理由は何なんだろうって、あれこれ推測するしかないんだけど、40歳になった大人が大人の決断をしたっていう感じだと思う。15とか25とかの若い時はスケートだけしてればいいし、お金のことは家賃と光熱費のことだけ考えていればいい。でも今じゃ彼らも家を持ってて子供もいて、嫁もいて、考えることがたくさんある。そのくらいの年齢の大人が持ってる、スケートの世界とは別の仕事のスキルを身につけたければ、それはもう違う世界だからさ、俺たちみたいな当時17歳と19歳のガキが始めたスケートボード・カンパニーで働いていても学べないよね。


コストンとガイが辞めたとき、もっと大きなアナウンスとかあるかと思ってたけど、インスタグラムにちょいとアップしただけだったね。それ以外の(アナウンスの)計画とかはなかったの?

そうだね。残念だった。エリックは簡単なインスタのポストじゃなくて、もっと盛大な感じで送り出すべきだってくらい、長年ほんとに多くのことをやってきてくれたからね。ああいう感じになってしまったのは色々理由があるんだけど、あれはエリックの責任でも俺たちの責任でもない。俺たちが聞いていたよりも早くアナウンスが動き始めちゃったから、それに合わせるために俺たちもインスタで早急にアナウンスしなくちゃならなかったんだ。でも彼らに対して何も悪く言うことはないし、彼らも俺らに対して何もないと思ってるよ。



ガイとコストンが辞めた後、ビーブルのパークで鉢合わせして、元カノと会ったときみたいな気まずい感じになったりしなかった?

(笑)俺はあのパークにいつも行ってるけど、彼らは来ない。一回だけ鉢合わせしたことあるけど、元カノみたいな気まずい感じにはならなかったよ。子供もいて養う家族もできたこの歳になると、決断ってのも(ガキの頃とは)全然違うよ。だから誰かが辞めて別のところに移りたいなら、それを引き止める理由はない。俺たちの側からするとちょっと辛いけどね。

俺たちは昔から契約書は作らないことにしてるんだけど、ブライアン(アンダーソン)とアレックス(オルソン)が辞めたとき、それを考え直させられた。商品を捌けさせるために少し時間をくれって言ったんだけど、アレックスはすぐにでも終わらせて公表したがってさ、あれはちょっと性急すぎた。


“FOR GIRL AND CHOCOLATE WE NEVER HAD CONTRACTS, 
BUT WITH LAKAI WE ALWAYS HAVE.”

ライダーと契約書を交わしたことがないってクールだね。

Lakaiは創立以来ずっと契約書を交わしてるけど、GirlとChocolateではライダーと契約書を交わしたことはないんだ。でも、永遠に続くものなんてないってことに気がついちゃったから、その方針を変えなきゃいけないかもしれない。今までは信頼の握手で十分だった。俺たちのやってることに賛成できなければ、よそに移ってもいい。ただ仁義だけは通してくれっていう感じだった。そんな感じでやっていきたかったけど、今のご時世そういう風にはやれなくなってきてるね。


photo: ben colen

GirlとLakaiは今どんな状況なの?新しいビデオを作ったりしてる?

Lakaiのビデオを制作中だよ。Lakaiのライダーたちで色んなところに行ってる。それが次の大きなプロジェクトだね。撮影はフェデリコ(ヴィテッタ)と、ダニエル・ウィートリー。メザにも幾つかのラフカットで手伝ってもらってる。ビデオの編集はメザがやることになるかも。まぁでも、フェデリコとウィートリーがメインで動いてるよ。

マイク・モーはスケートを再開してる?重傷を負ってたんだよね。

うん、彼は今スケートを再開してるよ。トリックをちょこちょこ出来るようになってきてるけど、まだ100%じゃない。かなり大変だよ。もし自分がモーの立場で同じ目に遭ってたら、気がおかしくなってたと思う。膝をひねったときに神経かなんかを伸ばしてしまって、脚が基本的には麻痺してしまったんだ。そういうのをドロップ・フット(下垂足)って言うらしい。つま先を上げたいときに上げられるように、スプリングのついた補助器具を着けてたんだけど、何も着けずに立った状態で脚を上げたら、ブランブランの状態になる。カミソリを当てたとしても、何も感じないかもしれないってくらい。

モーはスケートがしたくてたまらないんだ。彼が今の身体の状態でも完璧にトリックを決めてるのを見ると、本当に嬉しいよ。俺がそんな気持ちになってるときは、彼はその百倍くらい最高に嬉しいだろうけどね。一生スケートだけしていたいってくらい、あいつは本当にスケートが大好きなんだ。

キッズと一緒にあの事故に遭っちゃって、マイク・モーが受けた悪影響って他に何かあるかな?

ゴルフカートを運転してあの事故(訳注:モーが運転しててカートが横転、自分以外にも人が乗っていた為、ドライバーの責任としてみんなを助けようとして足を突き出した結果、脚ががっつりあらぬ方向に曲がったそうです)が起きたこと、そしてその結果の怪我やら諸々、モーがそんな目に遭うべきだったかどうかに関係なく、それは起きてしまったことだ。こんなに長くスケートできなかったことが、一番キツかったことじゃないかな。良かったのは、この事故で彼の責任では誰も怪我しなかったことだね。


photo: ben colen


Girlで一番ボードが売れてるのは誰?

俺だよ・・・

はい(笑)。マルトとかはどう?

もちろん俺だよ・・・キッズは40歳のおっさんが好きなんだ。ってそれは冗談だけど、ころころ変動するから(誰が一番売れているか)はっきり言えないよ。実は秘密でJカサノバとのコラボデッキを売ってるから、たぶんジェレミー・ロジャースなんじゃないかな。

あの有名なCrailtapのパークはなくなっちゃったよね?何があったの?

別の場所にFourstarとLakaiの倉庫を持ってたんだけど、それじゃ効率がよくないから、パークを潰して倉庫にすることにしたんだ。お陰で全商品を同じ敷地内に置けるようになった。でも来年までには場所を作ってパークを復活させたいと思ってる。

マーク・ジョンソンがLakaiを抜けるっていう噂がずっとあったけど、本当に抜けてadidasのライダーになっちゃったね。何があったの?

その噂は何年もあった。マークにはadidasからずっとオファーが来てたからね。でも当時はマークも正直にオファーが来たことを俺たちに教えてくれたから、それと同等の給料を彼に支払うことができた。全て何の問題もなかったよ。当時は彼自身、辞めたいと思ってなかったと思うし。Lakaiに残りたがってたと思う。

財政的に、みんなも知ってると思うけど、特にここ何年かはタフな状況だ。財政的な立て直しをしなくちゃならなくて、みんなの給料を見直したり減給しないといけなくなった。マークも含めてね。でも彼はそれを理解してくれたし、ちゃんと話し合った。

でも最近また財政的な決断を迫られることになって、またマークの給料を削る必要が出てきた。何年もずっとマークにはいい給料を払ってきたし、彼には手をつけないように最善を尽くしてきた。財政的に苦しくて他のライダーの給料をカットしないといけなかったときも、マークは減給しなかった。ずっとマークのことは守ってきたんだけど、とうとう他に削るところがなくなってしまった。

減給をしないといけなくなって、本当に残念だって彼に話した。何年もLakaiのために血や汗や涙を流して懸命に働いてくれたのに、(こんなことになって)このまま残り続けろって言うのは申し訳ないってね。しばらく話し合ったけど、彼がadidasに移籍するだろうなってのは分かってた。またその噂が立ち始めたけど、それはお互い話し合って納得し合ったことだよ。悲しかったけどね。「もっといい条件のところに行ったほうがいいと思う」なんて彼に言わないといけないなんて、最悪だった。あいつらの攻勢は凄まじいよ。マークはもうすぐ40歳になるし、この歳になったら自分のための決断をしないと。結局Lakaiに残ることにして、後からその決断を後悔したりして欲しくなかった。

一ヶ月くらい前に契約破棄の同意書を彼に送ったんだ。同意書で、今ある商品を売り切るために移籍のアナウンスはしばらく待ってほしいっていうお願いをした。同意書は俺たちと商品を守るために作ったんだ。でも同意書については話し合いでどうとでも変更できるってことも彼に伝えた。とにかく、しばらくの間は大人しくして欲しいっていうお願いをしたんだ。お願いしすぎなのは十分わかってたけど。でも、そうしてもらうことにお金を払ってる感じだったからね・・・でもまた移籍の噂がどんどん出てきた。それで彼に連絡を取ろうとしたんだけど、二日間くらいずっと返事がなくて。「Away Daysのプレミアで君の移籍がアナウンスされるって噂を聞いたけど、どうなってるんだ?」って率直に聞いた。俺は移籍は今年の夏か7月くらいだと思ってた。

ようやく彼から電話が来て、「明日アナウンスなんてないよ・・・誰がそんなこと言ったの?」って言われた。それで「明日は何もアナウンスはないんだな?」って聞いたら「ない」って答えだった。そして次の日、アディダスのプレミアに行った人から「マークがビデオの中でアナウンスされてたよ」ってメールで知らされた。マジかよ・・・って感じだった。つい前日の夜に電話で話して、何もないって言ってたのに。

俺に電話で話すくらいできただろ、向こうとの契約の関係とかでアナウンスを遅らせるのはちょっと難しい、とかさ。俺たちは友達なんだから、話してくれればいいじゃん。友達じゃないとしたら、弁護士呼んできて話そうぜってことだよ。


photo: nick zegel


君たち二人は仲直りしたの?今はお互い話せる状態?

彼からの唯一の返答は「君は同意書を読んだ?」だった。まるで同意書に何か問題があるかのような口ぶりだった。それ以外は彼から何の返答もないし、たぶんこれからも返答はないと思うよ。真正面から嘘をつかれた。アナウンスとか何もないって言ってたのにね。彼から要望があれば、いくらでも同意書に変更なんてできたのに、電話でクソみたいな嘘をつかれた。相当ナメてるでしょ。チームのことも馬鹿にしてる。あんな形でマークがadidasに加入したことを知ることになるなんて、チームの俺たちにとって最悪な夜になった。俺たちは友達だと思ってたのにね・・・

はっきりさせておきたいんだけど、彼には他にいいオファーがあったらそっちに行っていい、ってことは言ってたんだよね?ということはマークがLakaiを辞めたことに腹を立ててるんじゃなくて、君たちに時間をくれなかったことに腹を立ててるの?

俺が怒ってるのは、プレミアの直前の夜に、アナウンスなんてないって嘘をつかれたこと、そして弁護士を通して解決しようって言われたからだよ。シューズのデザイナー、営業、プロダクション、チーム、Lakaiのみんなが彼のために今まで一生懸命働いてきた。それなのに、アディダスのプレミアに行ったら予想もしてないパンチが飛んできた。あんな形で知ることになるなんて、俺たちが馬鹿みたいだろ。俺に男らしく正直に話すこともできない、あの異常な嘘つき野郎のせいでさ。

プレミアの前の夜、マークと俺が電話で話したときに言ってくれたらよかった。その時に俺は怒ったかもしれないけど、少なくとも彼は正直に話してくれたことになるし、俺からチームに連絡もできたから、あんなプレミアで知ることにならずに済んだ。個人的に色々あるのも知ってるし、彼のプライバシーも尊重してるし深入りはしない。ただ、彼が今回のことで取った行動には、本当にがっかりしてる。彼が自分を弁護するために何を言うのか興味があるね。自分の行動を正当化するためにどんな嘘を言うのか。


“IT JUST MAKES US LOOK LIKE FUCKING IDIOTS, 
BECAUSE THIS DUDE IS A PATHOLOGICAL LIAR.”

これからリリースされるマーク・ジョンソンのLakaiのプロダクトはどうするの?こういう事が起こった時、普通の会社だったらどうするの?

在庫を全部あいつの家に着払いで送りつけるね。ペニスバンドもつけて、ワセリンなしでこれでもケツにぶっ刺しやがれ!ってね。まぁ今俺たちがやることは、まず最初に、あいつはChocolateをクビだ。メールを送ったりもしない。これを読むか、誰かから聞かされて知ることになる。どうせ既に彼の中では辞めたことになってるかもしれないけどね。たった今から、マークはChocolateをクビだよ。それに関して揉めようがどうしようが、やることをやるだけだ。シューズに関しては・・・既に生産に入ってるやつが沢山あるから、こういうことが起きた場合、普通は法的措置を取るんだけど、それって俺たちらしくないよね。だから優先順位のトップではないけど、そういうことも考え始めてる。

ううう、こうすれば丸く収まるとか、マークから何か埋め合わせできることってないかな?

俺たちはお互いいい関係だったと思ってたけど、今はもう仕事上の関係はない、以上。って感じだね。今後お互い顔を合わせることはないと思うよ。今まで疑問に感じることがあっても、良い奴の面もあったから、良いように解釈してあげてたけど、あんな嘘つき野郎になった今じゃもう何も信用できない。スケーターとしては素晴らしいよ。それは誤解しないで欲しい。彼が史上最高のスケーターの一人なのは間違いない。でも、そいつがどんなに素晴らしいスケートボーダーだろうと、誠実じゃなかったらさ・・・信用できないやつとは付き合えない。


photo: ben colen


面白い仮説があるから聞いて欲しいんだけど。

ほんと?俺もあるよ。20年説。

なにそれ?

20年説ってのは、Girlの20周年にブライアン(アンダーソン)とアレックス(オルソン)が辞めて、Chocolateの20周年にジノ(イアヌーチ)が辞めた。20周年には良いことが起きないっていう説。

ということは、20周年の呪いが来る前の19年目で会社を止めればいいのかな?

そうだね、そういうことになるね。会社のポリシーとしては一番大事だと思うよ。19年目で止める。(笑)

それか20周年はスルーして、19年目の次は21年目にするとか・・・

エレベーターの階みたいにね。20は新しい13(不吉な数字)だよ。

photo: ben colen


ネットで面白い仮説を見つけたんだけど、スケート業界に入ってきてる大企業シューズメーカーは、小さなインディペンデント・ボードブランドを後押ししてハードグッズ市場にブランドを沢山溢れさせることで、君たちCrailtapやDwindle(Fallenが倒産する前)みたいなブランドの注意をシューズブランド(Lakai)のセールスよりも、ボードのセールスが落ちてきてることに向けさせて、そっちに時間と人材を使わせようとしてるんじゃないか、っていう説があるよ。

(笑)大企業はそんくらいエグいことを考えててもおかしくないとは思うよ。誰に言われたかは忘れたけど、そういう大企業シューズメーカーで働いてる奴が言ってたんだけど、そこでは5年計画のミーティングがあって、誰を蹴落とすかっていうのを詰めていくらしいよ。”戦略”として。「このライバル会社を追い出すにはどうしたらいいか」ってね。そしてターゲットを特定の会社に絞るらしい。超エグいよ。でもスケートの最高なところってREAL、FA、Creatureみたいに色んなカンパニーが沢山あることでしょ。みんなでスケートボーディングを作ってるんだ。他の会社を蹴散らそうとする会社ってさ・・・もう既に居場所は確保できてるんだから、別に他の会社を潰す必要ないだろ、っていう。スケーターを一人残らず自分のものにする必要なんてないよ。こんな話しをしてもしょうがないけど。

キャスパーっていうクソ野郎の話はしたっけ?カーステン(クリッパン)が、Lakaiのイントロビデオをリリースしたその1週間後にNIKEに移籍したときのこと覚えてる?あの時はマジで「おいおい何だそれ?」って感じだった。そしたらそのキャスパーってやつがサム(Lakaiのチームマネージャー)に電話してきてさ、「カーステンがLakaiを辞めたけどさ、俺たちとしてはElementも辞めさせたいんだよね。もっとクールなカンパニーのライダーになってほしいんだけど、彼をGirlのライダーにしてくんない?」なんて言ってきやがった。お前マジでそこまで馬鹿か?って思ったよ。マジでそれをクールだと思うのか?俺たちはカーステン・クリッパンをLakaiに迎え入れられて超喜んでたんだ。でもイントロビデオを出した瞬間に出ていった。そしたらキャスパーって奴がそのカーステンをGirlに入れさせようとしてきた・・・ファックだ。キャスパーって奴はクソ野郎だよ。

俺には君たちがターゲットになってるように思えるんだけど・・・

(笑)誰かがマスター・プランを作ってるんじゃない?こういう風にしてFourstar、Lakai、Girl、Chocolateをぶっ潰そうってさ。まぁ冗談だけど。でも実際俺たちがターゲットになってるとするなら、それは俺たちはライダーや従業員を超慎重に選んでるからだよ。全員ヤバいやつしかいないから、俺たちがターゲットにされるんだ。俺たちがイケてるから、あいつらは俺たちの持ってるものを欲しがるんだよ。(笑)


Intro: CK (@cnkerr)
Interview: Ian Michna
Photography: Ben Colen (@bencolen) & Nick Zegel (@zeegisbreathing)
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2016年5月16日月曜日

Louis C.K. on Cell Phones ルイスCK 携帯について



自分の大好きなルイスCKというコメディアンがいるんですが、
そのルイスCKがこれまた自分の好きなトークショーホスト、
コナン・オブライエンの番組にゲスト出演したときのものです。

この人のスタンドアップ(漫談に近いもの)の翻訳したい・・・
お仕事のご依頼お待ちしております。


2016年4月18日月曜日

ALI BOULALA ON HIS SECRET TRIP TO LYON WITH THRASHER MAGAZINE 日本語訳




AFTER SKATEというサイトにあった、アリ・ボウララが、ジョーズがこの伝説の25段ステアを飛んだ時の裏話を語っているインタビューです。

AFTER SKATE:http://afterskate.com/

Thank you Mark for letting me translate this article!


ALI BOULALA ON HIS SECRET TRIP TO LYON WITH THRASHER MAGAZINE

Photo: Olivier Chassignole

数は少ないものの、誰もが知っているスポットといえばカールスバッド・ギャップ、EMBのゴンズ・ギャップ、ウォーレンバーグなど色々ある。何故これらのスポットが有名になったのか。それはスケートボーディングの進化を後押ししてきたからだ。それはまるで昔話のヒーローが輝かしい勝利を通して栄光を手に入れ、歴史にその名を刻むのと同じように、これらのスポットはスケーターにとって攻略すべき場所、現代のクエストとなった。しかしリヨンにあるこの25段ステアは他の有名スポットとは訳が違う。なにしろこのスポットに住む魔物は誰も倒せず、魔物の塔から姫は救出されていなかったのだ。

だからこそ、この25段ステアは伝説のスポットになったのかもしれない。このスポットはここで最終章なのか?そう誰もが思っていたが、つい最近スラッシャー・マガジンがアーロン・”ジョーズ”・ホモキを主人公に、新しい章の扉を開いた。




もうこのスポットは放っておいて、伝説は伝説のままにしておくべきか?それとも誰かが挑戦すべきか?何年もスケーターの間で議論が交わされてきたが、ついに今回決着がついたのだ。しかしそれでこのスポットの特別感は失われてしまったのだろうか?それとも、むしろ今まで以上に面白いことになったのだろうか?

ジョーズがメイクしたという噂が事実で、そこにアリも関わっていると聞き、その時何があったのか聞きたくてたまらなくなり、アリにインタビューを行った。以下、アリが語ってくれた話を紹介しよう。



この話はどうやって始まったの?

スラッシャーのマイケル・バーネットからメールが届いたんだ。彼とは長年の友人だし、一緒にたくさん写真も撮ってきた。今回のメールは「ヘイ!ミスター・ホモキとリヨンでトップシークレット・ミッションがあるんだけど、君にも参加して欲しい」ってことだった。ホモキの名前を見てすぐに、ああ、あのジョーズって奴があの25段ステアを飛ぶんだな、ってピンときたよ。実際その通りだったし。それからフレンチ・フレッドに「スラッシャーがジョーズとミッションあるから俺もリヨンに行くことになったよ」って電話した。その後知ったんだけど、実はジョーズは1年前くらいにすでに一回トライしに行ってて、でもメイクできなかったんだ。その時何回くらいトライしたか知らないけど、たしか8回くらいトライして、最後はボードが折れて鬼スラムして膝を強打したらしい。


スラッシャーが俺に連絡をよこしたのは、俺のノウハウが必要だからってことで、俺のためにリヨン行きの飛行機のチケットを手配してくれた。俺も暇だったし、リヨンに行ったよ。5日間くらいいたのかな、そこでジョーズに会ったんだけど、俺がこのミッションに参加しに来たことをすごく喜んで興奮してた。「Sorry」は彼が初めて見たスケートビデオのひとつだって言ってたよ。

Ali and Michael Burnett (Photo: Ali Boulala)

そして25段のステアに行ってジョーズがトライを始めた。何回トライしたか忘れたけど、その日はメイクできなかった。何回かトライした後でセキュリティーからキックアウトされたんだ。俺は内心ジョーズはメイクできないんじゃないか、そもそも不可能なんじゃないか?って思った。セキュリティーにキックアウトされて分かったけど、向こうも俺たちがなんでここにいるのか知ってるようだった。面白いのは、俺たちが泊まってたホテルって、まさにあのステアがあるホテルだったんだ。俺だけじゃなくみんなも思ったかもしれないけど、セキュリティーのせいでメイクするのは無理なんじゃないかって思ったよ。

君がトライしたときは何かトラブルとかあった?

いや、なかったよ。それも今回と違ったところだね。あの時は特に準備もせずにあそこに行ってトライしたんだ。でも今回はカメラが8台も至る所にあるし、大人数での撮影だった。ジョーズの親父まで来てたよ!俺がトライしたときはフォトグラファーのフレッドと俺だけだった。二回目に行った時は、他にジェレミー・ダックリンが加わっただけ。でも今回はカメラを何台も使った大掛かりな撮影だったし、とにかく人が多かった。誰かがスケートのトリックをトライする為に、ここまでするって何だかちょっと変な感じだったよ。

でもそれはこのスポットだからだよね。このスポットに関しては全てが文字通りビッグだよ。

ハハハ!そうだね。でも俺はあそこをスポットとは呼ばないよ。普通あんなところにスケートしに行ったりしないだろ。さっき言ったみたいに変な感じはしたけど、あの場所がそれだけ伝説化して、クールでもあったよ。それでさ、ジョーズはトライし続けたんだけど、一回ウィールが吹っ飛んじゃって。板の上に着地したんだけど、ウィールが吹っ飛んでスラムしちゃったんだ。それを見てまた思ったよ。たぶんスケートボード自体があの衝撃に耐えられないんじゃないか。人の問題じゃなく、ギアの問題なんじゃないか?ってね。だからその時はまだメイクは無理だろうって思ってた。でも同時に、もし可能だと思ってなかったら、そもそも俺も最初にトライなんかしてなかっただろうとも思った。

ジョーズは全部で何回くらいあのステアにトライしに行ったの?

うーん、たぶん全部で5回くらい行ったと思うよ。

そんなに?

そうだよ!初日にすぐに行ってトライしたんだけど、スラムしてセキュリティーが来て終了。それで次の日にまた再トライした。

すぐ次の日にあのステアを再トライするなんて、聞いただけでゾッとするよ。

ほんとその通りだよ。次の日は最初からセキュリティーが立ってて、ステアをブロックするフェンスまで立ててあった。何から何まで不可能に思えたよ。でも俺はみんなに言ったんだ。俺がトライしたときも、全部で4秒くらいしかかからなかった。だからフェンスをどかして飛んでしまえばどうってことない。セキュリティーと交渉して許可をもらおうとかしないほうがいい、ってね。やるしかないんだよ。メイクするかしないかだ。それでジョーズがまず一回だけトライした。フェンスを移動させて、トライしたんだけどメイクできなくて、セキュリティーも当然ブチ切れ。どんな流れでそうなったのか正確には覚えてないけど、とにかくそういうことがあった。それでホテルのスタッフと話して許可をお願いしてみることにしたんだけど、一人が「OK、この日のこの時間なら俺たちのボスはいない」って言ったから、それでその日のその時間に行ったんだ。でもセキュリティーからは出てけって怒鳴られた。でも出てけって言われても、俺たちそこのホテルに泊まってたからね。

Security problems (Photo: Ali Boulala)


みんなだんだん不安になってきて、トライを続けるために飛行機のチケットを延長すべきかどうかって話し始めた。でも結局「明日が最終日だ。明日決めるしかねぇ」ってことになった。そして確かフレッドだったと思うけど、ホテル側の誰かと話をつけてきて、「この日、この時間に一時間だけやる。それだけだ!」って言ってもらえたんだ。それでもう、その時にやれるかやれないかっていう状況になった。

最終日にジョーズがトライを始める前に、彼に「グラブするのかしないのか」って聞いてみたら、「たぶんグラブする」って答えだった。その時初めて「ああ、そっか・・・」って気分になった。俺は心の中で、グラブなしのレギュラー・オーリーで飛んで欲しいって思ってたんだ。もちろんグラブを入れてもハードだよ。でもそれじゃ別のトリックになっちゃうだろ?だから普通にオーリーして欲しかった。でも誰かに何をすべきで何をすべきじゃないかなんて言う権利は俺にはない。それに彼はメイクしたし、俺はメイクできなかった。

それと、今回ジョーズには十分なスピードをつけるためのバンクもあった。俺の時はただ狂ったように鬼プッシュしただけだったけどね。

スピードが重要なキーになるってのは、みんなが話してたことの一つだよ。

その通り!俺もあの時それをちゃんと考えてれば良かったのかもね?ジョーズはさらに賢くて、大きな柔らかいウィールを使ってた。あそこのフラットはそれほどいい路面じゃないからね。

そこまでちゃんと考えてなかったのを後悔してる?それとも別に気にしてなかった?

そうだね、そういうことは全然考えてなかったな。でも俺が最初のトライをした後、Flipが別のボードを俺に用意してくれたんだけど、それは厚めの板だった。たしか8プライの板だったかな?厚いし強いから、それを使ってみろって言われた。でも俺は自分が普段乗ってるもの以外を使う気になれなかった。ファーストライの後、フレッドから彼の板のほうがワイドだから、彼の板を使ってみてって言われたのを覚えてるよ。でも2回目のときは、自分の板を使いたかった。結局どんな板を使おうが関係ないと思うんだ。ただまぁ、大きなウィールを使ったりしたほうがいいのかもしれないけどね。でもメイクするかしないかって話なんだから、あんまり細かいこと言っても意味ないと思う。

彼がメイクしたことは最高にクールだ。でもメイクしなかったとしてもクールだったよ。俺が来たことを喜んでくれたし、楽しかったからね。俺があそこにいた理由は、バイブスを上げて彼のやる気を引き出すことだったんだと思う。

コンサルタントとして雇われたってわけね。

ハハハ!彼らからは俺の”ノウハウ”が必要だって言われたけど、俺にできること、言えることなんてたかが知れてるよ。ここでジャンプして、こうやって、着地するんだ!くらいしか言えない。そもそも俺はメイクしてないんだから。




ジョーズがメイクしたとき、彼はドラッグも酒も入ってないクリーンな状態だった?

そうだと思うよ。俺はクリーンじゃなかったけどね!トライ前に葉っぱ吸っちゃって、いざトライするときに後悔したよ。今回のミッション中、ジョーズはメイクするまで酒なんて一滴も飲んでないと思う。みんなでシャンパンでお祝いしたとき、彼の親父が「イェー!ベイビー!」って叫んで、喜びで泣いてるのを見たよ。最初それを見たときは冗談かと思ったけど、マジだった。トリックをメイクして、あそこまでエモーショナルになったことが果たして俺にあるかどうか疑問だね。俺が若いころはむしろ正反対だった。泣くのはトリックをメイクできないときだけだったよ。200回くらいトライしてもメイクできなくて、情けなくなって涙が出てきたことってない?お菓子もらえなかった子供みたいに。でも今回は全く逆のパターンだった。ジョーズの親父は喜びの涙を流してたし、それは俺にも理解できた。不思議な光景ではあったけどね。ジョーズの親父がジョーズの元に走り寄って泣き出したとき、フレッドが俺にカメラを向けてきたから「あの人いま泣いてんの?」って言っちゃった。泣くとしたらむしろ俺のほうだろ!ジョーズが俺を歴史から葬り去ったんだから!ハハハ!

実際そんな風に思った?

ぶっちゃけちょっとはそう思ったよ。でもジョーズがやったのは別のトリックって気持ちがあるけど。

君の「Sorry」のパートのあの瞬間が伝説になったのは、単純にメイクできなかったからじゃないか、って話を以前したよね。スケートで可能なことの限界がついに示された、みたいな。

そうだね、あのパートのいいところはラストトリックがメイクじゃないところだって、どっかで読んだことがあるよ。普通はベストトリックを最後に持ってくるのに、俺のは失敗だからね。でもあのトライの後、あのステアはまだあそこにあるし、メイクは可能だと思ってた。でも俺は別のスポットで滑りたかったし、別のところで飛びまくったり、他のことをやってたら、結局再トライはしなかった。俺は”クリーンな”スポットでスケートしたかったんだ。ハハハ!

誰か他にトライするだろうと思った人、もしくはトライして欲しい人っていた?

ディエゴ・ブッチエリならやるんじゃないかってずっと思ってた。実際何度か行ってみたらしいんだけど、「ありえん。狂ってる。やりたくない」って言ったらしいよ。フレッドが俺にプレッシャーをかけるために「ジェイミー・トーマスがトライするらしいぞ」って言ってきたこともあった。アホなスコットランド人がトライしたんだけど、ボードなしでジャンプして大怪我したって話も聞いたことがある。両足骨折したらしいよ。Elementの奴らが行って「ナイジャならキックフリップできる」って言ってたとかも聞いたことがある。「はいはい」って思ったけどね。でもオーリーが可能ならキックフリップもできるかも。わかんないけど、でも誰もあそこでキックフリップなんてやりたがらないと思うよ。でもジョーズがメイクしたトライは、見ていてついにメイクするだろうなって思った。


French Fred and Daddy Jaws (Photo: Ali Boulala)

みんながこのスポットを”手付かず”のままにしておきたい理由のひとつって、ジョーズはすでにこれより大きなやつを飛んだことがあるかもしれないからかもね。でも別に誰もスポットの正確な高さと幅を測ったりとかしないでしょ?

今回はぶっちゃけ測ってたよ。メジャーであのステアの大きさを測ってた。不思議な光景だった。俺もジョーズに聞いてみたんだ、「これより大きいギャップ飛んだことあるんじゃない?」ってさ。そしたら「わからない。たぶん?あなたは?」って返ってきたから、「わかんない。スポットの大きさを測ったことなんてないし、ただやれるかどうかトライしてみるだけだから」って答えた。でも今回彼らはステアの大きさを実際に測ってたよ。

ジョーズがメイクするまで何トライかかったかわかる?

フレッドから聞いたところによると、全部で13回くらいトライしたらしいよ。100%確かじゃないけど。

全部のトライで、あの薄いヴォルカナイズのDeklineを履いてたの?

そうだ!そこもあった!ジョーズは服の下にパッドスーツを着てたんだ。ちょっとウケたよ。エルボーパッド、ニーパッド、ヒップ・プロテクションに、特別なインソール。メイクしたあと、ジョーズがそのパッドを脱いでいくところをフレッドが隣に立って撮影してた。それを見て「マジで?服の下にそんなの着けてたの?」って思わず聞いちゃった。そしたら「そうだよ、俺の防護服さ」だって。そこでフレッドが俺にカメラを向けてきて「アリ、君はこのステアをトライするとき何を持ってた?」って聞いてきたから「うーん、二日酔いの頭痛?」って答えた。





2016年4月8日金曜日

Ian Mackaye on Skateboarding 日本語訳



Minor Threat / FUGAZIのイアン・マッケイがスケートボーディングについて語ってる部分だけを日本語訳して字幕つけました。


オリジナルは2013年ワシントンDCのアメリカ議会図書館で行われたスピーチです。

最近の10代とかはMinor Threatとか知ってるんかな・・・?





ちなみにイアン・マッケイとよく日本表記されてますが、
発音からいうとイアン・マカイのほうが近い。

でも日本じゃマッケイで定着してるから
マカイって書くと逆に誰だかわからなくなるっていう・・・
なんとも言えない気持ち。

だいたいラ行もRで書いてるけど(例:ラーメン→Ramen)
発音でいったらラ行は絶対Lだと思います!!

っていうかあえてはっきり言おう、ラ行にRは間違っとる!!Lや!!
でも今更訂正無理なんや!!

最初が間違ってると、それが定着したとき直すのほぼ不可能になることって
なんか他にも色々ある気がするぜ!?

カート・コバーンもカート・コベインですから!!


2016年1月7日木曜日

プロスケーターの仕事の変化の歴史 by ランス・マウンテン

あけましておめでとうございます。

平成28年、西暦2016年一発目は、つい最近JENKEMに掲載された、ランス・マウンテンのインタビューです。

インタビューっていうか、プロスケーターの仕事とは何なのか、ということを、その変化の歴史とともに語ってくれています。ランス・マウンテンの言葉なので半端なく説得力があります。

根っこは何処へゆく」的にも面白いインタビューです。


元記事:http://www.jenkemmag.com/home/2016/01/06/the-evolution-of-the-pro-skaters-job-according-to-lance-mountain/
JENKEM:http://www.jenkemmag.com



photo: arto saari

この半世紀以上もの間、スケートボードに乗ることに対してお金が発生してきたなんて、信じられるか?まあ正確に言えば、それは正しくないんだが。単純にスケートをすること以上に様々なことが、プロスケーターの仕事には派生してくる。こうした派生的なプロの仕事は、業界と社会の変化とともに進化してきた。業界内部の視点からこのプロの仕事を理解するため、俺たちはベテラン伝記作家、ショーン・モーティマーに頼んで、プロ・スケートボーディングの始まりからキャリアを持つレジェンド、ランス・マウンテンに、このアホにたいなオモチャから金を生み出すために何が必要なのか、そしてそれがどう変化してきたかについて話を聞いてみた。業界で成功したいなら、ペンと紙を用意して、メモを取るといいだろう



始まり

1960年代、スケートボードが誕生した時期、ボードに自分の名前が載るのは有名なサーファーたちだけだった。デューク・カハナモクがプロボードを出してたんだけど、彼は伝説的なサーファーで、単に彼の名前が売れてたから、スケートボードにも彼の名前がプリントされていた。当時のスケートボードのカンパニーはサーフィンをルーツにしていたから、サーフィンの世界で有名な人の名前がスケートボードにも使われていたんだ。

でもスケート雑誌の登場とともに、そうした状況が変化してきたと、トム・”ウォリー”・イノウエが教えてくれた。1977年、彼はConcrete Wave Skateparkっていうパークでスケートをしていた。当時はシグネチャーモデルを出しているれっきとしたとしたプロ、ってのは存在してなくて、トム・シムスみたいな、つまりカンパニーのオーナーの名前が全てのボードに使われてるような時代だった。で、ウォリーがConcrete Waveで滑ってるとき、雑誌の撮影用にSimsのライダーが撮影しに来たんだけど、ウォリーのスケートがすごいことに気がついた彼らが、ウォリーにSimsのジャージを着させてフォトグラファーが写真を撮った。そしたらそれがSkateBoarder誌のセンターページに、見開きで掲載されることになったんだ。それからすぐに、ウォーリーはその年一番雑誌に載ったスケーターになり、それがプロの仕事となった。カンパニーの商品と一緒に雑誌に載れば、お金をもらえるんだ。ウォリーはSimsのライダーになり、その写真がきっかけとなってスケートで給料をもらえるようになった。その最初の写真が雑誌に掲載されて、初めてインセンティブをもらい、たまたまプロスケーターになれたんだってウォリーは言ってたよ。

ステイシー・ペラルタラス・ハウエルジェイ・アダムスヘンリー・ヘスラーのような、シグネチャー・モデルをリリースしているプロもいたけど、当時はかなりレアなケースだった。でもウォリーは、こうした自分の名前が載ったボードをリリースしているプロたちと同じくらい、もしくはより多く雑誌に載っていたんだ。だからみんなも次はトム・”ウォリー”・イノウエのボードが出るだろうって思い始めた。それでSimsはウォリーのボードを試験的に作り始めたんだけど、その頃に別のCasterっていうカンパニーからプロボードを出さないかっていうオファーが来て、ウォリーはそっちに移籍した。そのときにプロの仕事には、「雑誌に載る」ってこと以外に、「デッキのデザインにも関わる」ってことが追加されたんだ。スケーターほどボードに何が求められているのかを知っている人間なんていないんだからね。そうして、スケーターたちはオーナーと一緒にシェイプやレイアウト、合板の薄さ、テールのキックの強さなんかを共同開発するようになった。当時はまだ始まったばかりでお金もそんなに発生していなかったけど、それでもCasterはウォリーの家の家賃を払ってたと思うよ。当時のほとんどのブランドはサーファーの大人たちが経営していて、若い子たちとのコネクションを持ちたがっていたから、ウォリーみたいにプロダクト・デザインに貢献できて、雑誌にも載れて、しかも他の若いスケーターをスカウトして来れるような、若い人材が雇われるようになった。プロスケーターってのはこの時期に、アスリートでもあり、デザイナーでもあり、タレント・スカウトでもあり、チーム・マネージャーでもあるっていうハイブリッドな存在になっていったんだ。





1980S
80年代

80年代初期までには、プロの仕事ってのはコンテストで優勝することになった。個人的には、いいプロスケーターってのはコンテスト以外でも色んなやり方で他と競争できると思ってたけどね。でも80年代は、コンテストでいい成績を残すってことがプロの契約では暗黙の了解になってた。それをちゃんと理解してたやつらは成功したよ。素晴らしいプロであっても、その流れに従わなかった連中は消えていった。カンパニーはコンテストで優勝できるやつらに金を払ってた。雑誌もそれに拍車をかけたよ。ほとんどの記事は誰がコンテストで新しいトリックをやったかとか、誰が上位だったかとか、そんなのばかりだったからね。コンテストに関係してないような記事を大きく取り上げるってことは、ほとんどなかった。

Variflexのチームに俺が入れたのも、いくつかのアマチュア・コンテストで俺が優勝したからだよ。でも彼らが俺をプロに昇格してくれた1981年ってのはスケートボーディングはあまり人気がない時期で、月々のボードセールスのインセンティブなんて15ドル(約1500円)とかだった。トニー・ホークですら、月に稼いだお金が80セント(約80円!)なんて月もあった。プロの収入源はボードセールスとコンテスト、それとデモだった。コンテストで優勝すれば、300ドル(約3万円)くらいはもらえた。デモをすると50ドル(約5000円)くらい。80年代初期は、プロはマジで貧乏だったから金を稼ぐためだったら何でもやってたよ。俺もKnott’s Berry Farmって農場でポータブルのランプを持って行ってデモをやって1日50ドルとか、Ralph’sってスーパーの駐車場で新しいヨーグルトの販売促進のためにデモをやったりしたよ。当時はトラックやウィール、シューズのスポンサーからは給料なんてもらえなかった。

みんながなんとかしようとしてた。80年代中期になると、デモはスケートボーディングを広めるための草の根運動的な役割を担うようになってきて、最終的にはPowell Peraltaの契約書にも年間36回、彼らのためにデモを行うってことが明記されるようになった。コロラドまで車を運転して、ジャンプ・ランプを出して、それ使ってスケートして、ストリート・プラントを披露したりして、またそれを車に積んで、みたいなことをしてた。そのコロラドのデモでは、雪が降ってて見に来てた子供たちが寒いからって店の中に入っちゃって、万引きして帰っちゃった。それで俺たちを呼んだスケートショップのオーナーから俺たちに金を払いたくないとか言われたよ。店に貢献してないデモに金なんか払えるかってね。当時はデモの会場でどんなセクションが用意されてるのかも分からなかったから、どんなものでもスケートできないといけなかった。アリゾナのYumaでやったデモのときなんか、気温が40度近くあってアスファルトも溶けるくらい暑くてさ。ジャンプランプで飛び出して着地しても、その場で止まっちゃうんだ。ウィールが4センチ近く地面にめり込んじゃって、前に進めやしない。しかもサインもめちゃくちゃ書かされて、デモが終わったあと何時間もサインしっぱなし。80年代はサインを頼まれまくったけど、90年代になるとそれがなくなった。

一度誰かが何かで成功を収めると、業界の全員がそれに続く。ステイシー・ペラルタが1984年に史上初のスケートビデオを発表したときもそうだった。これによって、プロの仕事に新しい扉が開けた。このときから、初めてビデオパートってのがプロの仕事の大きな部分を占めるようになっていったんだ。1984年当時も俺はプロだったけど、パウエルに移籍したときの契約だとプロボードのリリースは予定されてなかった。でもこの最初のビデオに出演して、俺のボードの需要ができたんで、パウエルは俺のプロボードを作った。それからすぐに、フランキー・ヒルみたいなスケーターが、ビデオパートだけを理由にプロに昇格するようになった。史上初めてね。もうコンテストで上位に入ったり、デモで滑れるスケーターでなくてもいい。ただ、記憶に残るようなパートを作ればいい、ってことになった。年上のスケーターたちには理解不可能なことだったよ。彼らはビデオパートでプロになった奴らを、簡単にプロになりすぎだと考えてた。全世代のスケーターたちが、このビデオパート時代の到来に苦労してた。それまでのビジネスモデルが通用しなくなったからね。そして90年代になるころには、プロの仕事ってのは単純に、斬新なストリートパートを作ることになった。





1990S
90年代

90年代になると、コンテストはもはや重要ではなくなってしまった。誰も今までやったことのないトリック、つまりNever-Been-Doneなトリックを撮影して、イカれてるくらい進歩したスケートを見せるってことが全てになった。雑誌にもシーケンス写真は載らなくなった。(トリックが難しくなった分)トリックをメイクしてるところを撮影するためには、高価なフィルムを大量に使わないといけなくなったからね。だからビデオで撮影して、そこからキャプチャーしたものを載せるようになった。進歩的でないものは、まっとうなプロのスケートとは認められなくなった。新しいトリックをやっていないプロはプロを引退すべきだ、みたいな記事がよくあったよ。バーチカルのプロなんて完全に干されてた。ボードに座ってダウンヒルを楽しんだりとか、単に面白がってスケートしたい連中の多くは、そういう当時ポピュラーだった前衛的なスケートに魅力を感じられなくなって、スケートをやめてしまった。

この頃になると、プロスケーターの定義も曖昧になってきた。もしプロが「スケートをすることでお金をもらっている者」とするなら、この頃からアマチュアも正直全員プロと同じだよ。70年代から90年代になる前までは、アマチュアのコンテストにエントリーしても、もし主催者側が君がデモとかでお金を稼いでいることを発見した場合は強制的にプロとみなされた。でもこういうルールはビデオで適用されなくなって、90年代に入ると会社はアマチュアに車もあげるし、何でも買ってあげるし、別の会社から引き抜いて自分たちのビデオに出演させるために金を払ったりするようになった。

プロの中でも、人前でも上手にスケートできるプロと、斬新なトリックを撮影することに多くの時間を費やすプロに、大きく2分されるようになった。NBDのトリックをビデオに収めるようなプロなのに、デモでスケートできない、メイク率の低いプロが出てきた。トリックの革新に集中しすぎるあまり、昔できてたトリックができなくなってしまうんだ。

その反面、ものすごくスケートが上手いのに、それほど前衛的でないプロもいる。結論としては、このどちらかのプロとして優れていた奴らが生き残った。エド・テンプルトンやマイク・ヴァレリーなんかは、当時そうした優れたプロだったおかげで今でも生き残ってる。エド・テンプルトンマイク・ヴァレリーも、コンテストで優勝してたし、ツアーもやってたし、デモでも素晴らしいスケートをしてた。今でも彼らが名の通ったプロなのは、そういうことも理由のひとつだよ。





THE 2000S
2000年代

プロの生計の立て方は、2000年代に再び変化が起こった。服のブランドやシューズのスポンサーからも金が入るようになったんだ。Xゲームで一般大衆もスケートを目にするようになって、スケートと直接関係ないブランドからもスケーターたちは注目されるようになり、スポンサードされるようになった。そうやってプロの収入源は多様化していき、この時期にまったく新しい要素がプロスケーターの仕事に加わるようになった。それはメジャーのスポンサーがやれと言うことは何でも、プロスケーターの仕事になるってこと。成功しているプロの中には、ブランドのキャップを被ることだったり、コンテストのランの後にすぐにスポンサーのドリンクを飲むことなんかを、仕事としてやってる人たちがいる。ボードのスポンサーがいなくても、エナジードリンクのスポンサーから大金をもらってるプロだっていた。


THE 2010S
2010年代

この50年の間に色々なことが変わった。今じゃボードスポンサーは、そのスケーターをチームに入れる前に、そいつのシューズスポンサーや、他のメジャーなスポンサーが何なのかってのを気にするようになった。そういう他のスポンサーが、メディア露出のための多額の費用を払ってくれるからね。プロとスポンサーとの関係(どんなスポンサーがついているか)は完全に変わってしまったよ。現在のようなプロとスポンサーとの関係性は、ポール・ロドリゲスが現れるまで、スケートの世界では受け入れられないものだった。

ポールはリアルなスケーターたちからも認められつつ、企業スポンサーにも魅力的な存在となることに成功したんだ。それ以前は、コアなストリートスケーターたちは、企業からスポンサードされるようなプロを認めなかった。でもポールがその壁を壊すと、他のプロたちも、彼が手に入れたものを欲しがるようになった。今ではポールのやり方こそが、プロスケーターとしてベストな成功例だと考える全く新しい世代がいる。彼らのほとんどが代理人を持ち、企業スポンサーと広告出演の交渉を行っている。今はもう、全ては広告なんだ。

ソーシャルメディアの登場も大きいね。今多くのプロの契約書には、ソーシャルメディアを使ってスポンサーのプロモーションに貢献するってことが明文化してある。彼らはそのスケーターをスポンサーするかどうかを考える前に、まずそいつがソーシャルメディアでどういう活動をしているかをチェックしている。実際のスケートがいいか悪いかなんて分かってないよ。スケーターなら、スケーターを見ればそれがいいスケートかどうかちゃんと分かる。でも企業やビジネスマンにはそれが分からない。代理人だってそうさ。多くの代理人は、スケーターがスポンサーにとってより効率的な道具となるように、スケーターたちを作り変えられたと考えている。代理人によって色々と変わってしまったのは確かだけど、結局のところ、プロの仕事ってのはずっと変わってないんだよ。それは進歩を続け、スケートを好きになる人を増やすってことだ。それ以外の利益のことなんかは、自分たちがきちんと理解しているかどうかに関わらず、その仕事をやってるからこそ生まれるものだよ。

今はプロスケーターにとっていい時代だよ。今以上にスケートボーディングでお金を稼げるチャンスがある時代はない。でもスケートが今までと同じように成長していく保証もないし、変な感じにちょっと変わっていくかもしれない。何がいいプロスケーターかっていう議論には、誰もが参加できるし、それはスケートの歴史上今までにない状況だよ。トッププロですらソーシャルメディア上で叩かれて炎上したりするからね。

プロの仕事についての話をずっとしてきたけど、本当に素晴らしいプロっていうのは、単純に自分のボードを売るってこと以上のことをやろうとする人のことさ。本物の、記憶に残る、傑出したプロっていうのは、いつだって他人の考え方や気持ちを変えてきたし、それをすることでスケートボーディングの方向性を変えてきたんだ。

Words: Lance Mountain as told to Sean Mortimer (@judoair)
Original Illustrations: Michael Giurato (@badhairlife)
Fuck with us on Facebook
Don’t fuck with us on Instagram



にしてもこのCM、半端なくダセー・・・
オリンピックが近づくころには、日本でも誰かがこういうCMに出るようになるんすかね。



2015年11月26日木曜日

OMAR SALAZAR インタビュー JENKEM

JENKEMに載ってた、オマー・サラザーのインタビューです。
載ったのは今年の3月ですね。

今年は4月の末から自分、田舎に引っ越して農業を始めまして、
農作業でばりくそ忙しくて、なかなかインタビューの翻訳もできませんでした。

これはずっとやろうと思ってたので、やっとできてよかったっす。

元記事:http://www.jenkemmag.com/home/2015/03/04/talking-aliens-and-mother-with-omar-salazar/

JENKEM:http://www.jenkemmag.com/home/




オマーのスケートを見た限りだと、超ハイテンションでクレイジーなガキって感じのやつなんだろうなと思っていたが、実際はスケート業界を長年渡り歩いてきたクレイジーなベテランって感じだった。もうすぐ20年になるスケート業界でのキャリアを通して学んだことを生かし、最近Doom Sayersというブランドを立ち上げたオマー。このインタビューで、子どもの頃リタリンを無理やり飲まされたこと、エイリアン・ワークショップの終焉、宇宙人はいるのかいないのか、なんてことを聞いてみた。

君はエネルギーに溢れててハイパーなキャラって感じで知られてるけど、子どもの時ってADHD(注意欠陥・多動性障害)だったの?

そうだよ。でもそれはクソみたいな教師たちにそう言われただけさ。俺はカトリックの学校に行ってたんだけど、マジで最悪な場所だった。俺の初めてのドラッグ体験は、そのカトリックスクールの教師から勧められたリタリン(訳注:今では覚せい剤扱いだが、当時はADHDの薬とされていた)さ。彼女から「あなたにはこれが必要なの!」って言われて、俺は「いや、僕は俺は全然正常だよ!」って言い返したんだけど、向こうは「ダメよ、これを飲みなさい、うちの息子も飲んでるのよ」って言って聞かなくて。その学校は全校生徒にリタリンを飲ませようとしてた。イカれてるよ。強引に飲まされて、俺はもう「オーマイゴッド、とにかく集中しろって何なんだ?」って感じでさ。嫌だった。それでも教師のほうは俺や他の生徒たちにリタリンを飲ませようとし続けてくるから、最終的には舌の下に入れて飲んだふりをして、教師が見てないときに吐き出してた。あんなもん飲んじゃダメだよ。

むちゃくちゃだね!しかも違法行為じゃん・・・おかげで宗教にはうんざりしたんじゃない?

そうだね。当時あのクソ野郎どもを訴えてたら良かったと思うよ。リタリン飲まされたおかげでしばらくの間かなりクレイジーになった。セント・ローズ・スクールって学校だった。最低の学校さ。彼らがそこで教えてたこと、騙すな、盗むな、ってことには賛成するよ。でもマジでむちゃくちゃだった。

そのカトリックの学校で、他にやらされた変なことってある?

マジで馬鹿みたいなことが理由で、俺はしょっちゅうトラブルになってた。例えば学校は「必要としている人には手を差し伸べましょう、恵まれない人には施しをしましょう」とか俺たちに教えてたんだけど、それで俺は「よし!僕の昼ごはんを学校のフェンスの外でたむろしてるホームレスの人たちにあげよう」って思って何週間か自分の昼飯をホームレスにあげてたんだ。それをあるとき学校が発見してさ、フラディスっていうクソ女教師だったんだけど、あいつの名前は一生忘れないぜ。あのクソ女に耳を引っ張られて「何やってるの!自分が何をやってるのかわかってるの!」って大声で怒鳴られた。俺はお前らに教えられたことをやっただけだっつーの!嘘ばっかりだったよ。クソすぎだった。

誰かから性的虐待とかされなかった?(訳注:ボストンの教会でおきた事件を踏まえた質問かと)

いや、大丈夫だったよ。でも他のカトリックの牧師連中もひどかった。嘘ついて話しをでっち上げるような奴らばかりだった。


fs blunt / photo: kyle camarillo


初期のころは、スケートの会社ともうまくいってなかったよね。ファンデーションとか。そういう経験をして、スケート業界が嫌になったりしなかった?

ファンデーションで起きたことは、かなり凹んだし傷ついたし、長いこと引きずったよ。でもその経験のおかげで、よくないことが起きることに対して準備できるようになった。別に話しをドラマチックに広げるつもりはないよ。ただ過去にそういうことがあったっていうだけさ。今じゃ理解もしてるんだけど、でも当時の状況はもっとうまく解決できたと思う。多くの人が賛同してくれたらいいんだけど。俺はただやれって言われたことをやってただけでさ。ライダーが大変な時期を過ごしてるのに、簡単にクビにするなんてないよ。いきなり何の連絡もしなくなるとかじゃなくて、「うまく行ってないぞ」とか言ってくれたら良かったのにって思う。

当時俺は15歳で、チームに入れてめちゃくちゃ嬉しかった。でも彼らは俺のことを単なる馬鹿だと思ってたんだと思う。かなりひどい膝の怪我をしちゃってさ、医者から半月板が裂けてるから手術が必要だって言われた。それで膝のことをファンデーションに話したら、「今俺たちは次のビデオの撮影をやらないといけないんだ。フッテージがないとビデオには出演できないぞ。ビデオに出ないってことは・・・意味わかるだろ」って言われた。

だから怪我したままの膝で可能な限り撮影に出かけた。それとその頃はスケートボードのパッケージは全部ベッドの下に隠してた。もし両親に見つかって、俺がスポンサーされようとしてるってことを知られたら、きっと止められるんじゃないかって思って恐かったんだ。そうやって手術の直前まで撮影をして、フッテージをファンデーションに送った。

手術の途中で、医者が「君は私が言ったことを全然聞いてなかったじゃないか!怪我がむちゃくちゃになってるぞ!」って怒鳴ってる声で起きた。俺はそれを麻酔でフラフラで泣きながら聞くっていう。医者からは、俺はもう二度とスケートできないって言われ続けた。手術では俺のケツかどこかから軟骨を持ってきて、膝に移し替えることになった。それでも俺としては、フッテージを送ったから少なくともビデオには入れる、まだ彼らの一員だ、そう思ってた。でも俺はプレミアに招待されなかったんだ。それで自分からトッド・スワンク(ファンデーションのオーナー)に電話したんだけど、そしたら「来なよ、こっちについたら俺たちに連絡してくれればいいから。ホテルも用意するから問題ない」って言われた。


“I WAS ALL GASSED UP AND DRUGGED AND CRYING. THE DOCTOR JUST KEPT TELLING ME I WAS NEVER GOING TO SKATE AGAIN”

それで年上のスケート友達二人に、車でプレミア会場まで送ってもらったんだ。7時間くらい運転したかな。俺はもう感謝しまくりで、友達たちには会場につけばホテルもあるし、プレミアに参加できるからって言って。で、車で会場に向かいながらトッド・スワンクに今向かってるってことを伝えようと電話したんだけど、誰も出なくて。そして着いたら何にも用意されてなかったんだ。マジで最悪だったよ。友達は7時間も運転してくれたんだぜ!?で、行くところもないから結局彼らは車の中で寝て、車の中はもうスペースがなかったから、俺は車の屋根の上で寝た。って言っても寝れなかったけどね。俺が友達に嘘をついたみたいになったことがただ悲しくて。プレミアは次の日だったんだけど、会場に着いてすぐに、俺はもうチームの一員なんかじゃないってことが分かった。俺はプレミアにいて欲しいとも思われてなかったんだ。

でもファンデーションとTum Yetoにも、良い人たちはいるってことは言っておきたい。今と昔じゃ違うしね。彼らに対して敵対心とかも何も持ってない。今の話は単純に俺が経験したことさ。

駆け出しの大変な時期は、ホテルからタダ飯をもらってしのいでたって聞いたけど。

ずいぶん長いこと部屋もなくカウチに寝泊まりしてた。めっちゃくちゃ感謝してるよ。Tea Streetっていう場所にいたんだけど、ブランドン・ビーブル、リチャード・アンジェリデスと一緒に住んでて、それと時々ステファン・ジャノスキとジョーイっていう女の子も来てた。そのアパートに住んで、なんとかサバイブしてたね。飯はサクラメントを一日中スケートしてまわって、オープンハウス(売り出し中の家)を探すんだ。そこで「俺の母さんがこの家を気に入ってるんだ、もうすぐ戻ってくるから」って言うと、「それじゃクッキーやフルーツがあるから食べていきなさい。水のボトルもあるよ」って言ってもらえるから、それを全部いただいて消えるってのをやってた。そうやってしのいでた。週末に日用品店に行くと、フリーのサンプルがあるからそれをもらいに行ったり。15、6歳のときだね。




宇宙人っていると思う?

どこかにいるとは思うよ。そういうのには興味はあるんだ。アヌンナキの人類宇宙人説とか、どうしてピラミッドが建設されたのかとか。何気にハマってるかもね。チェックしてみてよ。マーク・ジョンソンともそういう話をしてたんだけど、みんなもこういうことに興味をもってチェックしてみるべきだと思うよ。物を浮かすことのできる振動と音の周波数があるとか、マジでヤバいから。世界中にその周波数があって、科学者たちはその音を使って実験をしてるんだって。そうやって古代のエジプト人たちは当時の道具を使っても、ああいう大きな石を運ぶことができたって言われてるんだ。

まぁ俺がハマってるのはそのくらいかな。これ以上深入りはしないよ。それにしてもJFK(ケネディ大統領)の話はひどいよ。「They Killed Our President」っていういい本があるんだ。書いたのはジェシー・ヴェンチュラ(訳注:元プロレスラーのタレント文化人)でさ、だからって笑わないで欲しいんだけど、マジで超いい本なんだよ。彼は本当に頭がいい。

君は今怪我をしててスケートできないみたいだけど、空いた自由な時間は何をしてるの?エロ動画サイトを見まくってる感じ?

(笑)いやいや。5年前に今くらい自由な時間があったらもっと見てるだろうけど。まぁ正直な話、膝の怪我から回復するためにリハビリやってるし、Doom Sayersのプロジェクトもやりながら普段の生活もしてるって感じだから、実際かなり忙しいんだよ。いつも新しいことや何か自分たちのメッセージを届けるのに良いものはないかって考えてるから、けっこう大変なんだ。全然眠れない日とかもあるし。寝返り打ちながら「みんな俺たちがやってることを理解してくれるだろうか?」って一晩中考えちゃったりさ。


photo: Jonathan Mehring, originally appeared in Skateboarder Magazine


彼女はいるの?

どうにかね。5年くらい付き合ってる。くっついたり離れたりって感じで。俺みたいに旅に出てばっかりだと簡単にはいかないよ。

5年もたつとセックスにも飽きてくる?コスモポリタン(訳注:海外のAnAn的な雑誌)のハウツーを読んだことってある?

クリエイティブじゃなければセックスも退屈になるだろうね。俺は自分でも思うけどクリエイティブだ。(笑)もっと若い頃は、店でスケート雑誌読んでるときにコスモポリタンの表紙に「5分以内で相手を落とす方法」みたいなのが書いてあるのが目に入って、どれどれって感じで読んでたけど、今はだいたいスケート雑誌しか読まないね。

これを読んでる読者にオススメするクレイジーな体位ってある?

うーん自分でやってみるしかないよ。流れにまかせてさ。なんでもやってみたらいいいよ。(爆笑)てか知らないよ!インタビューがいきなり性教育になっちゃったよ。まぁ何か違うことを経験したりやってみたりするってことはいいことだよ。やっぱり何事も楽しくやらないとね。スケートもそうだし、なんでもそう。自分をオープンにして、何か違うことをするってのは絶対いいことだよ。


“IF YOU’RE NOT A CREATIVE PERSON THEN SEX CAN GET PRETTY BORING. I’M A CREATIVE PERSON, I THINK”


彼女にしたくなるような良い女の子を見つけるためにはどこに行けばいいかな?

知らないよ・・・自分の好きな音楽のコンサートとかライブとかかな。好きな音楽聴けるし。そこにいる女の子はベロベロになってセックスするためにそこにいるんじゃなくて、音楽を聴くためにそこにいるからね。もしかしたらその子たちはドラマーとかボーカルの奴と寝たいのかもしれないけど。まぁでも普通は友達と一緒に楽しむために来てるでしょ。そういうところにいる子ってのは自分と同じ音楽が好きだってことだし、気軽に「やあ」って感じで声をかけるのがベストだと思うよ。

オースティン・ジレットにも同じ質問をしたんだけど、彼はホームセンターにいる子がいいって言ってたよ。

(笑)はいはい!でもそこに来てる子は自分の家のパイプを修理しないといけなくなっててイラついてるかもよ。ホームセンターなんて最悪だよ。そこをトライするオースティンには拍手だね。まぁとにかくやってみることさ。




君の今のスポンサーについても教えてくれない?エイリアンとはどうなったの?

俺も何か知ってればいいんだけど・・・エイリアンに関しては崩壊の仕方がマジで最悪だったね。ちょっと凹んだよ。Aveとディルがやめたときに、俺も辞めて何かやることもできたんだけど、友達のチャド・ボワーズ(元エイリアンのチームマネージャー。現Quasi(Mother)。)とチームのことを考えてエイリアンに残ることにしたんだ。みんなを残して去るのはできないって思ったから残った。それからしばらくしたらチャドがクビになって、俺はもうギリギリそこにいるって感じになった。「一体何が起きてるんだ!?(チャドがいなくなって)誰と話をしたらいいのかもわからない」って感じになった。

それから3、4ヶ月くらいエイリアンに残ってたんだけど、そこで3ヶ月間全然給料が入ってないことに気がついたんだ。「どうしたんだ?ちょっと前までチームオブジイヤーとかの賞を取ったり、ビデオを出したりとかしてたのに」そう思ってたらロブ・デューデックが出てきて、俺たちを助けてくれるはずが、突然終わりになったんだ。

その間誰からも話がなかった。誰も電話もしてこなかったし、俺としては一体これは誰が何してるんだ?って感じで。俺が唯一連絡を取ってたチャドがクビになっちゃってさ、そもそもチャドに残って欲しいって言われて残ったのに。長年会社のためにやってきたのに、こんな感じでクビになるのかよって、悲しかったし傷ついた。連絡のひとつもなかった。ロブ・デューデックからの連絡もなかった。ていうかマジであいつは何者なんだ?俺たちは親友だと思ってたぜ、兄弟。(笑)ってまぁ冗談だけど。どうでもいい。

そうだね、でももはやロブのできることの限界を超えてて、やることが多すぎたんじゃないかと思うんだよね。彼はマジでなんとかしようとしてた

そうかもね。でも電話の一本くらいよこせよっていう。彼は彼でやることがたくさんあったっていうのも分かるけど。まぁ今話したことが実際に起きたことだよ。ロブがエイリアンを買ってからと、その前を合わせて、俺から彼に50回くらいは電話したんだ。ロブが忙しい人だってのは知ってるし、家柄が良いってことも知ってるけど、それにしてもって感じだね。

“THAT’S HOW YOU GET RID OF PEOPLE AFTER ALL THESE YEARS?”

エイリアンのライダーとして、素晴らしい時間を過ごしてきたし、一緒にやってこられて最高だった。でも俺としてはもう終わりだね。こんな感じになってしまって残念だよ。いまだに誰からも何の連絡もない。自分たちの他にも懸命に働いている人たちがいるってことを分かってほしいよ。でも突然ナシにさせられた。「今までありがとう」とかそんなことも言われてないし、未払いの給料ももらってない。今その金があれば医療費にまわせたんだけど。言いたいのはそれだけだね。

復活したエイリアン・ワークショップについてどう思う?

彼らは自分たちのことをやってるだけなんじゃないかな。特に言うことはないよ。こないだヒース・カーチャートがやってるBLACKっていうバーに行ってさ、あそこも女の子に出会うにはいい場所だよ。すごいクールなところさ。そこでヒースと復活したエイリアンについて話したんだけど、誰も何も知らなかった。俺たちは誰も何も聞かされてなかったんだ。

別にそれで疲れ果てたりもしてないよ。ただ、ビジネスにはこういうやり方もあるんだってことを学んだだけさ。他人がやることを見て物事を学ぶんだ。コミュニケーションってやつだよ。もうこれ以上会社を維持できないってなったらさ、普通はそれをライダーや従業員たちに話して、「今までありがとう」って言って少しばかりの退職金を渡すもんだよ。俺たちにだって支払いがあるんだから。このプロ・スケートボードの世界で、俺たちは責任あるスケーター、人間であろうと努力してるけど、実際のところそのための準備なんて何もしてないんだ。俺たちはみんなスケートが大好きなガキたちでさ、マジでスケートは最高だよ、でも誰も俺たちに税金のことや、保険のこと、そういうことを教えてくれない。だからいきなり全部を持って行かれたら、本当に大変さ。




それで今はどういう状況なの?新しく立ち上がったMother(改名して現在はQuasi)に加入とか?

今のところ、俺はどこのボードカンパニーにも所属してない。彼ら(Mother)とも話をしたけど、今はどこのチームにも所属できるような状態じゃないってことを伝えた。今俺は怪我をしてて、スケートして彼らに貢献することができないからね。自分の気持ちと身体、そして自分のためになるのかってことが全部揃わないのに、ただ単に給料をもらいたくないんだ。誰の時間も無駄にしたくない。彼らの時間も、君の時間も、誰の時間もね。もし俺がとにかく金が欲しいっていう人間だったら、とっくにエナジードリンクのスポンサーを付けてるよ。でもそれはしたくないんだ。俺は今自分についてるスポンサーに満足してる。

“I’M NOT GONNA COLLECT A PAYCHECK IF MY MIND AND BODY AND INTEREST AREN’T FULLY INTO IT. BECAUSE IF I WAS ALL ABOUT THAT, I WOULD HAVE ALREADY GOTTEN AN ENERGY DRINK SPONSOR”


(Motherの)グラフィックを見たけど、超やばいよね。今はまだスケートを再開できてないから、何も焦ることはない。Motherのライダーはジェイク・ジョンソン、ギルバート・クロケット、そしてタイラー・ブレッドソーだ。今ライダーになって給料をもらえたらそれは熱いけど、だからってそれはしない。他にもすごいカンパニーからオファーをもらってるけど、自分の気持ちが今はそこに行ってないんだ。来年とか怪我が良くなるまで給料をはらってくれるっていうカンパニーもあった。それはすごくありがたいんだけど、そうすることが良いことだと思えないんだ。ほとんどの人は俺は馬鹿だって言うだろうけど・・・どうすればいいのか考えてるところだよ。自分がお返しすることができないのに、何かをしてくれって言いたくない。スケートを再開したい。怪我の前はめちゃめちゃスケートしまくってて、新しいNIKEのビデオの撮影で超テンション上がってて良い感じだったんだ。そんなときに大怪我しちゃってさ。9ヶ月前くらいのことなんだけど。けっこう経つね。全快までにはあと4、5ヶ月か、もっとかかる。

君のカンパニー、Doom Sayersをスケートボードのカンパニーにすることを考えたりはしない?

ボードカンパニーにするつもりはないよ。特にそうする理由がなければね。Doom Sayersは周りからお前はダメだとか、ネガティブな言葉に囲まれてる人たちに、そういうネガティブなことをポジティブな力に変えることができるってことを知って欲しくてやってるんだ。それがDoom Sayersのコンセプトだよ。握手してる手の片方が蛇なってるのを見れば、多くの人が俺たちのメッセージをわかってくれると思う。「俺がやるとは思わないって?見てろ」って言って、やってやるんだ。

Interview: Ian Michna
Photography: Brendan KleinKyle Camarillo & Nike SB.
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つい最近、Thrasherのサイトでもビデオが公開されてましたね。

いよいよ本格的に始動しそうなDoom Sayers Clubですが、上のインディのビデオやThrasherのインタビューでも言っているように、Doom Sayersとは自分に向かってネガティブな言葉をかけてくる連中のことで、そういうネガティブなものを燃料にしてポジティブなことをやってやるのがDoom Sayers Clubだそうです。



2015年11月3日火曜日

Jeremy Klein Interview JENKEM

超絶久しぶりにインタビュー記事です。

JENKEMに載ってるジェルミ・クラインのインタビューです。
載ったのが2013年の9月なんで、2年近く前のやつですが今読んでも面白いっす。

元記事:http://www.jenkemmag.com/home/2013/09/24/jeremy-klein-nearly-20-years-of-hook-ups-skateboards/
JENKEM:http://www.jenkemmag.com/home/




ガキのころ、ジェレミー・クラインは俺の大好きなスケーターの一人だった。ビデオゲーム、女の子、キャンディー、スケートボーディング、火遊び。ジェレミーと俺は同じ趣味をしていると思った。俺はアニメや日本のカルチャーにどハマりしたことはないけれど、ジェレミーのブランド「Hook-ups」は大好きだった。でもHook-upsのきわどいデザインのTシャツは学校では禁止になっていて、裏返しに着させられたもんだ。今回Hook-upsが20周年を迎えるという事で、ジェレミーに現在のスケートボードについての意見や、トニーホークのこと、Birdhouseのビデオ「The End」の制作について話を聞いてみた。


君とトニー・ホークは彼がBirdhouseを始めた頃から親しい間柄だし、当時はライダーでもあったよね?トニーがハイになってる時ってどんな感じだったか教えて?

俺がトニーがハイになってるのを見たことがあるのって1回くらいだよ。彼は今も昔も変わらずめちゃくちゃいい奴だね。どんなことにも落ち込んだりしないし。君が言ってるのって、トニーがツアー中に大麻を吸って、(スティーブ)ベラががっかりしたって話のこと?それに関連して面白いことがあったんだけど、ツアー中にベラの友達が俺たちのバンに乗り込もうとしたとき、俺がそいつをおちょくったんだ。そしたらベラからムカつかれちゃって。その頃Birdhouseは俺の名前とBirdhouseProjectのロゴが刺繍がしてある帽子を作ってて、ベラはツアー中ずっとその帽子を被ってたんだけど、その一件以来毎日少しずつ刺繍が外れていって、最終的には俺の名前なのか何なのか読めなくなってた。まぁなんてことない話だけど。仲のいいときも悪い時もあるけど、ベラはいい奴だよ。




Hook-upsのビデオ「Destroying America」で、車で木をなぎ倒してる映像があるけど、どうやったらあんなことできるの?

The Endを作った後で、けっこう簡単にいろんなものを車で乗り越えられるって気がついたんだ。ただ、いつも突っ込んだ後にはハマって動けなくなって大変だったよ。ヒース(カーチャート)って運転してるとき、全然何も考えないんだよね。俺はヒースよりも少し速度を落としてたんだけど、ヒースはもう全速力で突っ込んでいくんだ。木に突っ込んでいくクラッシュには俺も全回車に乗ってたけど、あんまりヤバ過ぎて本当は乗るつもりなんてなかった時もあった。車が爆発するやつ以外のスタントは全部俺たちでやったよ。

木とか茂みに車が突っ込んじゃった後って、どうやって脱出したの?

一度バンが木に突っ込んで動けなくなったとき、かなり大きな木がへし折れちゃってさ、バンがグラインドしながら上に登っちゃったんだ。2、3フィートくらい(1メートルくらい)持ち上がっちゃってさ。それでレッカー車を呼んだんだけど、うちらのバンがかなり深く食い込んでて、バンを引っ張り出そうとしたら逆にレッカー車のほうが引っ張られちゃって溝に落ちちゃったんだ。だからもう一台大きなレッカー車を呼んで、最初のレッカー車と俺たちのバンを順番に引き上げた。馬鹿すぎだよね。でも昼間の大通りだったけど、特に面倒に巻き込まれたりってのはなかったな。

Hookupsのツアー中にバンの中で、乱行パーティーとかやったことある?

いやーないね。ていうか当時はそもそもスケーターってあんまりモテなかったし。それも今とは違うところだね。スケートボーディングは当時と今じゃ全然違うよ。昔は俺たちがデモをやってそこに500人来たとして、その中で女の子はいたとしても10人。そこからさらに俺たちと何かやってくれるような子は1人って感じだったよ。しかもそいつも別に美人でもないっていう。まあ隣にいるウィリー・サントスを見てるよりはマシか、ってくらいでさ。今じゃデモに大勢女の子がやってきて、しかも可愛いって感じでしょ。まぁデモツアーなんて10年くらい行ってないから今実際どうなのか知らないけど。でも今は昔よりずっとオーガナイズされてるから、きっと女の子がたくさん来るよ。

オーガナイズされてると女の子が来るってのはどういうこと?

オーガナイズされてるってのは、例えば今だとスケーターがプロモデルのシューズを出したら、シューカンパニーが主催してパーティーを開いてくれる。でもプロモデルのボードを出したときに毎回パーティーするか?って言ったらしない。でもやればいいのにって思うよ。っていうのもさ、まぁそれと女の子がどう関係するかってことだけど、例えばターゲット(訳注:アメリカのディスカウント・デパートチェーン)が「ターゲットがスポンサーしてるライダーが駐車場にやってきまーす」みたいなイベントの張り紙広告を出すとするよね。そこにたまたまタンポンを買いに来たような女の子がやってきて、その広告を見る。で、「やだ、ちょっとイケメン」とか思って駐車場にやってきたりするってことさ。ね?今じゃスケーターは顔が大事だし、昔よりもずっと一般に受け入れられてるし、変な感じがするよ。

ストリート・リーグに行ったことってある?

いや、ないよ。行くべきだとは思うけど。行ってみたら面白いと思うんだ。大会の映像を見たことあるけど、スケーターがあのコースの上でスケートしてるのを見て変な感じがしたよ。彼らの顔と名前のでっかい垂れ幕が出ててさ。別にいいんだけど、ただ変な感じだなと思っただけさ。あれをデザインしたやつは、なんでああいうのをいいと思ったのか謎だけどね。

他のスポーツのやり方に沿ってデザインしたんだと思うよ。

それは理解できる。でも俺はスケートボーディングをスポーツと絡めるのは好きじゃない。俺はスポーツが嫌いなんだ。そもそも、だからスケートを始めたんだからね。考えてみると面白いよ。今じゃお前らシリアスになりすぎだって言いたくなるくらいの感じになってるけど、俺たちの時代には真面目にスケートします、みたいなノリなんて全くなかった。俺としてはその二つの中間くらいを目指したいね。

誤解しないでもらいたいのは、俺は今のスケートボーディングを素晴らしいと思ってるんだ。ただ、その中のいくつかは別に必要ないんじゃないかと思うんだ。みんなオークレーとか、ああいうブランドのライダーになってるけど、俺がガキのころはオークレーを掛けてる奴なんてダサい奴だった。今はみんなそういうスポンサーに群がってるけど、俺だったらそんなことしたくないな。金が理由だってのは十分理解できる。でも、もし俺がオークレーがスポンサーに付くくらいビッグでスケート界で成功してたら、オークレーより別の、もうちょいクールなブランドを選ぶと思うんだよね。別に何でも自分の好きなものを選べばいいけどさ、いいものを選ぼうよ、とは思うよ。

でもオークリーほどお金をもらえないかもよ

もらえないだろうね。でも分からないよ?オークリーほどダサくなくて、でも金も持ってるってところであれば。俺が言いたいのは、こんなのいつまで続けるんだ?ってことさ。今じゃスケーターが何をダサいと思うのかすら分からなくなってしまった。だって今じゃ誰も何もダサいなんて思わないんでしょ?別に不平不満を言ってるつもりはないんだけど、あまりにも全てが金を中心に回りすぎててさ。理解はできるんだよ。だから今、この新しい時代のスタイルに適応しようと学んでるところさ。




プロスケーターとして得た収入を、自分は賢く使ったと思う?

思うね。

World Industriesのライダーだったころ、ボードのロイヤリティーでどのくらい稼いでたの?

それほど多くないよ。当時は今みたいに給与保証なんかもなかったしね。今は契約書もあるし給与保証もあると思うけど。当時はさ、今月自分のボードの在庫が2500枚あったとして、それが全部売れたら5000ドル(約50万円)もらえるって感じ。でもその翌月にボードが在庫切れで一枚も売れなかったとしたら1円も入ってこないんだ。そんな感じだった。自分がどのくらい稼いでいたのか自分でも分からないんだよ。

ある月は6000ドル、その翌月は500ドルとか、かなりバラバラだったん。で、そのうち年末になるんだけど、当時税金とかをどうやって処理してたのかも不明だね。うちの母親から稼いだ金の30%を税金として納めないといけないって聞かされた時は、まさか本当にそうだなんて思ってなかった。だから全部使っちまったんだ。たぶんプロになって最初の年は40,000ドル(約400万円)くらい稼いだと思うんだけどね。それで年末になって母親に税金を払ってもらわなきゃいけなかった。てっきり俺は母親が俺に貯金させようとして、脅かして言ってるだけだと思ってたんだ。でも実際にそのくらいの税金を払わなきゃならなかった。

Hook-upsが一番売れてたのっていつ頃?

1997年、1998年、1999年。1996年もよかった。クレイジーな時期だったよ。

どのくらい稼いでたの?

それは教えられないけど、とにかく大金だね。まぁ大金ってなんだって話だけど。



夜中にリムジンで繰り出してたときのことを教えて。

Birdhouseのオフィスで働いてるとき、リムジン呼んで街中流して、花火に火を付けて遊んでたっていうアホな話だよ。クソ酔っぱらってリムジンの車内で花火着火してさ、いつも運転手がブチギレてた。特に何の意味もなくやってたな。ステーキハウスに行くこともあれば、すっごい微妙なストリップクラブに行ったりすることもあった。ストリップクラブは最悪だ。超退屈だし、そこで遊んで楽しかったこともない。

そんなことやってて、どうすればリムジンから追い出されずに済むの?

まず最初に花火を持ってるのをバレないようにしないとね。で、走り出してだいたい30分くらい経ってからぶっ放し始める。そうすれば、いくら運転手が怒ったとしても客をその辺に捨てることはできないからね。まぁでも、何も考えずにやってたな。昔はどこへ行くにも花火を持って行ってた。Birdhouseで恒例のクリスマスパーティーがあったんだけど、そこでも花火をぶっ放してたよ。もう今じゃそんな馬鹿なことなんてできないだろうけどね。

ボーリング場でBirdhouseのパーティーをしたとき、友達のブラッドがレイジー・ボウル(訳注:lazy:怠け者とかグダグダという意味)ってのを始めてさ。メシを食ってる席から、座ったままレーンまでボールを投げるっていうやつなんだけど、それやってたらボールがバウンドして従業員のケツに命中しちゃって。それでBirdhouseを訴えるとかなんとかってなったんだけど、結局それがその後どうなったのかは不明だね。

花火に火をつけたりとかパーティーから追い出されたりとかしてて、トニーは怒らなかった?

トニーは世界一クールだよ。俺は彼が怒っているところを一度も見たことがない。何回か怒ったことあるだろうけど、俺の記憶にはないし、俺たちが自分たちのパーティーから追い出される羽目になっても、俺たちに怒ったことはない。毎回Birdhouseのクリスマスパーティーで追い出されるのが恒例になってた。全てのテーブルにダイブして半分に割る、なんてことをしたりしてた。

日本では自分たちのビデオのプレミアから追い出されたよ。The Endを大阪で上映したときなんだけど、俺とヒースで自分たちのパートになったときにステージに登って客が見れないようにブロックして、それから自分たちに火をつけたんだ。俺たちは会場から追い出されて、プレミアもそれで終了になった。だから来ていた客は誰もトニーのパートもバッキーのパートも見れなかった。

昔BordhouseのオフィスでJ・ストリックランドと一緒に働いてたとき、夜遅くまで起きて馬鹿やってたんだよね?

そうだね。一晩中いたりしたよ。「The End」の制作もそこでやってたし。ビデオの中で小屋が爆発するシーンがあるけど、あの小屋は俺とヒースで一から作ったやつなんだ。Birdhouseのオフィスのすぐ外に作った。俺たちは一晩中そこにいたし、倉庫も開きっぱなしだったから、総額何百ドルっていう商品がいつでも誰でも取り放題みたいな状態だった。昔は本当にユルかったよ。ビルの鍵は俺が持ってたんだけど、そこに何時までいるとか、誰かに報告したこともない。雇い主にすら、俺たちが中で何をやってるかなんて教えなかった。とにかくクレジットカードで買い物して、ちょっとでも金を取り戻そうってしてたな。



今のスケートシーンのことって追いかけてる?最近でいいなと思ったことってある?

つい最近、新しいエメリカのビデオを見たよ。出演してるライダー全員好きだ。ていうか、今はスケーターの数が多すぎて全部を追いかけるのは難しいよ。でもあのエメリカのビデオは特別だったね。コリン・プロヴォストのこと知らなくて、初めて彼を見たんだけど、かっこいいパートだった。

思い出したけど、ブランドン・ウエストゲートって、昔ほんの短い期間だけどBirdhouseのライダーだったときがあったんだ。あいつはそのとき15歳か16歳くらいでさ、日本にツアーで行ったときにVIPラウンジっていう俺のお気に入りのストリップクラブに連れて行ったことがあるよ。そこでカミカゼ(カクテル名)を飲ませてたんだけど、次の日俺たちがスケートしてる時に、ブランドンがゲロ吐いてる超ウケる写真が撮れた。

最後にスティーヴ・ロコ(World Industries創始者)と話したのはいつ?

いつだか覚えてない。たぶん12年前とかじゃないかな。彼は今、株の売買をやってると思うよ。スケートのことをやってくれてたらって思うけど・・・でもそれはもうありえないな。

彼は今単純にサーフィンしたりして優雅に過ごしてると思ってたけど?

たぶんね。でもほぼ間違いなく株に手を出してると思うよ。

World Industriesを売った金があれば一生働かなくていいと思うんだけど?

そうだね、働く必要はないと思うよ。でも大金を持ってると、それをもっと増やしたくなるもんなのさ。ロコって、たとえ金なんて必要じゃないときでも、とにかく稼ぎたいっていうタイプなんじゃないかと思う。みんなを馬鹿にして自分の優秀さをアピールしたい性格っていうか。スケート業界に入って大成功してナンバーワンになって、その後スーツ着たクソみたいなビジネスの世界に入ってもまた大成功っていう。単純にそういうやつなんだよ。


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Interview: Ian Michna
Original Illustration: Lauren Kolesinskas
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